それでも腹は減る

最近、ある友人を亡くした

「あのさ、話しておきたいことがある」
中学の友達からきたこのLINEからこの事実は告げられた

まさに青天の霹靂だった。
正直、最初は何を言ってるのかよくわからなかったし、悪い冗談がすぎると思った。

言葉が出ない。こんな時に人はどんな顔でどんなことを言うのか、不意にそんなことすら気にしてしまう感覚があった。

その連絡を受けた直後は、案外冷静だった。
「あれ、喪服とか持ってないな。」
「あいつに、伝えないとな。」

その友人は、中学の同級生で、よく同じグループでバカをやった仲間だった。中でもそいつとは、もう一人の友人と3人でなにかと遊ぶことが多かったように思う。
そいつに伝えなきゃ、と思った。

切り出し方もわからなかった
「話せる時に連絡して欲しい」
「伝えないといけないことがある」
こういう切り出しだったと思う

結局電話で伝えることはできず、
LINEの文面で伝えることになった。

「あいつが昨日、亡くなったって」
自分で文字を打ちながら、冗談くさいこのセリフに変な気持ちになったのも束の間、
震えが止まらなくなった


あぁそうか、受け止めれてないんだ
一緒につるんだ友人に伝えたその時になって初めて、僕は自分が混乱していることに気がついた

言葉に詰まる友人に、
今度は僕が事情を説明する

そんな立場になって、事実を口にして初めて、
あいつは本当にいないのかもしれないことに
気がついた


友人と死別した経験なんてない僕は、そのとき
改めて、死因がわからない友人が解剖されているという言葉の意味、現実を少しだけ理解した

その日はもうダメだった
彼女にはとても迷惑をかけたことと思う


それでも、僕はまだこの現実をまだ半分も理解できていないんだと思う
実際にあいつに会うまでは

次の日は、やらなければいけない仕事があった
うまくやれるか不安に思いながら、
仕事に向かう

人にあって、違う話をする
重要な仕事の話も、たわいもない最近の話も。

ここでまた、僕は混乱した。
あいつを亡くしても、意外と世界は変わらない

ましてや、僕も。

気が紛れているのか、案外僕は薄情なのか、
ちょっと仕事に集中できなかったりする程度で
自分が、ここまで日常をこなす上ではなんら問題がないことに失望すら覚えた。

腹が減ったら飯も食うし、
ネット漫画だって読む

別に何も、なんでも学びにこじつけようとか、
糧にしようなんてカスみたいなことは思わない

ただ、
あいつがいなくなっても、
世間は当たり前のように回ってるし、
俺もこれまでみたいに生きていく
当たり前だけどそんなことがちょっと悲しい

俺もそう
俺がいなくても、世間は回る

だけど、残されたぼくたちは、
やっぱりあいつを想うと、会いたいと思うし、
すごく苦しくて悲しい
もっと悲しんでる人も沢山いる
この気持ちを表せる言葉は持ち合わせてない

言葉は選ばなきゃいけないけど、

俺が一人いなくても、世界は回るし、
なくても困らないのかもしれない

でもなくても困らないものにこそ、
愛しくて尊い大切なものがあるんだと思う
ダメだ不謹慎かも、うまくまとまらない
ご遺族には見せられない

なぁ、尾崎
お前がいなくても、腹は減るよ。
だけど、寂しいし会いたいよ。

死ぬ前にお前と荒木とで3人で飲めてよかったよ。

まだこの色々な気持ちの全体像は見えていない
あいつに会いに行って、友達とあいつのことを思い出して話したら、何かの整理がつくのかな

最後ぐらい、ちゃんと顔を見て挨拶ができるようにしようとは思う。

そうはいっても、
僕は未だに写真のあいつを直視できてないけど

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