理想と現実。どうやって甘いレモンを実践する?

※この投稿は、考えることを習慣化するために60日間なにかしらのことについて考えてみようと頑張っている人の投稿です。day14

こんにちは!

昨日、Twitterで下の記事が流れてきました。

とても私に心に刺さった箇所があるので、紹介したいと思います。

人が苦しそうにしている時、その人の痛みは自分の痛みになる。だから、その人が変わることを支えたいと思う。人の痛みを和らげることを通じて、自分が楽になりたいのだと思う。
だけど、その人は、選んでその場所にいるのだ。いろんな傷つきや、苦しみとともにい続けることが必要な時もある。その痛みは、その人の何かを守っているのかもしれないし、変わる選択の方が苦しいこともある。

特に私に刺さったのは、「その人は選んでその場所にいる」「痛みはその人のなにかを守っているのかもしれない」というところですね。

んで、ちょっと話はそれますが、この、"痛み"というものはなんで発生するのかというところなのですが、私の考えは、"理想と現実に差がある"からだと思うんですね。理想はこうだけど、現実は違うみたいな。

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んで、この"理想"と"現実"という2つの矛盾したものを同時に感じることで悩みや痛みが発生するらしいのですね。これを"認知的不協和"というらしいです。

それで、この痛みから開放されるための考え方で有名なものが2つありますね。"甘いレモン"と"すっぱいぶどう"です

甘いレモンとは、「本当は甘い果物が食べたい(理想)のに、手元にはレモンしかない(現実)、でもこのレモンはきっと甘いはずだ!」と自分を納得させるということですね。理想に届かない現実があったときに、現実はそれはそれで良いものだと思って、いわば諦めるといった感じです(今本当に幸せを感じている人は別)。現状に満足することで悩みを解決する方法ですね。

すっぱいぶどうとは、「木の上にあるぶどうが食べたい(理想)が、高すぎて取れない(現実)ときに、あのぶどうはすっぱいに決まっている、別に食べる必要はない」と、理想に届かない現実があったときに、実際理想に届いたところでたいしたことはないだろうと、理想を壊すことで、悩みを解決する方法ですね。

どちらも理想と現実の差を無くすことで痛みを無くしているので、理想と現実の差が痛みの原因であるということは間違いではないと思います。
図にするとこんな感じ↓。

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しかし、この考えでは、一生理想には辿りつけませんよね。どうしても達成したい理想がある人もいると思います。そこらへんをどうするか、私的には、"甘いレモンをやりながら甘いぶどうを取りに行く"をやるしかないと思っています。

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まあ、当たり前っちゃ当たり前ですよね。

んで実はここからが今日の本題で、じゃあ、どうやって甘いぶどうを取るか?なんですけど、これは容易に想像できると思うんですが、まあいろいろ努力したり、方法を探したり、とにかくぶどうを取るためのアクションを起こすことですよね。

次に、どうやって"甘いレモン"を実践するかなんですよね、これが理屈では分かっていても、実践するのって結構難しいと思います。いくら今が幸せだと思い込んだとしても、心のどこかで理想を見ている自分がいますよね。なので、これを解決するには「レモンが甘く感じるほどすっぱい思いをしなければならない」と思います。そのためには、大変な思いをしながら理想を追求したり、色々な経験を経て、「現実も捨てたもんじゃないな」と感覚的にわかることなんじゃないかなと思っています。

これは、気持ちの部分なので理屈だけでは意味がなく、理屈も理解した上で感覚的にも理解している必要があると思います。

どんなときも今が幸せと思える人はここらへんを経験的に理解しているんじゃないかなと思います。

なので、とにかくアクションを起こして多くの経験をすることで、甘いレモンを実践しながら甘いぶどうを取りにいくことができるのではないかなと思いました!

終わり!

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