誕生日の話

そんなわけで、45歳になりました。
45歳って!怖っ!
歳をとることに抵抗はありませんが、この一年は4月4日生まれの44歳だったので『4444』のゾロ目期間が終わってしまう寂しさはあります。
『4』は不吉な数字みたいに扱われていますが、個人的には好きな番号です。
不思議と縁もあるんです。
誕生日以外にも、東京NSC4期生だし、初めて一人暮らししたのも〇〇4丁目だし、初めて決勝に出たM-1も2004年の第4回大会だし、とか全然イヤじゃないです。

ここからは、散文的に…。
4月4日生まれなので、新学期が始まったときは同級生より一つ歳上状態でスタートです。
これは、あまり嬉しくなかったですね。
夏休み生まれはみんなに祝ってもらえないとか、クリスマス近辺生まれは誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントをまとめられるとかいろいろ聞きますが、僕の場合は地味にイヤでした。
なんか、いきなりみんなよりお兄さんスタートみたいな。

最近に知ったのですが、『定年退職』って60歳?65歳?になった月の月末で退職って聞いたんです。
そうなんですか?
ということは、4月生まれの僕は同学年の3月生まれの方よりも一年近く短い労働期間になるのか?と。
生涯年収で約一年分の差があるのか?って。
違うのかな。
まあ、こういう仕事なので定年もなにもないんですけど。

そして、44歳の最終日ははりけ〜んず前田さんと天津向飯太郎くん(飯太郎ってなんやねん!)と飲ませていただきました。
前田さんは誰よりも早く「ポイズンおもろい」と言ってくれた恩人であり心の師匠。
向くんは東京と大阪の違いはあれど、同期で同い年の戦友。
そんな方々と飲めて幸せでした。
何を語るでもなく、ただただお笑いの話。吉本の話。
しかも、前田さんとLINEを交換したのは去年なので、飲みの誘いは初めてでした。
話の流れで「お前、いくつになったんやっけ?」と聞かれ「44です、向くんと同い年です」と答えましたが、「ちなみに、明日誕生日です」は言えませんでした。

母曰く、出産予定日は3月だったみたいです。
母はおじいちゃん(母の父)に「3月生まれはいじめられるから、まだ生むな、まだ生むな」と言われていたみたいです。
もしも、3月に生まれていたら僕は違う同級生と出会って、違う人間関係を築いて、違う人生を歩んでいたのかなと、たまに不思議に思います。

『誕生日は親に感謝する日』なんて言葉もありますね。
親への感謝は常日頃から、ちゃんとうっすら持っています。
一つ歳をとるだけの区切りの日。
なんとなく心機一転感を出せる日。
自分の好きなように解釈させていただきます。
が、1999年から2000年になるときや、20世紀から21世紀になるときに知った素敵な言葉。
「年や世紀が変わることよりも、今日が明日に変わることの方がよっぽど大事件だよ」
そんな思いで、日々を大切に、心は老いないように、丁寧に生きていきたいです。

サポートはとても嬉しいですが、お笑いで返すことしかできませんのであしからず。