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十五、5月マンボー期

2021年5月マンボー期

 《コロナでさ、オレなんかの身近で困ってるヤツあんまりいないんだよね… 困ってる人いる?… 飲みに行けないとかライブできないとかはあるけどさ… このままずっと続いてくれても別にいいよね…》まあ確かに濃厚接触者認定で外出禁止になったとか家族で発症したとかの話は聞いてるけど… 僕なんか協力金を貰っちゃってるから無理してお店を開けなくてもいいし… 気楽なもんで… このままでも構わない…  っていうかむしろコロナが終わった後のことを考えると…。

 うちの客人もアウトローな人が多いから… 嫌な仕事の愚痴なんて聞かされることなんてあまりないし… まともなサラリーマンとか… スーツ来てるような人とかいないし… 昔はいたもんなんだけど… カウンターにズラッとセビロ族が並んだような時代もあった… もう15年以上も前か… 今は介護や保育の福祉エッセンシャル・ワーカー、音楽関係、それに研究系、そして自分で仕事やってるような人たち… 在宅勤務も好きな音楽聴ける時間が増えて… むしろレコード買っちまうとか… 責任と自由とのバランスを自分で決めてるような人たちだ… そういう客人しか来なくなってしまった… 楽しみとその分のリスクを店と共に分担してくれるような… 今は特に…。

 時代の困難さが広まるとそれに対する政策処方が出てくる… その対処は完璧なはずがないのでそこに隙間が生まれる… その隙間を不満と捉えるか自由と捉えるか… それをポジティブに捉えるなど、恵まれた者の特権なのかもしれない… 逆に言えば… 特権者だから自由なのではなく、特権と捉えるために自由を採ろうとするのだ… リスク込みの… リスクってのは… 生きてるってヤツさ… 他人の言いなりなんて生きてるってことにならない… それがあるから生きてく仲間ができる… つまり… 生きるリスクを共感してくれる仲間がどこかにいなければ… 過去でもどこか遠くにでも… 共有してなくてもいいかもしれないけど… 生きていく気力も無くなってしまう…。だからリスクを個人で背負って内面化してしまってはダメだ… それは自殺のワナ… 発達障害のワナだ… 我々のような放浪者はぬけ逃げ出すために生まれてきたんだ… 〈隙間〉へと… 社会に文句を言うとか政治に抵抗するとか、そんなの二の次で…。

 そりゃあうちの客人たちはみんな発達障害の気のある人たちばかり… 店主がこんなだから… 大きな組織や管理社会が苦手で… リスクと自由のセットの中で… リスクを内面化しがちなマジメで嘘のつけない人たち… リスクという生き方を持ち寄って補い合って… それだからこそ生まれる自由をひっそり楽しむのさ… だからこの時代の困難の中の〈隙間〉は… 自由と捉えられる… 我々は特権者で… リスクを共にする者同士の特権… 困難って言ったってもっと困難だった時代に比べたらだいぶ恵まれてる… もっとヒドい状況にある国に比べたら…。リスクを庶民に転嫁するような権力者たちとは違うけど似てるところもある… ただ自分たちで分担するだけ… なんだか秘密結社みたいだな… だけど組織なんかじゃない… そんなもん苦手だし… 気の向いた時に夜の時間を共にするだけ… 社会の支配者たちとの戦い方はそれだ… 戦い方っていうか逃げ方…。

 彼らは必ず処方を翳してくる… 隙間のないほどの徹底したやり方なら負けてしまうけど… 我々の社会にはそれでもまだちょっとした人権ってものがある… それさえも踏み躙られてる海外のニュースを見るとゲンナリするわ… とても生きていける自信がない… 問題は庶民が施政者の側の発想に乗っちまうヤツだ… マスク警察… コロナ自警団… 相互監視… 官憲と警備員がセットになって沖縄の市民と睨み合って… あいつらも庶民のくせに… 彼らも互いに補い合ってるのか?… 我々は勝ち目のない戦いのゲリラ兵なのだから… ちょっとした〈隙間〉を見つけて… ゲリラとしての特権を… ただ生きているだけでしかない者としての特権を採って…。

