野球をやめた話⑥

小学校5年生になってからの僕たちは、杉並区でもそこそこ強いチームになっていたと思う。
最強は相変わらず「モモイチ」だったけど、僕らのチームも杉並区では5本の指に入る強さだったんじゃないだろうか。
といっても、僕の調子が良くストライクが入ればの話だけど。
自分でもストライクさえ入れば、そんなに打たれないと思っていた。
球の速さとキレには自信があったからだ。

「モモイチ」以外のライバルチームは、以前にも触れた「イーグルス」。
他に「クリッパーズ」というチームもあった。
ここは、身体は小さいのに元気で声の大きい俊敏なキャッチャーと頭脳派のピッチャーがいた。
どんな感じの頭脳派かと言うと、この時代にいわゆる『チェンジアップ』を投げてくるピッチャーだった。
僕らが所属していたリーグは変化球禁止(おそらく、成長期の子供の肩や肘を守る目的)だったんだけど、チェンジアップは球速を変えるだけなので肩肘に負担がかからないから変化球扱いではなかった。
この、クリッパーズのピッチャーはチェンジアップ(スローボール)を織り交ぜてくるからやっかいだった。
ピッチャーのストレートにタイミングを合わせていたら、スローボールが来る。
僕らはそのボールを打ち損じてアウト。
なかなか、手強かった。
このクリッパーズとは、戦績も五分五分だったような記憶。
ただ、監督やコーチはどこでチェンジアップが来るか分かっていたらしく、ベンチでは「来るぞ…」と言っていた。
今思うと、あのピッチャーには大人の目からはバレバレのクセがあったんだと思う。
そんなクセにも気づかずに馬鹿正直にストレートを待って凡打を繰り返す僕らに、コーチたちは「あれを待つのも一つの手だぞ」と言ってきた。
たしかに、遅いボールは打ちやすい。
だけど、こないかもしれない遅いボールだけを待ってストレートが3球きたら三振…。
そんな割り切った考えを持てる僕らではなかった。
ただ、四番のオサムだけは違った。
オサムはこのボールだけを待って、きたら確実に仕留めていた。
のちに野球中継を観ていて、解説者が「狙ったボールだけを待って、きたら1球で仕留める。これができるのが四番なんですよ。」と言っていた。
アナウンサーに「もし、待っているボールが来なかったら?」と聞かれ「その時はしょうがないと諦めるんです」と答えていたのが印象に残っている。
この考え方って、野球以外でもたまにぶつかるなと思っている。
『二兎を追う者は一兎をも得ず』みたいな。
「これ!」と決めたら、覚悟を決めるみたいな。
ちなみに、僕は今でもこの考え方ができないでいる。
考え方ができないというか、こういう覚悟を決められないダサい人間だ。
「あっちがきたらどうしよう…。ああなったらどうしよう…。」そんな迷いを抱えながら生きている。
ちなみに、オサムは麻雀も強かった。
手相もマスカケ線ってやつで、持って生まれた勝負強さってあるんだなと感じた。

この頃(小学校5.6年)には人数も15人ほどに絞られてきて、ポジションも固定されてきて、杉並区でも普通に強い方のチームになっていたからただただ楽しかった。
最近、この頃のみんなと話していてそれぞれいろんな思いを抱えていたんだなと面白かった。
僕はピッチャーだったから、ひたすら自分との闘い。
外野だったやつは「俺はひたすらアタマムシ(頭の上を飛んでいる虫)との闘いだった」と言っていた。
「アタマムシから逃げるために動いたら、逆の方に打球が飛んできて怒られた」と。
みんな、それぞれ大変だったみたいだ。

ここからは、杉並区でもそこそこの強豪になったからレベルアップのために練習の日々。
あまり、ドラマチックなことは起こらない。
もう、『野球』が自分の生活の一部になっていて、『将来はプロ野球選手になる』と信じて疑わなかった。
ということで、次回はイーグルスとの若干のドラマチックな試合の話を書こうと思う。
そのあとは、あんなに楽しかった野球が楽しくなくなる中学編へ。

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