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映画感想【樹海村】

「呪怨」一度は聞いたことあるだろうこのタイトル。観たことある人はタイトルを見ただけで鳥肌が立つにちがいない。邦ホラーを牽引しているといっても過言ではないこの作品を生み出した、清水崇監督の最新作「樹海村」が2月に公開された。自殺の名所として有名な富士の樹海。ネットの都市伝説で読者をその禍々しい内容から検索してはいけない言葉といわれたコトリバコ。この二つが題材となり今作は誕生した。

あらすじ
それはあまりに強力な呪いの為、樹海の奥深くに封印されていた。
だが時を経てそれは響、鳴姉妹の前に現れた。それをきっかけに周りで起こる不審な死。この連鎖を止める方法はあるのだろうか。

感想

前作の「犬鳴村」のヒットを受けてすぐに制作に取り掛かった今作は村シリーズの第二弾という位置づけ。犬鳴村も非常に有名な心霊スポット、都市伝説だが、すでに認知ある題材だとどうにもハードルが上がってしまう。そしてそれは中々越えられないものだったりするのだけど、蓋を開ければ、子業収入が10億円を超えたニュースを見て、話の認知度の高さと邦ホラーの底力を感じた。避けられない血筋の宿命と向き合うことになった主人公の奔走と霊の描写のすばらしさが特に好きだった。
そうすると「樹海村」は更に期待を背負うことになるのだが、そんな気持ちをあざ笑う作品になっていた。まずはコトリバコの可視化。ポイントになる、禍々しさをしっかりまとったデザインになっていて、置かれているだけでそれはとてもよくないものがよく伝わる。関わった者は軒並み命を奪われるその負の連鎖は、安堵の隙間を与えてくれなかった。そのコトリバコが生まれた場所として現れるの樹海村だが、それは樹海の中央に鎮座する小さな集落で朽ちた様子がまた不気味な空気を漂わせていて、存在感がとてつもなかった。次に樹海。そこは入るものを拒まず、無数の木々が取り囲むことで作られる特殊な空間が予測できない恐怖を与える場所でもあり、どこか神秘性にもあふれている場所だ。だが不意に訪れる静けさが目の前の不安を誘い、人を狂わせる。美しさと底知れない不安が同居する唯一無二のスポットなのだ。昼間のロマンあふれるロケーション、夜のすべてを吸い込む闇の奥深いロケーション、その表裏が楽しめる映画だ。

ここからは映画(小説版も読んで)の考察をしていきます。楽しんでいただけたら幸いです。

考察

ネットのコトリバコとは別物

今作のキーアイテム「コトリバコ」はコトリバコではない。細かく言うと似た呪物の箱だ。本来のコトリバコは効果として、置いた家の女系、子供に発揮される物であって、男、またはもう子供を作れなくなった女性には作用しないとされている。要は、その家系が途絶えるようにする狙いのもと作られている。そして、その呪いにかかったら、とんでもなく苦しい死に方をしてしまう。だが、今作の呪いの箱は、限定的ではなく箱に関わった人すべてに作用する。触れた者は男女関係なく呪いがかかり、さらにはその周りの人にまで影響がある。箱に狙われたら、左手の薬指を失い、魂をそのまま持っていかれるか、自殺のようなことしてしまったり、樹海に入りそこで命を落としたりと、パターンが多い。作られた経緯も少し違っていて、コトリバコは、外部からきたある男が村の迫害から逃れるために作り方をおしえた。
今作の箱はすでに迫害された者たちが集まって形成された樹海村で周りへの復讐の為に作られたもので、向けられた意識が違う。
なので今作に出てくる箱はあくまで樹海村でつくられた呪いの箱ということになる。
ただ、素材としてコトリバコがあるのでこの話がなければ今作も生まれていなかったかもしれない。


薬指がなくなる理由

箱に狙われた人は、必ず左薬指がなくなっている。
多く知られているのは婚約指輪の意味だろう。永遠の愛の誓い。
左薬指には心臓につながる血管があるらしく、とても需要な場所としていわれている。ただ、まだ意味はある。薬指は指の中で一番使わない指で汚れが付きづらい神聖な指ともいわれている。(小説版参照)樹海村へ入るには薬指をささげないといけない。神聖な指をささげる事で村への忠誠を誓わせる狙いかもしれない。また、左手の薬指の切断にはカルマ的、霊的な意味も含まれているようで、その行為にそもそも業が入り込んでいる。その業とは樹海に追い込まれた者たちがされてきた酷い仕打ちの数々。それらの憎しみを込めたもののように思える。


