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映画感想【花束みたいな恋をした】

先日、映画「花束みたいな恋をした」を観ました。
個人的な話をすると、僕はこういった恋愛映画というやつをほとんど見てこなかった。 


理由は単純で、恥ずかしかったから。
ではなぜ今回この作品に限って観に行ったかというと
理由は単純で、大人になったから。


知人に今作をお勧めされて、ふと思った。
いつまでも、恋たら愛やらを外からでも知っとかないと人としていよいよ終わってしまうのではないかと。
僕も30歳を越えたいい大人だ、そろそろ人を好きになるとはどういう事なのかわからないといけない。今までずっとピンと来てない一番苦手な感情と向き合わないと。

ではこれを観て恋愛とは、人を想う事とは、どういう事かわかったかといえば定かではない、それほど複雑なものが身近にあるのかと、恐々としてしまった。
こんな難しいことみんなやってんのか。きらきらしているようで、じつは足掻いてるんだ。
今作をきっかけにそういった感情の輪郭が少し見えてきそうだ。

長々と前フリ入れましたが、「花束みたいな恋をした」の感想と考察に移ります。
ネタバレございますので読まれる方はご注意くださいませ。

あらすじ:2015年、大学生の山音麦と八谷絹は明大前で終電を失ったことをきっかけに知り合う。深夜営業のカフェに入り、そこに押井守がいたことをお互い気づき、意気投合する。さらにお互い話していくと二人のサブカルチャー趣味が全く同じなことでさらに意気投合して、後日付き合うことになる。そこから二人が別れるまでの五年間の恋模様が描かれている。

『感想』

既に二人が別れることがわかっていて、恋愛映画では中々ないことなのかなと。
大体恋愛映画って、はじめの出会いは最悪で、いつの間にか惹かれていって上手くいきそうなところで障害が二人を阻みそれを乗り越えて愛を手に入れる。
要は途中で二人はどうなるんだろうという行方を追っていく形が主だと思うのだけど、その結果があらかじめ判明した上でさかのぼって追いかけさせる。
なぜ二人は別れたのか。最高の出会いだったのに何があったのか。
観る人は二人の5年間の心の揺らめき、恋の切なさ、もろさ、美しさを一緒に追っていく形になる。だからすでに始まってから胸は少し苦しかった。
こんなに笑顔でこんなに共通の話題で盛り上がっていて、でもお互いその偶然にうれしいながらも戸惑いながら、初々しく距離を縮めていくその様子が暖かくて苦しかった。
男女の恋愛における価値観の違い、二人でいること、生きていくことがどういうことかの考え方にズレが生じていた。
そんな2人のマインドがとてもリアルで作品中の特別な演出がなく、さらには麦と絹を演じられていた菅田将暉さん、有村架純さんの馴染み方がより涙を誘った。
同居していた部屋の中での言い合いや、別れ話の時の相槌、空気感。なるべく全体をうるさくしない作り。それら一つ一つが二人の忘れられない五年間のピースになっていて、それは恋愛経験ある人なら必ずはまるものになっていた。
何してるでもない時間が楽しかったり、でも将来への不安を抱えてたり。
心に秘めているものは誰にでもあって、それとうまく付き合いながら生きてくしかなくて、分かり合えない部分をどう緩くしていくか、固結びのままだと、ほどけることのない気持ちは涙でより固くなって忘れられなくなってしまう。
人間な二人を見て僕は自分が人間であるのかわからなくなってしまった。あんなに笑って、あんなに悩んで、あんなに泣いて、あんなにまた笑って。人生で一番濃い瞬間を作れた二人がとてもうらやましかった。そんな羨望もあってスクリーンはとてもキラキラしていた。

ここまでは作品を観て感じたことを書きましたが、この後の考察では散りばめられていた、別れるヒントを探っていこうと思います。最中にいると見えてこないものを我々が見つけてあげる事になります。


『考察』

二件目のお店

終電を逃して、夜遅くまでやっているカフェでお互いの共通項が多いことを知り二件目のお店で、話に花を咲かせる麦と絹。途中絹が電話に出るため席を外したと同時に、同級生の女の子がと何人かで入店してくる。麦がいることに気づき声をかけてきた。誰かといるのか問われた麦は少し答えに困る。
その同級生は自分たちの席で一緒に飲まないか、麦を誘う。まぁ戻ってきたら事情を話せばいいか位で席に付くと、絹が帰ってきた。
その状況を見た途端、急いで荷物をまとめて店を出る絹。その様子を見て慌てて追いかける麦。
ここからすでに始まっているのだけど、絹は二人の楽しい時間が心地よかった。絹は「共有の時間」をとても大切にしている人なのが良くわかる。なのに、不意に訳わかんないうちにがさっと奪われてしまったもんだからたまったもんじゃない。
その後誤解が解けて麦の家で見た、ガスタンクの動画だって絶対見たいものじゃなかった。この人の感性を共有したい、そんな乙女心というやつ。


