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オリンピック教、ワクチン教、S/N比

オリンピックもワクチンも、イエスかノーか、信じる/信じないの二つに分かれて宗教化している。人々の意見もS/N比の高さを目指してマシン化している。オフィシャルな人間はS/Nを良くしなければいけないかもしれないが、人々の外向きのオフィシャル観(S)と内部のプライベート観(N)のS/Nも極端になってる気がする。

スポーツも経済も政治も、勝ち負け主義として一体になっている。勝つのは1つだけで残りの負けが大多数なのだから、負けが本質でノイズが本質であるところからシグナルというよりサウンドを見出していかなくちゃいけないんじゃないか。

ノイズや歪みをサウンドと捉えられるアナログ的な音楽愛好者は、あらゆる二分法の間を採れるはずではないだろうか。ノイズをキャンセルすればいいってもんじゃない。マシンにはS/Nの良さを求めても、人間はS/Nが悪くていい。さもなくば参加することに意義がなくなっていくだろう。スポーツにも経済にも政治にも、音楽にさえも。

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