見出し画像

大切なことは全て“高校野球”が教えてくれた

はじめに

私の投稿に目を止めていただきありがとうございます。

今回の記事は私の人生の棚卸しの一環として書かせていただきました。私を育ててくれた『高校野球』への感謝、高校野球の素晴らしさを伝えるために、初のnote投稿として書かせていただきます。

現役球児・元球児の方はもちろんのこと、これから社会に出ていく学生さんや既に活躍されている社会人の方々が『自身の過去が今にどう活きているか?』を考え直すきっかけとなればと思います。

0. プロフィール

私をご存知でない方も読まれると思うので簡単に(^^)

愛知県豊明市出身の現在25歳・社会人3年目。中学2年の時に地元の中京大中京が夏の甲子園を優勝した時に現地で観戦をしており、その時の感動から『甲子園でプレーすること』が目標になった。その翌日から強豪校への進学の道を掴むために練習に励み、翌年に中京大中京と東邦高校のセレクションに合格。「目指せ甲子園なんて言わない。目指すのは全国制覇だけ。」という監督の熱い言葉に惹かれて、東邦高校への進学を決意。部員120人・1軍〜5軍に分かれる規模を誇る野球部で最後の一年間はベンチ入りを果たす。最後の夏はチームとして注目を浴びるものの、ベスト32でコールド負けを喫して、甲子園の夢は叶わずに高校野球の人生を終える。

※大学以降の経歴については、別記事で記載します

1. 大人の世界は理不尽に溢れている

憧れの名門校の野球部に入部して、これから「甲子園を目指して2年半頑張ろう!!」と意気込んでいた入部初日。いきなり厳しい現実を打ちつけられる。練習が厳しいことくらい覚悟していた。しかし、こんなにも「秩序」や「倫理」と言った言葉が存在しない世界が存在するのか?という事実に正直戸惑った。

それは『理不尽な上下関係』の存在だ。

もちろん体育会ならではの『礼儀・作法』はあって当然だと思っていた。しかし、待ち受けていたのは驚くほど呆れるような謎ルールだった。1年目のときに実際にあったルールは以下のようなものだ。(※2014年に甲子園に出場した後輩達がこうした謎ルールを完全に撤廃したため、今では健全な状態になっています。)

「1年目はコンビニ・自販機の利用禁止」

「1年目は眉毛を剃ってはいけない」

「1年目は地下鉄に乗る時に2両目しか乗ってはいけない」

「1年目は冬の練習でグランドコートを着てはいけない」

「1年目はカバンの紐を短くしてはいけない」

今、こうして書き出してみても本当にバカバカしくてしょうがない。これを徹底することで野球がうまくなるのであれば、とことん取り組んだだろうがそんなはずはない。

でもそうした世界を生き抜いたことで、社会に出てからのギャップはさほど感じずに済んだ。ある意味、大人の世界はもっと理不尽だ。政治の世界から『忖度』という言葉が生まれたように、全てのことが理に叶った選択になっていない。

だからこそ『何が正しいか?』『自分は何をすべきか?』ということを常に自問自答して、生きていくことが大切なんだと思う。

自分がそういう思考を持てているのは、間違いなく理不尽な上下関係を潜り抜けきた経験があるからだろう。

2. 目標を達成したかったら 『結果』 に拘り 『手段』 は問うな

初対面の方に野球をやっていることを伝えると大抵「どこのポジションでしたか?」と聞かれる。私はいつも笑顔で「センターを守ってました!」と答える。

確かに守備位置として守っていたのは“センター”だが、実は本当に正しい回答は「監督の右腕」「サードのランナーコーチ」である。

野球に詳しい方なら「サードのランナーコーチ」は容易に想像がつくはず。しかし、そんな方でも「監督の右腕とは?」となるはず。正式にそんなポジションは、どの野球の参考書を見ても載っていないからだ。

具体的には試合中には監督の指示を常に選手に伝達する役割を担い、遠征先では選手兼任でマネージャー業務を任され、学校では監督・コーチからの連絡事項を各クラスの部員に伝える役割を担ったりと、いわば大学の部活でいう『主務』のような立ち位置である。

なぜ高校生がそんなポジションに就いたのか?

それは『監督の右腕』と言うポジションを掴むことが、自分にとって「必ずベンチ入りを果たす」ための一番の近道だと思ったからだ。

1軍から5軍まで存在する野球部の中で、総勢120人がベンチ入りの20人の枠を切磋琢磨して競い合う環境の中で、背番号を勝ち取るのは実際に容易ではなかった。しかも周りは小・中学校時代から名を轟かせ、雑誌にも取り上げられたことのある選手がゴロゴロいる。中には若干15歳にして日の丸を背負ったことのある同期もいた。

最終的には野球の技術で勝たなければ、プレイヤーとして甲子園の土を踏むことができないことはもちろん分かっていた。しかし1軍と2軍では、練習設備も時間も大幅に異なっていた。

1軍に入らないことには、それを賄うだけの練習もまともに受けることができないため、自分の中でいち早く1軍入りを果たすことが最重要のミッションだった。

だからそれが叶う『監督の右腕』に拘った。

実際にそのポジションを掴んだことで、周りの選手から批判もたくさん受けた。「あいつは監督に気に入られることばっかりして、ベンチに入りやがって」と。

中には選手の父兄で「なんでうちの子よりも下手くそな髙山君がベンチ入りするんですか?」ということを指導陣に訴えた人もいたらしい。

でもはっきり言ってそんな周りの批判は自分にとってはどうでもよかった。

野球の実力だけでベンチ入りのメンバーが決まるなんてルールはどこにも書いてない。変なプライドや周りの批判に左右されて、目標達成が遠のくことの方が自分にとっては100倍嫌だった。

目標達成に必要なのは「手段」ではなく「結果」に拘ることだと、この経験が教えてくれた。高校生ながらその選択肢を貫いたことは、人生のファインプレーだったと思う。

画像1

3. センスを言い訳にする人は“ 一生負け組 ”

前章で触れた『監督の右腕』というポジションを掴むために拘ったこと。

それは「誰よりも練習で手を抜かない姿勢を貫くこと」「常に学校で上位の成績を修めること」

「練習で手を抜かない?」

いやいや当たり前のことじゃないかと思った方もいるかもしれない。

だからこそ、それが重要なんです!

当たり前を“ どれだけ継続し続けられるか ”で、必ず差は生まれる。

「センスがある人はいいな」と言い訳をしている人をたまに見かけますが、『センスが無いなら、無いなりの勝ち筋を見つけたらいい話』なんです。

自分に野球のセンスがないのであれば、それを“ 根性 ” “ 姿勢 ”で埋めてやればいいと。もしセンスを言い訳にして練習も勉強も頑張らなかったら、おそらく『監督の右腕』というポジションは掴めなかっただろう。

そのポジションを掴み切ったことは、人生の大きな糧になっている。

今でも仕事で上手くいかない時や苦しい時には、当時の経験を思い出すようにしている。

人生で勝ち組になりたかったら「センスを言い訳にすることだけは、絶対にしてはいけない」ということを。

大切なことは全て “ 高校野球 ” が教えてくれた。

おわりに

最後まで目を通していただきありがとうございました。

この先、私が社会人としてどんな成功を収めたとしても、きっとその成功の原点は『高校野球』にあると言い続けるでしょう。

それだけ高校野球の2年半は、私にとってかけがえのない貴重な時間でした。

少しでも読んでいただいた皆さんが、『自身の過去』を『自信に変えるきっかけ』にしていただけたら幸いです。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?