アンラッキートリガーな俺たち

負けと引退宣言の100%ループとかいうとんでもスぺック

パチンコ辞められないマンです。

負けては「つまらん辞める。」と言い、結局次の週末その足はパチ屋に向かっている。

もはや擦られすぎたパチンカスあるあるなのでそれについて別にどうとも思わないし。自分も例に漏れずパチンカスなだけ。

しかし、引退宣言している時の自分、即ちボロ負けしてる自分は本気でやめようと思ってるし、決して冗談言っているわけじゃない。

毎回本気で引退宣言をしている。

つまりパチンカスは実質的に宮崎駿なわけである。

なぜ我々は宮崎駿並みの引退詐欺をしてしまうのか、本気で引退したい自分は割かし真剣に考えてみた。

①脳みそがニワトリ

実際負けたときはまじで辞めたくなる。

たとえその前日に1万勝ってたとしてもその日の5000円の負けでありえないほど後悔することだってある。

なのにやめようと決意した次の日にはパチ屋に向かっている。

シンプルに記憶力がニワトリなのかもしれない。負けた記憶はすぐ忘れ、勝てるビジョンが見えている。あほくさ。

でも実際そうで、人間は負けた記憶よりも勝った記憶が強く残るっぽくって、だから翌朝には「勝てるはず取り返せるはずだ!」って思っちゃうらしいっすよ。それがギャンブル依存症のメカニズムらしいです。

言われてみりゃあ当たり前ですけどね。

②その日の結果に意味を見出している

勝った日は「ああ行ってよかったな」って思い、負けた日は「一日無駄だったなあ」と思うのは当然のことだが、その一日の対価として『パチンコはクソ!やるべきではない!』といった教訓が得られたとすればまだましかもそれない。

その結果の”引退宣言”なのかもしれない。

しかし前述の通りパチンカスのニワトリの脳みそでは、『パチ屋でしか聞かないようなけたたましい音が鳴り響き、目に悪そうな程に自然界には存在しないであろう色が発光する台から流れる球がドル箱を満たしていく』その情景が"引退宣言"さえも塗り替えていく。

だからその日に得た教訓(笑)は次の日には諭吉と共に炎炎の炎に帰してしまう。はいはいラートムラートム。

結局パチンコを打つためのパチンコ引退宣言

さも、新知識みたいに書いたけどそんなことみんなわかってるだろう。バカにするなと。

じゃあそこまでわかっててなぜ同じことを繰り返すのか。

明日もパチンコを打つため。

パチンコから何かを得ている。それがお金の日もあれば、負けた痛みや教訓(笑)かもしれない。

でも、何かを得れるからパチンコを打ちたい。行って負けて何も感じなくなったら本当に行かなくなる。だから負けた日は負けたことを実感するために”引退宣言”するんでしょうね。

そうしたら次も何か得られる気がするから。お金であるに越したことはないのだけど。

言いたいことがだんだんわからなくなってきた。
以上負けた男の賢者タイムでした。ほなまた。

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