 誰だって特権を持ってる… 他人を出し抜こうだなんてイヤラシサさえ捨てられれば… 出し抜いた余剰で他人を助けようだなんてオコがましささえ無くすことができれば… だいたい〈出し抜く〉なんて〈他人の隙をうかがったり、だましたり〉することから始まるんだ… 広辞苑第二版より… 〈隙間〉の見つけ方がそもそも間違ってんだよ… 〈隙間〉は人と人の間に見つけようとするんではなくて… 人と制度の間に… 人と社会の間にある… だから… 人と人をイーブンに捉えられるような… そんな特権を持って… 自由を見つけるんだ… 自由だけあったって辛いもんさ… だからこの時代の困難がむしろ有り難く思えるぐらい… 自由を探して創り出す事ができるから… イーブンに付き合ってくれる人に改めて気づくことができる… ただリスクを持ち寄るだけ… 暗い時間に…。

 で、この時代の〈隙間〉の楽しみ方を採れている特権者にしてみりゃ… 気楽なもんさ… ろくに仕事もしなくてよくて… 店なんて無理して開ける必要もなくて… ずっと続いてくれないかな…。在宅勤務が苦じゃない人も、休みが増えた人も…  というより、もう元に戻れる気がしない… お客さんだって以前と同じなわけがない… まあ前からヒマだったわけだし… 元どおりのヒマな店に戻るか、それよりはマシになるか…。久しぶりに音楽スタジオ経営の客人が来てくれた… 最近は外回りのPAの仕事で、キャンプ場のライブに全国各地へ出かけてるそうだ… 集まってくるファンたちには《SNSに上げないでね!》って… 正しいやり方だ… SNSなんてクソ喰らえ!… ただ自治体によっては、キャンプ場ライブもやりにくくなってきてるらしい…。

 コロナが収束したら… そのうち… 秋だか来年だか… どうなるかね?… バンドブームがまた来るかもね… 以前までずっとやってきた人たちも、コロナ禍で楽器を始めた人たちも… 楽器や機材がよく売れたらしいから… ひとりでシコシコ作業してきたような宅録系の人たちだって、これからやってみようという若い人たちだって… 人と人とで顔を突き合わせて音楽をやりたくなる人たちが出てくるはずだよきっと… 音楽スタジオもこれからますます役割があるはず…。で僕は… ちゃんとお店をやれる自信がないな… まあちゃんとっていうか… 以前からひどい接客しかできなかったんだけど… って言ったらさ… 《受け入れてください!》って言ってくれた… つまんないチェーンみたいな飲み屋じゃなくて… 《人間味のある酒場を探して来る人がいるはずです》って… 励ましてくれた… ありがたい…。

 で野球の話… 最近僕は野球ばっか観てるから… 一球速報のアプリは必需品… 統計や傾向とその対策、変化球の解析などの分析技術が発達して… 数値的なものと身体技術や戦術との関わり合い… つまり数値と人間との闘いが面白い… サウンドを解析する音楽も同じようなところがあって… 音楽エンジニアにとっては特に… コンピューターで音楽を管理編集するようになって… なんでも数値化されて… 波形が可視化されて耳よりも目を頼ってしまったりして… 数値にやられる… 数値を利用して道具としていたはずの人間が… 過去の名機をシュミレートしたプラグインのエフェクト・アプリと編集ソフトの簡便なキレイさによって… 音楽が数値にコントロールされてゆく… 今は動画の時代だから音なんかよりも映像の動きにやられて… ノイズや歪みの心地よささえコントロールされて… 空間が振動して伝わってくる音や体感など気にもされない… 音楽の格闘の結果が動画配信とストリーミングかよ!… そんな薄っぺらなサウンドで…。

