野球をやめた話⑩

思てたんと違う感じで始まった僕らの中学野球は、「なんか、楽しくないんだよなぁ」の気持ちが日に日に増していった。
監督やコーチに教えられる野球は『勝つための野球』で、それは当たり前なんだけど、やっぱり『楽しんで勝つ野球』しかやってこなかった僕らには混乱することもあった。
小学校までは打席に立つだけでワクワクさせてくれる奴や、嘘みたいに笑っちゃうエラーをする奴や、変なタイミングでスーパープレーをする奴など、とにかく毎秒が楽しかった。
中学での野球はみんなが着実に実力を上げていき、リスクを冒さないようなしっかりしたプレーで、強いチームはそういうものなのかもしれないけど「このチームの野球は見てて面白いのか?」と思っていた。
そんなもんだから、グラウンドまで自転車で向かう僕らの会話は「誰かあのコーチの原付のカギ隠せ」とか「監督のチャリのブレーキ、うるせえよな」とか、監督やコーチへの悪口になっていった。
まさしく、心が荒んでいた。

そして、僕らは中学校の部活には入っていなかったので、放課後に校庭や体育館で練習をしているサッカー部やバスケ部がモテ出してきたことも余計に心にグサっときていた。
「運動神経なら俺たちの方があるし…」的な惨めなプライド。
運動神経だけでモテることができるリミットを本能的に感じ取っていたのかもしれない。
いろんな要素が合わさって、どんどんよくない人間になっていっていた。

中学に入って初めての試合がいつだったか覚えていないけど、たしか電車に乗って多摩川の河川敷のグラウンドだったと思う。
中学での試合は主にそこでやっていた記憶がうっすらある。
ちなみに、中学では同い年のピッチャーが5人くらいいて僕は初めてエース争い的なことも経験した。
そこで、なんとなく2.3番手のピッチャーになった。
多少の悔しさはあったけど、チームへの愛着がないから甘んじて受け入れた。
それでも、いちおうピッチャーなので肩の強さから試合ではレフトかライトなど外野では出ていた。
外野から見る野球はすごく他人事のように思えた。
たまに飛んでくる打球を処理して返す。
打球が飛んでこないことも多々あり、攻撃でベンチに戻るたびになんだか居場所がないような感覚があった。
だから、ベンチでは多摩川の向こう側にある読売ランドのジェットコースターをボーッと見ていた。
守備につく時は外野まで走っていって、そのまま帰ってやろうかなとか考えることも。
ただ、こんな最悪な考えを改めるキッカケがあった。
レフトを守っている時に左中間に打球が飛んできた。
両面の広いグラウンドなので、ほぼほぼランニングホームランになってしまうような打球。
「追いついたところで、どうせランニングホームランだろ…」と思っていたら、小学校の野球部でもセンターを守っていたカズが一生懸命に走ってボールに追いついて返球していた。
「自分は小学校の間、ずっとこうやって守ってもらっていたんだ…」と反省した。
自分のことしか考えていなかったことが恥ずかしかった。
とはいえ、そこから心を入れ替えて野球に打ち込む…とまではならなかった。
やっぱり「なんか、楽しくないんだよなぁ」の気持ちの方が強かったから。
それでも、まだ『やめる』という決断に至らないのは『野球は好き』というのと『まだ、みんながいる』という二つの理由があったからだと思う。
まさに、風前の灯状態。

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