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ウィーン芸術週間1963~📽️クナッパーツブッシュ&ウィーン・フィル のワーグナー:《ワルキューレ》第1幕

こんばんは。音楽評論家の和田大貴です。今回は、1963年にウィーンで撮影されたクナッパーツブッシュとウィーン・フィルによる《ワルキューレ》第1幕の映像をご紹介したいと思います。

この映像は、ワーグナーの楽劇《ニーベルングの指環》の第二部にあたる《ワルキューレ》の最初の幕を収録したものです。この作品は、神々と人間との間に生まれた兄妹ジークムントとジークリンデが、互いに恋に落ちてしまうという物語です。

この映像の最大の魅力は、やはり指揮者クナッパーツブッシュです。彼は、ワーグナーの音楽に対する深い理解と情熱を持ち、その世界観を見事に表現しています。彼の指揮するウィーン・フィルは、ワーグナーの音楽にふさわしい豊かな響きと表現力を持っています。

また、歌手陣も素晴らしいです。ジークムント役のフリッツ・ウールは、力強くも美しい声で兄妹の愛を歌っています。ジークリンデ役のクレア・ワトソンは、純真で情熱的な声でジークムントに惹かれていく様子を歌っています。

この映像を見ると、ワーグナーの音楽がどれだけ意義深く美しいかを実感できます。この作品は、恋と運命に翻弄される兄妹の悲劇的な物語ですが、同時に人間の情熱や自由への憧れを表現しています。

ワーグナーの音楽は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて西洋音楽に革命的な影響を与えました。彼は従来のオペラや交響曲という形式を超えて、「音楽劇」という新しいジャンルを創造しました。彼は音楽と詩と舞台美術と演技というすべての要素を統合し、壮大な神話や伝説を題材にした作品を作りました。

ワーグナーの音楽は、和声や旋律やリズムなどの音楽的要素にも革新的な変化をもたらしました。彼は従来の調性や和声法に囚われず、新しい和声や和音や転調法を用いました。彼はまた、特定の人物や場所や感情などを象徴する「モチーフ」と呼ばれる短い旋律や和音を作り出し、それらを変化させながら物語を展開させました。

ワーグナーの音楽は、聴衆に強い感動や衝撃を与えるとともに、様々な議論や反響を呼びました。彼の音楽は、音楽家や評論家や聴衆の間で賞賛されたり批判されたりしました。彼の音楽はまた、政治的や社会的や宗教的な意味合いを持つこともありました。彼の音楽は、後の作曲家たちにも大きな影響を与えました。

私は、この映像を見るたびに、ワーグナーに感謝したくなります。彼は、自分の人生や恋愛を犠牲にしてでも、このような壮大な音楽を創造したのですから。

さて、ここで少しクナッパーツブッシュという指揮者について紹介したいと思います。

ハンス・クナッパーツブッシュは1888年にドイツで生まれました。子供の頃から音楽に興味を持ちましたが、両親は音楽家になることを反対しました。しかし彼は大学卒業後にケルン音楽院で指揮法や作曲法を学びました。

彼は1909年からカペルマイスターとしてドイツ各地で活動しましたが、1912年からはバイロイト音楽祭でワーグナーの息子ジークフリート・ワーグナーや名指揮者ハンス・リヒターのアシスタントを務めました。これが彼のワーグナー指揮者としての成長期でした。

彼は1922年にミュンヘンに移り、バイエルン国立歌劇場とオデオンのアカデミー・コンサートの監督に就任しました。彼はここで多くの名演を残しましたが、ナチスの台頭とともに彼の立場は危うくなりました。彼はナチス党員ではなく、ナチスに反対する態度をとったため、1936年に解任されました。

彼はその後オーストリアに拠点を移し、ウィーン国立歌劇場やザルツブルク音楽祭で活躍しました。彼はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とも深い関係を築きました。しかし1938年にオーストリアがドイツに併合されると、再びナチスの支配下に置かれました。彼は戦時中も指揮活動を続けましたが、ナチス関連のイベントに参加することもありました。

戦後、彼は再びバイロイト音楽祭に復帰し、1951年から1964年までほぼ毎年出演しました。彼はここで《ニーベルングの指環》や《パルジファル》などの名演を残しました。彼はまた他の国でも客演し、特にロンドンやパリでは高い評価を得ました。

彼は1965年にウィーンで亡くなりました。彼は生涯独身でしたが、多くの女性と恋愛関係にあったと言われています。

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