 そんな〈結果〉など、その日の勝敗とホームランを伝える野球ニュースみたいなもんだ… 野球の面白さは結果だけじゃない… いいピッチングをしても味方が点を得ってくれなければ負けるし、いいバッティングをしても野手の正面に打球が飛べばアウトになる… 内野ゴロを無難に捌くだけでも超人的な技術だよ… もちろん結果だけではなく内容でデータを取っていく手法もあるが… 〈内容〉というのは一般にはなかなか評価されにくい… スポーツ紙のコラムやネット記事をよく見れば小さく書いてあるかもしれないが…。これはジャーナリズムや批評の問題でもあって… 政治ジャーナリズムもそうさ… 争議の結果や嘘ばっかりの表面的な事象で国民を右往左往させて… 自分や属性の主義主張にコジつけるような言説なんか… 批評性などどこにもない… 批評は… 内容の良し悪しを取り出して読み手に考えさせ… 感じられるような感性を養うこと… 教育みたいなもんじゃないのかな…。

 私に言わせてもらえば… 音楽に批評が失われたからいけなかったんだけど… つまり音楽に関する批評性など、個々の好みと宣伝広告でしかなくなっちまったってこと… 音楽に悪さがあるとしたら、それは権力主義と差別と… 商業主義ぐらいしかないんだけど… 批評はそのいずれにも屈したというわけだ… そりゃあ音楽がやられたんだから政治もやられるわな… 時間の問題… 言ってみれば… 数値も批評も〈内容〉に辿り着くためのツールなわけで… それらは使っても使われちゃいけない… 楽しんで使っているつもりで使わされてるんだ… ネットの情報もマスコミの情報も学校で習ったことも… ヤラれてきちゃったんだよ…これもまた人間力の闘いで… もう一度どちらも庶民のレベルに還ってくる… 自分たちで考えるしかないんだよ… 分担してさ…。

 話はまた別の日… ディランの”Like a Rolling Stone”とかストーンズとかの〈ローリング・ストーン〉って何なの?って… そりゃ転がる石には何とやらってヤツで… Muddy Watersのブルーズがあってさ… 動き続けなきゃならない人たちの歴史があって… 動きたくなくたって無理やり動かされてきた人たちがいて… 我々の祖先だってずっと移動してきて… 遠くアフリカから… 移民や季節労働者に流浪の民や芸能の民… 自分の先祖だって北海道の開拓民で… 全国各地から移動してきた人たちの血が混じってる… 放浪者さ… 動かざるを得ない/動かされるという民衆の歴史をさ… ひと所に落ち着いていたいっていう欲望に対してさ… 逆にポジティブな意味を採ってきたわけじゃん… 苔むさないって… 転がり続けろ!って… コケなんか生えちゃうような保守の形骸化みたいなのなんかクソだって…。

 でもこんな時代だからかもしれないけど… コケってそんなに悪いものか?… 苔の立ち場に立ってみたらさ… 山歩きとかしててキレイに生えてる苔なんか見ると美しくてさ… 触り心地も良くて… 苔を取ってきて育ててみようとしたこともあったけど… 難しいんだよね… そんな簡単にペットになんかなってくれない… 苔には苔の自負があってさ… 人間のコントロールなんかに簡単にはやられないんだよ… あいつらは…。転がる石なんてのはむしろ資本の権化で… 貨幣みたいなもんさ… 動いていくことによって経済が回る… Rolling Stonesなんてよく付けたもんだ… まさに資本主義音楽… 奴隷貿易だって植民地主義で転がしやがって… ブルーズを利用して… ロックに転用して… 言っとくけどストーンズは嫌いじゃない… オレだってストーンズにブルーズを教わったクチ… おかげでマディーを知って… ブルーズにどっぷり…。

