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「自分自身にありがとう」と言えてますか?

「あなたの人生で大切な人は誰ですか?3人教えてください。」

この質問は私が世界を周っている時にスリランカにアーユルヴェーダを受けに行った際にグループレクチャーでドクターから一番最初に受けた質問です。

この質問、読んでいただいているあなたはどうでしょうか?

実はこの質問はたった一人の人物が入っているかどうかを確認するための質問だったのです。

ドクターは続けます。


「その中にあなた自身は入っていましたか?」


生まれてから死ぬまで一生を共に過ごす自分自身が大切な人の中に入っているか、否か?

私には「自分」が入っていなかったので目から鱗の感覚でした。

隣のドイツ人のマリアは即答でMy self(私自身)と答えていてびっくりした記憶と共にとても印象に残っています。

私が滞在したアーユルヴェーダの施設オーナーのドイツ人社会事業家のウルシアさんと。
この人からいただいたメッセージは年を重ねる度に人生の指針となっています。
「Just to be. Everything is prepared.」


自分へのありがとうが才能を開く


私は会社員の時にノート一冊ありがとうで埋めて、その時に生まれてはじめて自分という存在に感謝するという経験をしました。

当時の私はとても疲弊していて人生に迷い、自分をケアするために産業カウンセラーの資格を取ったりと色々ともがき苦しんでいた時期でした。
そんな中、藁にもすがる思いである本に書いてあったことを素直に実行したことがきっかけです。
(今振り返ると精神的にギリギリだったんだなと心底思います。よくぞご無事で。)

ありがとうと言いながらありがとうを書いていると不思議なもので自分の外側に感謝が広がっていきます。
心が落ち着き平和になって心地良いフェーズです。

最初は人に対して感謝の気持ちがわいてきます。
家族や友達、お世話になった人など。
そのうちそれらの人が出切ると嫌いな人などにも感謝が拡がります。

いよいよ自分の知っている人が一通り終わると次に「物質」へと感謝の対象が拡がっていきます。

書いているノートやペン、椅子や机など自分の周りにある当たり前のものです。
最終的に空気などにも感謝が広がっていきました。

そしてちょうど「ありがとう」が10,000個を超えたあたりで、あることに気づきます。

あれ?
私は「ありがとう」と言いながらノートにひたすらありがとうと書いてるけど、そもそも自分という存在がいないとこの【ありがとう】って書けないよな。

これまで当たり前過ぎて気にもとめていなかった【自分という存在】に対して生まれてはじめてありがとうと伝えて気がつくと自分を抱きしめていました。

すると今まで外側に向けて書いていた「ありがとう」が、自分の内側に逆流してくるのです。

その瞬間、持っていたシャーペンが自動書記のように走り出しました。

その時に書いた言葉がこれです。

【自分へのありがとうが才能を開く】

自分に対して生まれてはじめてありがとうと伝えた時に自動書記した走り書き


実はこの言葉の意味を理解するのに10年かかりました。

その後、東日本大震災が起こり、会社を辞めて世界を旅して、様々な出会いを経験をし帰国後にプレゼンテーションイベントを発足。
同時にパートナーと会社設立して動いていく中でご縁あってフィリピンやネパールなどで現地の行政と連携して子どもや若者のキャリア支援や国内の各種学校や行政と共に様々な状況の子どもや若者と関わることが増えました。

気がつくと自分という存在に生まれてはじめて感謝してから10年が経っていました。
ご縁いただき府立高校で通年授業を担当させてもらい3年が経とうとしていた時でした。
昨年末、それらの経緯を振り返るタイミングをいただきました。
事業や活動をする中で国内外の方々から色々な手紙いただきます。

それら一つひとつを個別に見ていても気づかなかったのですが、並べて俯瞰した時に一つの言葉がキーワードが共通していることに気づきました。

それは「才能」という言葉です。

「自分へのありがとうが才能を開く」
と書いた当時は、自分の才能が開くということかな?となんとなく思っていました。

あれから10年経った私の解釈は
「自分へのありがとう」によって自分の人生の主権を取り戻した私が会社を辞めて世界を周って様々な出会いと経験を重ねて、事業や活動を振り返った時に出会った人々の才能を共に見つけたり開花していくお手伝いをしていていんだということが浮かび上がってきました。

浮かび上がったという表現は、はじめからそれを意図して行動をしていなかったからです。

むしろ自分の役割や才能って一体何なのだろう?と迷いの中で常に模索しながら目の前の人にできることを必死でしながら動いていました。

ご縁にご縁が重なってそういう足跡になっていました。

「自分へのありがとうが才能を開く」は人の才能を開くお手伝いをするということだったんですね


「自分にありがとう」と言える人が増えてほしい


今、私たちは「自分を知り、個性を認め活かしあう共存共栄の社会をつくる」という理念を掲げて日々動いています。

なぜそれをするのか?
と問われると「自分にありがとう」と言える人が一人でも増えてほしいからです。

かつての自分のように(今もたまになりますが)、またこれまで出会った自分の才能や長所に気づく前の方々のように、自分に対して無意識に責めていたり、馬鹿野郎と言っている人が、自分に対してありがとうと言えるようになると、傲慢でなくしなやかな自信がつき、自分や人に優しくできるようになり、その過程で才能が開花していくことを何度も目の当たりにしてきました。

ご縁いただき、そういったかかわりをやればやるほど自分たちのことを必要としてくれるタイミングの人が明確になってきます。
反対に特に必要がないタイミングの方も明確になります。

無理なく自然に求められる方と繋がり、その人が自分にありがとうと言えるかかわりをつくりたい。

個性分析や研修などの事業、学校での授業や自治体などでの活動はすべてそのための手段としてやっているんだなと先日敬愛する経営者仲間の戎健太郎さんに話を聴いてもらって腑に落ちました。

「自分へのありがとうが才能を開く」

だからこそ、私は自分にありがとうと言える人が一人でも多く増える社会をつくりたいです。


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