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劇場配信「無観客ライブ」は観客自ら没入感を高めよ

6月に入って、ようやく劇場に灯がともった。制限付きの灯であるが、本多劇場グループを初めとして次々と無観客公演がリリースされた。


わたしも早速、本多劇場「DISTANCE」へ、久しぶりに劇場を感じたい、その思いで(オンライン上で)劇場に向かうことにした。

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演劇人も観客も一日もはやく演劇が元の状態に戻ってくれることを切に願っている。だから、無観客配信という形ではあっても、劇場に灯がともったことは前進だし、幸せな気持ちになれた。劇場で生で観る本来の演劇体験とは異質なものであったけれど興行そのものに感謝したい。本来の演劇体験と比べ、(舞台⇄観客という)演劇体験において何か物足りないところがあったとして(事実あった)、物足りない部分を(舞台側に要求するのではなく)観客側で自ら妄想をたくましくして埋めるようにしたい。依然として演劇が文化としてピンチである現時点で、観客も不満を垂れてばかりはいられない。(舞台⇄観客で成立する)演劇文化の片側の担い手としての観客論。

1.オンライン観客が「劇場不在」である意味

ただ、そこで目にしたものは、喩えて言えば、長らく重病に苦しんだ「演劇というメディア」が、闘病生活から快復傾向にあり、元気だったころの顔をちらっと見せてはくれたものの、どこかまだ顔色が悪く万全な健康状態ではないものであった。

そんなの当たり前の話だろ、と言われるかもしれない。だって、観客としての自分が劇場の席にいないし、間近に役者を感じられない時点で演劇の本質である「皮膚感覚の感動」がないのだから。いつもの観劇体験とは言い切れないのだから。無観客公演は「演劇」の完全復活に至る過渡的なステップであって、劇場側も制作者側も理想的な演劇公演とははなから想定していないだろう。そんなことは、最初からわかっていた。

何が物足りないのか。無観客公演は「観客の声がない」のである。いつもなら舞台上の役者の一挙手一投足にリアクションが起こる。いつもなら声になる。中劇場の空間の中で、いろいろな場所で笑いが漏れ聞こえるはずだ。それが皆無であると、コンテンツとして不完全な感じ、欠落した感じに思えた。

「観客の声が無い公演」を観ていて、いかに演劇は観客の反応をベースにして成立しているのかということを改めて思い知った。観客側から舞台役者への瞬時の反応レシーヴとして、「笑い声」が一番わかりやすく伝わりやすい。自分の周りに座っている見知らぬ観客たちがどよめくことで、自分の気持ちもノせられる。あるシーンでは、自分が笑いをリードして周囲の観客に伝播させ、別のシーンでは、赤の他人の大爆笑につられて自分も笑う。また「笑い声」だけでなく、観客はいろいろな空気を舞台へレシーヴする。「静まり返った緊迫感」だったり、「ほんわかした気分に包まれた穏やかな空気」だったり。(舞台⇄観客という)相互コミュニケーションが重要であり、今回はそれが不在に見えたのだ。

では、古いアメリカのコメディドラマのように笑い声自体をガヤとして音響効果として入れればよいか、と安易な発想も浮かぶが(ガヤそれ自体で笑わせるコメディ演出でない限り)それは演出として正解ではないだろう。観客はどう反応するのかと観客にジャッジメントを求める作品の場合、観客のリアクションを音入れするのは邪道だし、立ち会ったスタッフが漏らす笑い声を吹き込んだりするのも、サクラ演出であざとく見えることもある。

今回同じように「観客の声がなく」なった、スポーツ観戦はどうだろう。先日、プロ野球のオープン戦が無観客となり、声援や鳴らし物がなくなり、プレー音だけが快音を響かせる映像を観た。その時に直感的に感じたものは「演劇における欠落感」とは異なる感覚だった。ボールがキャッチャーミットにおさまった時の音や、バッターボックスに立った大好きな選手がバットでボールの芯を捉えて、叩き潰すように打ったときの快音は、ある意味で「聴きたかった音」を剥き出しにしてくれた。原始的で丸裸の野球を観ているかのような「別の楽しみ方」ができそうな気がした。もちろん、私も大のプロ野球ファンなので、無観客は淋しい。球場に応援に行けない辛さも味わう。仮に、大好きな球場観戦はお預けだったとしても、剥き出しの野球音をテレビ観戦できるのは悪くないと思っている。

2.そもそも演劇を映像で観るハードル

相互コミュニケーションの話を持ち出したらところで、そもそも演劇を映像で観ること自体の問題に触れておかないといけない。舞台映像それ自体はなくてはならないものだ。劇団新感線のゲキ×シネを持ち出すまでもなく、昔から、NHK BSやCSで上演された演劇公演の模様を収録映像として後日TVが放送してくれていた。舞台を生で観劇した時の感動とは、異質なものになってしまうのだけれど、それでも映像は映像として楽しめる要素は確かにある。ややネガティブな点とポジティブな点を並べてみる。