 オレなんてこの場所に根を下ろしちまって… はや20年… どっぷりとコケを生やしてしまった… この店のオンボロビルもツタに覆われて… 今や雨漏り… ひと所からの定点観測を決め込んだってわけだ… 転がらずに… コケむして…。転がる石たちが店を訪れる… 土石流じゃなくてよかった… 小石が日々少しづつ… 転がる貨幣も少しづつ… 当然コケむすほどの資産は持っちゃいないさ…。ただオレはコケで… 苔にだって豊かな生態系ってヤツがあるんだ… 小さな世界の… 微小な領域ならではの… 小さな変化を楽しんでる… 小さな変化が世界の土台を作ってるんだ… コケむしちまった店で… 転がる石を待ち受けてる…。

 コケむした石でもあるんだけど、カウンターに同化した擬態蟲でもあって… まあどっちでも同じことなんだけど… 小さき者の声無き叫びであることには… 文字ってのは耳に優しくていいね… 字の読める目には煩いかもしれないが… 読もうともしない者には細かい文字の山なんて気にもならない… 本の扉さえ開かなければ… 本の中に閉じ込めておけば… 五月蝿いって書くぐらいだから、小さいヤツが気に触るんだよ… 大きいヤツにはまた別の反応があるってもんだ… 虫に親しんだ子どもの頃… 大人になってある時… あれだけ夢中になって捕りまくったコオロギとか気持ち悪くなってるんだな… ゴキブリみたいで… 子どもんとき平気だったものが、いつの間にかゾワっとしてしまったりして… まあ逆もあるけど… 子どもの頃に苦手だった食べ物が美味しくなったり… 大人になるとそうやって線を引いて… 嫌なもの/平気なもの… 苦手なもの/好きなもの… 未分化だったものに線を引いて一方を遠のける… 線引きと未分化… 子どもの未分化な感性で世の中をやっていけたらいいのに… Manish Boyで… 文字を読む必要もないさ…。

 大人の線引き… 子どもの曖昧さ… ウンコに価値を感じられる感性… うちの娘もウンコ・ドリルを面白がってやってる… 大人はそこにキレイ/汚いの線を引く… 未分化の子ども的な感性/線を引く大人… いいカバー/悪いカバー… 違う分野をつなげることと/モノマネと… 遠いものに連関や同質性を感じる未分化の子どもと/線を引き遠ざける大人… その中間に、遠く見えるものを近づけるアートの力… 擬態する蛾… 近くにいれば違いに気づける慣れ… 音楽も身近に聴き続けていれば… 商品として、与えられたものとして線を引いて遠ざけるのではなく… その間に入れば… 入ることができれば… 違いに気づくことができる… 未分化な違いに…。そんときはジャネット・ケイを聴いてた… ソウルのカバーのフリしてレゲエ… カモフラージュ… でもモノマネではない… 立派な商品音楽なんだけど線引きを超える… 未分化で… 久しぶりに聴いたら… 自分にとって青春の愛聴盤で… 自由を感じた… コオロギとゴキブリの線引きなんか…。

 そうやってスラッシュを引いて… なんでも二元論にして考えてる自分なんか… でもそれは… そうやって中間を探してる… 弁証法的な止揚… 止めてもち揚げるんじゃなくて… 止めるんじゃなくてそこから始めるんだ… 間に入って動けるような中間… 仲介でもいい…。こないだ高分子の話になった… 数学の研究者と化学の技術者がいるんだうちの店の客人には… プロ野球見ながら南部ソウルのレコード聴きながら…  高分子結合の正六角形… 2と3の組み合わせ… 野球にもニュー・オーリンズのリズムにもちょうどあるな… 2つのものを結びつけるには… 化学の彼女の言い方では… 《イチャイチャさせるには》… スケープゴートが必要で… それで3になるという… 深い… 父と子と精霊の三位一体… 三位二体でもいいわ… 3と2で… 2拍3連のロッカバラード的なの大好きだし… とにかく… 使える三元論を探ってる… 自分にとって有効なやつを…。

