古い本を読む―読書月記26

(敬称略)

古い本を年に数冊読む。古い本といっても、明治以前の版本や古文書ではなく、普通の古書だ。ただ、刊行年月が古くても、古書と言わない本もある。例えば、ドストエフスキーの『罪と罰』や夏目漱石の『こゝろ』を読むときに、古書と言う人はいない。戦後すぐに刊行されたもの、旧字旧かなや古い訳で読んでいたとしても、わざわざ言わない。『罪と罰』を読んでいるよ、みたいな話でしかない。要するに、名作ではないものの、どうにか古書店で手に入るもので、再刊されることもないような、四半世紀以上も前に刊行された本を、毎年数冊読んでいる。
「月刊みすず」1/2月号の「読書アンケート」で取り上げられていた本(アンケートが、昨年読んだ本を対象としているため、古い本が紹介されることがある)が多いが、それ以外にも社会的状況にかかわって、「いじめ」や「赤ちゃんポスト」などに絡んだ本をどうにか探し出して読んでいる場合もある。
昨年だと『なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したか』を再読している。刊行は四半世紀前でその頃に読んでいる。3年前には『原爆と一兵士』、こちらは1980年に刊行されたもの。他にも『ブリンジ・ヌガグ』『花のない墓標』などがある。『花のない墓標』は私が生まれる前に刊行されているが、一度も復刊・再刊されていない。同書は第二次世界大戦終了から1958年まで、日本国内で進駐軍(アメリカ軍だけではない)や在日米軍によって起こされた殺人、強盗、交通事故、強姦などについて書かれたもの。2013年に私がAmazonにレビューを投じているが、これまで16人の人が「役に立った」としているので、誰も見向きもしない本というわけではない。

さて、今年になってから読んだ古い本は、現時点では2冊。ジャン・モリスの『苦悩』と前田雄二の『剣よりも強し』。
前者は、イギリスのジャーナリストで旅行記なども書いている作家ジャン・モリスが自身の半生を描いたものだ。上下巻の本も含めれば10冊以上が邦訳されているが、本書がジャン・モリスの著書としては最初に邦訳されたものだ(日本での刊行は1976年)。ずっと読みたかったものの、古書が高くて手を出せずにいたのだが、昨年末に安く入手でき、年明けから読み始めた。ジャン・モリスは、生物学的には男性として生まれるが、そのことに違和感を抱き1972年に性転換手術を受けている。同書は、子どもの頃からの性的違和感、男性として生きていくなかで感じてきたこと、性転換手術のことなどが書かれている。1926年に生れ2020年に亡くなっているので、人生のほぼ半分を男性として生き、残りの半分を女性として生きたわけだが、その男性として生きた時期のことを書いていることになる。
『剣よりも強し』は、西日本新聞の前身である福岡日日新聞で論説などを書いていた菊竹六鼓の評伝(六鼓は号で、本名は淳)。六鼓の記事を読む限り、共産主義には同調していないし、天皇制や大日本帝国憲法を支持していたので、「左翼」ではないが、五・一五事件の後に軍部を厳しく批判する論説などを書いている。軍部は怒り狂い、本書によると、軽爆撃機が編隊を組んで、福岡日日新聞社の社屋上空を飛んだりして威嚇している。こちらは、1964年の刊行で、当時存命だった六鼓の家族や知人から直接話を聞いていて、それがヴィヴィッドな六鼓を描き出す要因になっている。

上に挙げた4冊に加え、この両書も復刊されていない。ほかにもいわゆる「赤ちゃん斡旋事件」を扱った『私には殺せない』(1974年刊)、第二次世界大戦中のユダヤ人などの救命などに関わったル・シャンボン村について書かれた『罪なき者の血を流すなかれ』(1986年刊)も復刊されていない。中野富士見中学いじめ事件を扱った『「葬式」ごっこ』は、1994年に刊行され長らく絶版のため古書が高価になっていたが、2021年3月に電子書籍化されている。時事性があるもの、センセーショナリズムに欠けるもの、事態が変化してしまったものなどは、どうしても復刊されないのだ。

しかし、私はここに挙げた「古い本」と出会えて良かったと思っている。
復刊も再刊もされないから、そして古いからという理由で、読む価値がなくなるわけではない。

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