呪いの箱が置かれる共通項、因果

そもそも、なぜ箱が置かれているのか、それはランダムなのか、何か理由があるのか。映画の中の登場順で挙げると、鳴、響の幼馴染である輝の新居となる家、天沢家、鷲尾家に箱は移っている。これを時系列順にすると天沢家→輝新居→鷲尾家になる。共通項を考えるにあたって、天沢家の過去を知る必要がある。鳴、響の父方の祖父は富士裾野にあった小さな村出身でそれを恥じていた。(小説参照)その小さな村とは、おそらく作中で少し語られている、人減らしをしていた村だろう。祖父は子供の時にその様子をずっと見ており、大人からはお前もいつかはやることになると言われていたかもしれない。仕事が満足にできない5体不満足な人々を無慈悲に山へ捨てる非道を当たり前にやっていた。そんな連中を祖父はひどく恥じており、周りから出身を聞かれて答えた時の反応も耐え難いものだったに違いない。そんなコンプレックスを抱えたまま祖父は突然死んだ。天沢家はその祖父が建てたもので、残された祖母がもともと一人で住んでいて、そこに響たちの母親の琴音が子供を連れてやってきた。ちなみに琴音の両親、響たちの父親もすでに亡くなっている。
そこに呪いの箱が出現したということは、祖父の生まれた村に迫害を受け、樹海で暮らすことになった人間たちが狙って置いた可能性が強くなってくる。祖父の血縁を絶やす復讐のために。
続いて輝の新居になる家。すでに箱が軒下に置いてあり、不動産屋は前の入居者が置きっぱなしにしていたものだろうと言っていた。前の入居者は、若い夫婦で奥さんの方が急に家を出てしまったという。おなかには子供もいた。もしかしたら、その奥さんもたどっていくと祖父祖母のどちらかがあの村出身なのかもしれない。またその家系も根絶やしにしようと樹海の住人が仕掛けた可能性がある。しかもそのあとに響がその箱と出くわすのだからそれは必然的な設置に思える。
最後に鷲尾家。騒動の後、鳴と真二郎は結婚し、子供が生まれた。名前はねね。小説の方だと漢字表記されていて音々と読む。ここまできたらわかるであろう因果だが、響が身を挺して生贄になったにも関わらずまだ続いていた。
ねねちゃんも何か感じ取れる子だった。琴音、響のように。だから、より箱に呼ばれる力が働き、鎮座している場所に誘ったのだろう。音々ちゃんは箱に向かって響ちゃんと呼び掛けていた。まだ完全に箱の呪いの力は弱っておらず、響は魂を箱につなげて誰にも気づかれない場所で箱の呪いが収まるのを待っていたのかもしれない。だけど、力のある音々ちゃんが引き寄せられてしまった。だから、最後に箱から響の声がした。
箱の呪いは想像以上に根深かったのだ。あの後、鷲尾家は一体どうなるのか。
鳴はまた樹海に足を踏み入れることになるだろう、娘を守るために。

この話は迫害を受けた者たちと迫害を行った者たちの永遠回り続ける因果の物語。


まとめ

この作品はJホラーとしては、とてもスケールが大きいもので、これから先も村シリーズが作られるとしたら相当カロリーが高いことをやらないとファンは満足しなくなってくるかもしれない。だけど、まだアプローチの幅は持たせてあるような気がしてならない。Jホラーもやりつくされているようでまだまだ怖さを追求できそうなジャンルだ。人の恐怖はどこに転がっているかわからいから。
また、ホラーの根源の一つにはもちろん対象への憎しみ、怒りがあるが、他に悲しみ、報われない悔しさなどの力のない者の訴えもあったりする。
いわば弱者のへの寄りかかり場を提供している要素もある。樹海村も社会的弱者を排除する悲しいバックボーンをかかえているので、そこに意識が向くと怖がる場所は違ってくる。
そうやって楽しみ方を増やせるのがホラーだ。観ている時はそれどころじゃないとは思いますが。

しばらく下火になっていたJホラーは中田秀夫監督の「事故物件」、清水崇監督の「犬鳴村」「樹海村」で息を吹き返した。だが、それは手放しで喜べることではなかった。あるウェブサイトのインタビューで清水監督が答えていた。Jホラーが連続で当たったのは中田監督と自分の作品。新しい人が出てこないと本当の意味での盛り上がりとはいえないと(簡略して書いてます)
そう、この挙げた3本はすでに90年代終わりから、2000年代に作られた「リング」「呪怨」の監督なのだ。つまりはその二本のヒット作を生み出した監督たちによる救いでしかなかった。
そのあとに清水監督は自分たちが驚くような発想のホラーに日本で出会えるのを楽しみにしているとも答えていた。そんな人が生まれたら、よりJホラーはカルチャーとして広まりを見せるだろうし、また重鎮たちの新作も拝めるにちがいない。

ホラーのいちファンとしてこれからもいろんな作品に触れていき、そんなJホラーの未来を心待ちにしていきたいと思う。

なんなら出たいよ。最後営業。

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