現在にも通じる問題を多く含んだドレフュス事件『ドレフュス事件 真実と伝説』(アラン・パジェス/法政大学出版局)

ドレフュス事件は、1894年に起き、1906年に最終的な判決が出ている。この100年以上も前の事件、しかも基本的な謎はすべて解決されている事件が、フランスでいまだに論じられていることに、ある種の驚きがある。それは、単なる冤罪事件だけではなく、その背景にある反ユダヤ主義、軍隊が事実を捻じ曲げてでも組織を守ろうとする組織であること、作家の社会参加、ジャーナリズムの在り方などを含むことと関係しているのだろう。

本書は、そのドレフュス事件の概要から始まり、上に書いたような点を含め様々な点からドレフュス事件に迫っている。有名なゾラの「私は告発する」という公開状のタイトルの問題、ドレフュス事件を題材にした映画がハリウッドで作られた一方で、フランス本国ではかなり長い時期にわたって作られていなかった問題などが論じられている。特に後者の映画化の問題は、ドイツ占領下ならともかく、それ以外の時期のフランスでもそういうことがあったのか、とやや驚くようなことだった。また、ケン・ラッセルもロマン・ポランスキーも、映像化した作品の主人公をドレフュスやゾラではなく、軍人のピカールにしていることも興味深い(ロマン・ポランスキーの映画作品にかかわる第23章は日本語版用のもので原書にはない)。組織と個人、組織の中における正義の問題などをピカールの人生に象徴させたかったのかもしれない。また、ゾラの死亡時の話も興味深い。

『失われた時を求めて』を読んでも分かるが、当時のフランスの世論を二分した事件。ただし、当初はドレフュス犯人説が圧倒的だったことを考えると、ドレフュスを擁護した人物たちの言動は称賛されるべきだろう。ピカールは、ユダヤ人に元は好意的ではなかったようだが、真実と自身が属する組織を本当の意味で守るために声を上げ、一時は左遷までさせられている。しかし、ピカールが声を上げたからこそ、フランス軍の不名誉が多少とはいえ雪がれたと言えるし、このことは現代の内部告発にも通じる部分があるだろう。また、「反ユダヤ主義」が日本に蔓延っているとは思わないが、ある種の排外思想に染まった人は少なくないことを考えると、「真実」に目をこらすことの重要さを改めて強く感じる。そして、大逆事件の時の永井荷風の嘆きを、日本の作家には繰り返さないで欲しい。

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