演劇を映像で観るとき、わたしには以下三点で別コンテンツになってしまうのだ。演劇は目の前の観客のために立体的に演出され創られたものなので、映像になった時点で生で仕掛けた演出が少し活きなくなったり平板化したものになる。観客の舞台への眼差しも(アップ画面や引きの画面など)編集されて与えられてしまうので、劇場で自分が自由に動かしていたアクティブな視線でなくなる。そして自分にとってかなり重要なのだが、映像の中の客席には自分が座っていない。映像の中の観客は笑ったりしているのだが、その中に自分はいない。自分の生のリアクションを舞台の役者に届けるインタラクティブなコミュニケーションはあらかじめ奪われているのだ。この「演出の平板化」「視線の固定化」「観る自分のインタラクション欠落」という三重苦の中で観ることになる。

逆に映像だからこそ面白い鑑賞ポイントもある。役者の顔をアップにしてくれることで表情が見えたり、舞台美術の細部が見えたりすることもある。特に自分が過去に生で観た演劇を、TVで再視聴するのが私は好きだ。それは先に生で観ているから、あらかじめ舞台の奥行や空間構成が自分の記憶として多少残っている。距離の尺度や、間合いが頭に残っている。役者の立ち位置や息遣いも観るときの補助になるくらい、無意識下に断片として残っているのかもしれない。だから生で観た時点の気持ちの動きをトレースしていて、感動を引き戻せたり、増幅したりできるような気がする。

3.自宅の観客に向けて発信されている

では、TV番組として演劇収録を観るのと、今回の劇場無観客生配信は同じなのか、違うのか。TVの収録には観客席に座る(自分ではない)別人たちの笑い声が入っている。劇場無観客生配信には観客の声はない。そう書くと、TV収録の方が(声がある分)まだエンターテインメントであるように思えるかもしれない。

いや、違うのだ。

誰に向かって演じているのか、ということが大切なのだ。TV収録はかつて客席にいた人たちに向けた演劇だ。それに対して劇場無観客生配信は、今ここでオンラインで観ている私を含む観客たち。自宅オンライン観客に向かって演じられているのである。

オンラインというバーチャル客席。そこからは他の観客の声が聞こえない。それをネガティブに捉えず、自分ひとりに対して演じてくれている、という錯覚を持ってもいいではないか(笑)。オンラインという場の特性を逆に利用して、役者の演技を1対1で堪能できると錯覚する。貸し切り劇場だ。物足りなさを穴埋めして新たな感覚を味わうためには、自ら没入感を高めるべきなのだ。

4.観ている自分を演出したくなる

没入感を高めるために、観る側の準備を整えよう。まず部屋は完全暗転の劇場のように真っ暗にする。PCを起動して、部屋の明かりは唯一PCモニターの灯だけおして、無観客で配信してくる劇場の舞台照明だけをきちんと感じるようにする。その画面に顔を近づけて自分の全視界を劇場空間にする。部屋の要素を視界から除く。日常要素をとことんのぞいていく。

次に、少々お酒を入れて頭のねじも緩めておく。無観客で周囲から笑い声が聞こえてこないのはわかっている。ほろ酔い気分で自分自身が直感的に笑えるようにしておこう(笑)。自分笑いで高揚したまま、冷静にならずに酔い続けられたら、こんなスペシャルなOneToOne演劇空間は他に無い!かもしれない。言ってみればこれ、観客としての自分を演出することなのだ(笑)。

本多劇場DISTANCEと同じ週の金曜日、柄本さんのひとり芝居が「浅草九劇」からの配信であった。「浅草九劇」はこの状況の中でいちはやくオンライン配信型の劇場として生まれ変わっていた(8台のカメラで生放送中に視界をスイッチングする)。あの名作『煙草の害について』をやるという。この芝居は過去に下北沢で観劇した経験がある。

よし! なるべくあの世界に没入しよう。

その晩は、柄本明ひとり芝居を、ひとり観客の貸切劇場と妄想する。自分を没入させる準備もそこそこ功を奏したのか、匠の演技と息遣い細部に酔い痴れることとなった。……しかし。

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5.没入できたが、物足りなさは残る

舞台ひとり、観客ひとり。相手は伝わろうとし、こちらも受け取ろうとする。舞台⇄観客の反応を相互に届けることはできなかった。これは仕方のないことだ。公演前インタビューで柄本さんが語った言葉は的を得ていて深い。

ー この状況を楽しんでいらっしゃるのではないですか?        柄本「いや、ぜんぜん楽しくないですね」               柄本「やはりお芝居はやる側とみる側がいて、その中に生まれる空気を楽しむものだと思う

いろいろな舞台と、空気のキャッチボールをする、遠くない日に戻ってくるのだろうか。

資料)会見レポート

資料)浅草九劇のバージョンアップ



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