個性は短所から長所に成長する~私の個性成長~
自分が当たり前にできると思ってることは意外と人はできないことが多いです。
これは自慢でも何でもなく、事実として。
もちろん逆も然りで、私ができないことをその人の中ではできて当然と思っていることも沢山あります。
人はそれを才能と呼びますが、いかんせん本人は気付いていない。
私も自分の才能に気付いていませんでした。
何故か?自分では当たり前すぎて。
だから大切にしようと思いました。
明らかに与えられたものだからです。
私の才能は「相手の気付いていない、いいところを見つけて伝えることができること」です。
ただ、いきなりできるようになった訳ではありません。
短所で苦しむところから長所へ成長するプロセスがありました。
「自分にないものではなく、あるものを数えましょう。」でもどうやって?
上記はよく言われる言葉です。
実際に数えてみると「自分にあるもの」って目に見える物質以外はそんなに数えられません。
「ない」と思うものも、「ある」と思うものもすべて 「比較」からきてるんですよね。
自分と「何か」「誰か」を比べてはじめてわかるもの。
ないものは簡単に見つかるけど、あるものはそもそも気付いてないから見つからない。
見つからないから、数えることができなくて自分には「ないない」と思い込んでしまう。
ここからが大事なところです。
逆転の発想で「自分にないもの=人が持ってるもの」だとしたら?
「人が持ってるもの」ってめっちゃ簡単に見つけられます。
・「あの人にわざわざ、そんなこと言うのイヤだよ。」(正直、その人との関係にもよりますよね)
・「当然相手もそんなことはとっくにわかってるよ。」(たぶんこれが一番の理由)
でもですよ、もしかしたらその人がその人の凄さに気付いてなかったとしたらそれって凄くもったいなくないですか?
「無知の知」を自覚することから始まる
人はなかなか自分だけで自分の才能に気付けないものです。(上図の左)
他者からの視点を活用して(上図の右)の状態でいられるといいし、自分もそんな役割を果たせたならどれだけ素敵でしょう。
無知の知=素直さは成長の基本であるとハッとさせられます。
自分の個性が短所から長所に変わったターニングポイント(生徒一人ひとりへの手紙)
私は公立高校で3年生に向けて年間を通して授業を行っています。
今年で4年目になりますが、初年度から最後の授業で一人ひとりに宛てた手紙を渡しています。
手紙の内容は何か?
それは1年間通してかかわった私から見た生徒一人ひとりの「羨ましい」ところです。
私は人と比較しては、羨んで嫉妬したり、勝手に落ち込んでばかりの人間でした。
そのベクトルを自分の中に向けている限りは結局自分批判ばかりで特に誰かの役に立たない資質です。
いわゆる短所です。
しかし、その資質のベクトルを自分の外の人に向けるとどうなるでしょうか?
人の気付いていない才能や長所を発見する力として役に立ちます。
そのことに気付いたのは生徒との何気ない会話の中でした。
「〇〇くんの☆☆なところってめっちゃいいよな!うらやましいわ~。」
当然相手は自覚しているものだと思っていたのであえて言葉にもしなかったことを伝えた瞬間、その生徒の顔がぱぁーっと明るくなりました。
「ほんま?!先生、俺そんなん言われたんはじめてや!それめっちゃ嬉しいなー!自分ではそんなん当たり前やと思っててたから全然何とも思ってなかった。」
自分の人一倍人と比べてうらやましいと思っていたことがこんなカタチで役に立つとは!?
今まで散々自分を苦しめてきた個性が人の役に立った瞬間でした。
同時に個性は短所から長所へ成長していくことを自覚した瞬間です。
それから人の個性を徹底的に分析して確信を持って接するようになりました。
実際に私が書いた手紙を受け取った生徒からの色々な観点からの気付きのメッセージをいただきます。
人を見て「いいなぁ」と思える人は豊かさや才能を見つける天才
自分の才能に気づいていないのは自分だけ。
あの人の才能に気付いているのはあなただけかも。
それは「自分の持っていないもの=人が持っているもの」だから「人が持ってるもの」ってめっちゃ簡単に見つけられます。
人は驚くほど自分の素晴らしさをわかっていないし、価値を感じていない。
あなたの内に響く、「いいなぁー、いいなぁー」はあなたに気付いて価値を伝えてほしい、その人の才能からのメッセージかもしれません。
私からしたら世の中「いいなぁー」だらけです。
私たちは「自分を知り、個性を認め活かしあう共存共栄の社会をつくる」ために本気で個々人の才能を開く(タレンティズムの推進)お手伝いとして個性分析を行なっています。
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