イヤホン

ファミレスで二人が有線イヤホンで曲を聴いていると、隣の席のおじさんが「あんたら音楽好きじゃないでしょ」と指摘をしてきた。聞いてみるとイヤホンは右と左で違う音が流れてると教えてくれた。だから同じ曲を聴いているようで実は別々の曲を聴いているんだ。それは自分たちでは気づかない。同じ方向を向いているようで実はお互い違う考え方をしていた、そんなふうに捉えられる。後々、ワイヤレスイヤホンをお互いプレゼントし合うのだが、それは一見ちゃんと自分で両方の音を聞くことができるので解決かと思いきや、今度はそれぞれの耳を塞いでしまう。意見をいくら述べても聞こえなくなって、結局相手の考えは入ってこなくなる。作品冒頭で恋は一人につき一個ずつと二人がそれぞれの恋人に述べているが、それは、違う考えをお互い持っていることを理解した上で付き合うのが大事とも聞こえる。
付き合うと似てくる部分もあると聞くが、それはあくまで表面上の言動だけに過ぎず、心の奥のその人の深層は揺るがないから、付き合うということは仲がいいってだけじゃ上手くはいかないことがここで見えてくる。


夢と現実

デートの後、ファミレスで語り合う二人。そこに店員が話しかけてきた。自分がやっているバンド(Awesome City Club)の宣伝をしに来た。音源を聴き、気に入る二人。それから一年、また一年と順調に活躍していくAwesome City Club。その様子をPVで見て感心する二人だが、それと反比例するかのようにすれ違う日々を過ごしていく。
麦と絹は働き方に対しての意見が真っ二つに分かれていた。嫌なことでも今の生活、今の環境を維持する為に仕事をする麦と、好きなこと、楽しいことを仕事にしたい絹。麦は営業や、トラブルの対応で疲弊し、生活のほとんどを仕事のことに費やしていた。一方絹は、趣味や好きなことを生かせるイベント会社へ転職する。後々そのイベント会社主催のライブにAwesome City Clubが出演することになった。二人で活躍を追っかけていたはずのバンドと一緒にかかわったのは絹だけ。これは、自分のやりたいこととブレずに生きていた人同士が引き合う一例に見える。


ずっと一緒にいるという考え方

二人は別れを選んだ。ファミレスで話を進める。でも話の最中に麦は結婚を申し込んだ。だけどそれは「妥協」でしかなかった。周りを見ればそんな夫婦たくさんいる。自分たちもその中にいればいいじゃないかと。絹は半ばあきらめ気味でその話に賛同しようとした時、若い男女が入店してくる。二人のやり取りに自然と目が行く麦と絹。それは、出会って間もない二人を映しているようだった。たまらなくなり感極まり店の外へ出て行く絹と後を追う麦。二人は抱き合い、別れた。あの楽しかった頃のようには戻れない。自分は同じ気持ちのままでいたと思っていたのにすっかり変わってしまった。それに絹は入ってきた二人を見て感じたのかもしれない。今の自分との差に感情が抑えられなかった。それを見て麦も泣くんだけど、絹の様な理由ではないのかと思った。ずっと一緒にいる事が叶わなかった点では同じだけど、麦は絹と一緒に居れないという悲しさの方が大きかった。若い2人の初々しいやり取りで、あの時の自分たちを思い出し、感情が抑えられなくて泣いた2人。その中には近くて違う最後の最後まですれ違った心が見えた。


『まとめ』

Twitterでもつぶやいてる方がいらっしゃったのをお見かけしたんですけど、麦は自身のイラストが必要な場にもっといけてたらもう少し関係は変わってたのかなって。今は特に広まるツールとして、SNSは欠かせないものになっているから、あの時その文化がもっと活発だったら、麦のイラストも拡散されて仕事としてやれたのかも知れないなと。でもそうじゃなくても、恋は1人につき1つとされているから、すれ違う分には変わらないのかな。ころころ変わる周りの環境の中で何を強く持てるか、揺らがないものはあるか、相手とどう生きていきたいか。言ってるだけで悩ましい。思いやるっていったって簡単なもんじゃない。楽しいだけじゃままならない。上手くいってるようでもがいて苦しんででもこの人と居たくて進む人とどうしても居られなくなる人といて、同じ生きものなのにどうしてこうも違うのか。でもやり方分かっていつも同じ攻略でクリアしてく作業ゲームみたいなのよりはのめり込むものなのか。恋愛って激ムズだから皆挑戦したくなるのかな。みんな勇者だ。





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