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主な登場人物

久原 房之助 大煙突を建てた日立鉱山創業者(1869~1965)

山口県萩市出身。父や叔父の会社、藤田組立て直しのため、秋田県小坂鉱山へ行き、銅鉱山として再生。その後、36歳で独立して日立鉱山を創業。短期間のうちに、日立鉱山を栃木県足尾銅山、愛媛県別子銅山、秋田県小坂鉱山と並ぶ日本の四大銅山の一つとし、鉱山王といわれました。

角 彌太郎 日立鉱山の煙害対策責任者(1870~1967)

広島県府中市出身。小坂鉱山で働いた後、日立鉱山へ移り初代庶務課長として用地・煙害対策の責任者になる。地元との共存共栄を図ることを目標に関右馬允とともに煙害問題解決へ貢献。第4代所長になり、荒廃した山林への植林、町中や近隣市町村へさくらの植樹を広めていきました。

関 右馬允 煙害問題に取組んだ市民運動家(1888~1973)

日立市入四間町出身。日立鉱山の煙害問題に入四間地区代表として青年時代から取り組み、企業と地域の共生の仲介に貢献しました。『日立鉱山煙害問題昔話』や『常北之山水』、『茨城県巨樹老木誌』などの著書があります。

小平 浪平 国産技術を目指した日立製作所創業者(1874~1951)

栃木県栃木市出身。小坂鉱山、日立鉱山で働き、工作課長として発電所や鉱山電車を整備。日立鉱山の修理工場で国産技術により、5馬力モーター等欧米に負けない電気機器を生産。その後、独立して日立製作所を創業しました。

鏑木 徳二 煙害防止に貢献した林学者(1883~1967)

石川県出身。日立鉱山の煙害防止のため、林業の専門家として地所係に入り、農事試験場で耐煙木の研究をし、植林事業を進めました。後に林学者となって、公害博士と呼ばれました。

宮長 平作 当時30歳の大煙突の設計者(1883~1956)

富山県出身。土木係長として、小平と共に日立鉱山の電力確保に貢献。日本最古の鉄筋コンクリート技術による石岡第一発電所等を建設。大煙突建設の設計施工責任者として日本初の鉄筋コンクリートを用いた世界一の大煙突を建設。翌々年には佐賀関製錬所の大煙突を建設しました。

文=大畑 美智子

※写真は、日鉱記念館と日立市郷土博物館からご提供いただきました。

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