マガジンのカバー画像

キネマ備忘録

33
映画を観て、広がった世界のこと
運営しているクリエイター

#つぶやき

思いが麗かにそっと、流れゆく

 この世から肉体として消えた時、彼らの存在は消えるのだろうか。  いつだったか、幼い頃、親から今の悩み事は何かある?と聞かれた。私はしばし足りない頭で考えたのちに、この世から私がいなくなってしまったことを考えると怖いですと答えた。親が、目を丸くしたことを思い出す。  ひとり暗いベッドの中に潜り込んで、自分の中の深い深い心の中にどっぷり浸かる。今でも、棺桶の中に自分が入った時のことを想像してゾッとしてしまう。誰しもいつかは死ぬと分かっているのにも関わらず、恐怖が胸の中を席巻

隙間に挟まれた人の意識

 昔、学生時代に誰もいない道を自転車漕いで必死に進んだ覚えがある。北海道のだだっ広い道を深夜頭がふらふらになりながらただひたすら直進していったのである。途中で疲れ果てて、道路の真ん中に思わず倒れた。思いの外地面は冷たくて、自転車を漕いで火照った体がひんやりして気持ちが良かった。大の字に寝て頭上を見上げると、満天の星が広がっていた。あの時自分はいろんなことから自由だ、とぼんやり思った。 *  前からずっと気になっていたビン・リュー監督の『行き止まりの街に生まれて』を見た。キ

クレーム・ブリュレの恋人

 仕事でオンライン越しに打ち合わせをする機会があるのだが、なぜかみんなミュートかつ動画もオフにしているので一体誰が何を喋っているのかよくわからないという不可思議な時間にも最近ようやく慣れた。これが新しいビジネス様式と言われると何だかそれも違う気がする。顔の見えない相手ほど、不気味な光景ってないと思う。 *  相手が見えないことによって、膨らむ妄想も確かに存在する。なぜだかぼんやりとした輪郭だけが浮かんでいて、相手の姿を掴もうにもまるでぼやけてなかなか全体が見えてこない。何

いつから人鳥は空を飛べなくなったのか

いでや、この世に生まれては、願はしかるべきことこそ多かめれ。  ー『徒然草』兼好法師  私が中学生になったばかりのこと。  大人になればくだらない悩みなんて綺麗さっぱりなくて、もう少し呼吸をするにも楽な世界に生きているんだろうと漠然と思っていた。20年後はもっと立居振る舞いもそつなくこなせて、相手との間に軋轢が生まれないようにうまくやるに違いないと、そんな淡い幻想を抱いていたのだ。  それがいざ自分がその歳になると、かつての私自身の理想に指さえも届かない。それどころか、

現実に変わった夢の後先

 幼い頃は、宇宙飛行士になりたかった。 *  きっと誰しもなりたかった職業やこの人になりたいと憧れていた人がいたことだろう。その夢に向かって奮闘した人もいるだろうが、歳を重ねるにつれて、自分の能力と現実を思い知り、志半ばで幼い頃に夢や希望を諦めてしまった人も少なくないと思う。  先日に引き続き、古典映画を改めて鑑賞するといった活動を続けている。  今回観たのは、ウッディ・アレン監督の『カイロの紫のバラ(原題:The Purple Rose of Cairo)』。ウッデ

夢の終わりを、見たくなかった。

 最近は少し家でひっそりしつつ、時間があればぶらぶらと近所を散歩し、それから気が向けば映画を観るといった反復運動の中で生きている。  私はこれまで一度読んだ本、そして観た映画というのは基本的には見返さないという生き方をしてきた。それはなんとなくあらすじも結末もわかっている話を再度見直すというのは、時間が勿体ないという考えが頭の中にあったから。それがここ最近は、少しずつだけれど昔見て"記憶の中を掘り起こす"という活動をしている。  そして今年最初に観直したのは、ジュゼッペ・