野球をやめた話⑫

小学校からの仲間たちが野球をやめても、とりあえず自分は続けることに決めた僕だった。
そこからは1人で自転車を漕いで練習に向かう日々。
これが嘘みたいに寂しくて、めちゃくちゃ心が折れそうだった。
それでもグラウンドに着いたらやっぱり野球は楽しかった。
野球は楽しいというか、投げることは楽しかった。
それは、大人になった今でも変わらない。
(よく、周りの芸人さんに「吉田は楽屋でピッチングフォームのチェックばっかしてる」と言われる)
小学校の時からピッチャーだったので、練習はみんなと別メニューだった。
ウォーミングアップが終わったら、コーチ相手に投げ込み。
みんながバッティング練習をするときは、投げる側なのでみんなの敵役。
だから、自分は1人ぼっちには強いと思っていた。
しかし、全くそんなことはなかった。
グラウンドへの行き帰りの自転車での数十分が、永遠の孤独みたいに感じた。
今になって分かったのは、この時には「今日も野球ができるぞ〜」といった純粋な野球への情熱はなくなっていたんだと思う。
1人だろうがなんだろうが、好きなものへ向かう気持ちの昂りが失われていた。
みんながやめてからどれくらいだったか忘れたけど、数ヶ月後に完全に心が折れた。
僕も野球をやめることを決めた。
親に「野球やめる…」といった時の悲しそうな顔は今でも忘れられない。
野球を始めた日から本当に応援してもらっていたから、申し訳ない気持ちもあった。
中学に入ってからは球速も上がったので、父親相手にピッチング練習をすることもなくなっていた。
「もう、俺は大吾の球は捕れないな」と嬉しそうに言われた日が最後だった。
父親相手に最後に投げ込んだのは、いつだったんだろう。

やめると決めたから、次の練習の日に監督に伝えにいった。

あれは、何曜日だったっけ?
季節は夏の終わりごろで時間は夕方だった気がする。
中学2年生だった僕は、大好きだった野球をやめるために自転車を漕いでいた。
小学2年生のときに始めた大好きな野球を、僕はこの日でやめた。
あれだけ大好きだった野球を。
「将来の夢」という作文ではいつも『プロ野球選手になりたい』と書いていたのに。

グラウンドに到着。
みんなが練習しているのを見ながら、監督の元へ。
監督は僕が話し始めるより先に「お前もサッカーか…」と言った。
この少し前から平日の運動不足解消のために中学のサッカー部に入っていた僕は、無意識にサッカーのジャージでグラウンドへ来ていた。
究極の空気読めない男。
デリカシーゼロ人間。
しかも、この当時はJリーグが始まったのもあり国内でサッカーの盛り上がりが凄かった。
野球を裏切ってサッカーに寝返った男。
ただの、ミーハー野郎。
そんな情けないカッコ悪い僕に、監督が最後にくれた言葉。
「やるからには誰にも負けるなよ」
今、書きながらこの言葉を思い出して泣けてきた。
監督は最後まで勝利にこだわる人だった。
そして、この「誰にも」は「自分自身にも」だと思っている。
小学校の野球部のコーチで、一番教育者っぽかったコバヤシさんが最後に僕にくれた言葉も「自分に勝て」。
コバヤシさんも監督も、僕の弱い部分を見透かしていたのだ。

監督に「ありがとうございました」と挨拶をして、みんなが練習しているのを見ながらグラウンドをあとにした。
そして自転車に乗り、来た道を戻った。

この時、僕は本当の自分をグラウンドに置き去りにしてきたと思っている。
野球が好きだった本当の自分を。
まだまだ野球をやりたかった本当の自分を。
「監督の采配が…」とか「楽しい野球がしたい…」とか「この仲間とやりたい…」とか、どうでもいい言い訳をして。
「お前がやりたいのは『野球』だろ?」
そんな心の声を聞こえないフリをして。

最近になって、当時の小学校の仲間と月一で集まって飲むようになった。
ある日、小学校でセカンドを守っていたジロウと2人になったときに、この野球をやめた時の話をした。
僕は「あの時、俺は逃げたと思ってるんだよね」と正直に話した。
ジロウは間髪入れずに「そうだよ、俺たちは逃げたんだよ」と言った。
みんな、最もな理由を掲げてやめた感を出したけど「逃げた」と自覚していたみたいだ。

少年時代にこんなことがあったから、僕は何かから逃げそうになったときは何から逃げるのかをちゃんと明確にしようと思っている。
「お前それ、自分から逃げてないか?」「また逃げる理由を作り出してないか?」と自問自答して。
あの日、グラウンドに置き去りにしてきた自分に「お前またかよ」と、笑われないように。


あとがき
というわけで、『野球をやめた話』は完結です。
去年(2023年)から、この当時の仲間と月一で集まって飲むようになり、みんなの思い出話が微妙にズレていたりとかが面白くて、自分の記憶を整理する意味もあって始めました。
楽しかった野球が中学から楽しくなくなり、「やめた」というより「逃げた」実感があるので、そこから目を背けないように書きました。

何年か前にWeb媒体のインタビュー中の雑談で、昔から僕を知ってくれているライターさんとこの野球をやめたエピソードになり、なんか話の流れで「僕は野球をやめた時から他人の人生を生きている気がするんです。野球をやめた時から、もう本当の自分はいません。」と言ったんです。
その時は「じゃあ、ポイズン吉田さんは架空の生き物なんですね(笑)」と、お互いにめちゃくちゃ笑ったんですけど、『野球をやめた時に本当の自分じゃなくなった』というのが無意識に口から出てきて自分でもびっくりしました。
初めて自分自身を言語化してしまったというか、「あ、俺は本当の自分をあの日のグラウンドにおいてきちゃったんだ…」と自分の罪に気がつきました。

誰かに何かを伝えたいとか、影響を与えたいとかって気持ちは皆無ですが、最後に一言だけ。
自分自身に嘘つくとけっこう引きずるから気をつけて!
自分を大切に!

サポートはとても嬉しいですが、お笑いで返すことしかできませんのであしからず。