 魂が素粒子よりも小さい物質とかいう最近のノーベル賞科学者の案件… 理論物理学など実験するにもお金がかかりすぎて… しかも証明できたとしても… 現実の役にも立たない… 現実には… 証明する必要もなく… ワクチンだって… 数学もどこまで行っても限られた普遍の世界で… もはや哲学的な進歩しかないのではないか… 哲学ってのは科学の… 人類の知性の土台だから… マルガブさんもそんなこと言ってたな… ヨーロッパの科学哲学の普遍など普遍ではない… 普遍なんて言ってる時点で普遍じゃない… 安全って言ってるものに限って安全じゃないのと一緒… よく耳にするやつだ… アンダー・コントロールとか、記憶にないとか… 人間ってのはなんでそんなに分かりやすいことを言うもんかね… 騙される者がいるからか… 騙してくれないと動けない世の中を支持しちゃったからなのか… それもスケープゴートなんだろうか…。

 そーいえばIOCのお偉いさんがニッポンは忍耐の国だとか言ったらしいじゃないか… 貴族どもが… 庶民に忍耐を強いる… クソどもが… 喜んでオリンピックのボランティアを志願する人たち… “Volunteered Slavery”… 感動帝国主義の志願兵さ… スポーツの感動で前線を突破しようとする大本営発表… スポーツ選手だって… 《感動を与えたい》とか言わされちゃって… 無意識にも… 子どもたちまで… エンターテイメントの弊害… 与える者と受け取る側の二極化… 支配者の発想にまんまと乗るからいけないんだ…。テレビじゃいよいよワクチン接種が加速して、早く注射してもらいたい人たちが嬉々としてるのを映し出す… こんなの中身なんか何でもよくて、集団プラシーボで秋ごろには収束… どこぞの国ではマリファナだのライフルだの配ってでもワクチン射って欲しいみたいじゃないか… 与える側ってのは恐ろしい… うちのカミさんは医療関係者枠で悩んでたけど… 《集団免疫に貢献する》って… ワクチン慣れしてる娘まで注射してほしいって言い出す始末… 国民の6割で集団免疫が成立するらしいから… 僕なんかは後回しで… 4割の方で結構… どうぞどうぞ… 受け手になりたい人は列を争って… オリンピックでも楽しんで…。

 オレだってスポーツ好きだったし、オリンピックを応援したこともあった… 息子がオリンピックに出るって客人がいて… もうずいぶん昔… 彼が中学生の頃から応援してた… でホントにメダリストになった… 楽しませてもらったよ… その後しばらくして本人がメダルを見せに来てくれた… ジーパンのポッケから無造作に放り投げて… ありがたく写真なんか撮らしてもらって喜んじゃってさ… でジャリ銭を投げ捨てて《オヤジの飲み代に使ってください》とか言いやがって… クソガキが… バカにすんなってんだ… 追っかけて持って帰らせた… 逃げるように帰っていったね… オレのオリンピックはあれで終わった… 逃げてったんだ… あんなもんは… 追っかけなきゃいいんだよ…。持論を言うなら… オリンピックはせめて個人競技だけ… 日の丸とかお国のためとか言わされないでくれ… メダルの数を競って各競技団体の助成金争いかよ… むしろもうパラリンピックだけでいいと思ってる… 健常者もパラリンピックの土俵で戦えばいいんだ… できるもんならやってみろってんだ…。

<参考音源>
Bruce Springsteen “Born To Run” 真崎義博訳
Bob Dylan “Like A Rolling Stone”
Muddy Waters “Rollin’ Stone”
The Rolling Stones “Manish Boy”
Janet Kay “Love You Always”
Roland Kirk “Volunteered Slavery”
<参考文献>
『セイバーメトリクスの落とし穴 マネー・ボールを超える野球論』お股ニキ(@omatacom)(光文社新書)2019年
『全体主義の克服』マルクス・ガブリエル/中島隆博(集英社新書)2020年

大源太ゲン

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