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【コラム】 銅鉱石から銅へ

黒鉱から銅を製錬(小坂鉱山)

小坂鉱山は、土鉱(銀鉱)を掘り尽したことから銀山としての寿命が尽きかけていました。
土鉱の下には大量の黒鉱が眠っていました。黒鉱には亜鉛鉱、鉛鉱、黄銅鉱、黄鉄鉱、重晶石等、多くの鉱物が緻密に組み合わさり、また、金・銀等の貴金属も多く含まれますが、複雑な鉱物組成のため、有用な金属を取り出すことが難しいとされていました。
従来の製錬法である焼鉱吹は鉱石の下に燃料(石炭)を入れて燃やし、鉱石中に含まれる硫黄分をあらかじめ取り除いてから溶鉱炉で製錬しなければならず、銅品位の低い黒鉱の製錬にはコストと時間がかかりすぎて適しませんでした。
久原房之助はこの困難に対し、大学の卒業論文で自溶製錬法(パイライテェック・スメルティング)を発表した竹内惟彦をはじめ優秀な部下たちと実験・研究を重ね、大量の燃料(石炭)に代わり、鉱石に含まれる硫黄分を燃料とした生鉱吹という製錬法を見事に確立しました。これにより小坂鉱山は銀山から銅山に生まれ変わることができました。
その後、この製錬技術は全国の製錬所に広がっていきました。

日立鉱山の銅製錬

赤沢銅山には小規模な製錬所がありましたが、それは焼鉱吹による製錬でした。効率よく大量の銅鉱石を処理するため、久原房之助は大雄院に小坂鉱山で確立した生鉱吹による大規模製錬所を建設しました。
日立鉱山で採掘される銅鉱石は含銅硫化鉄鉱といい、硫黄と鉄がそれぞれ約20パーセント含まれており、その硫黄と鉄の酸化反応熱を利用して鉱石を溶解する方式の優れた製錬所でした。日立鉱山ではこの製錬技術に満足することなく、大正・昭和にわたり日々技術の改良を重ね、効率的かつ亜硫酸ガスが発生しない極めて環境負荷の少ない製錬所に進化させていきました。
現在、日立鉱山から始まるJX金属の佐賀関製錬所における銅製錬の工程は、自溶炉(銅65%)→転炉(銅99%)→精製炉(銅99・3%)→電解精製を経て99・99%の銅が生産されています。
余談ですが、銅を精製する過程で発生する不純物(鉄や珪酸など)はカラミと呼ばれ、型に鋳込まれてレンガとして活用され、日鉱斯道館の門柱及び塀、日鉱記念館の門柱に見ることかできます。

文=篠原 順一

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