クレア・ビショップ藝大公開講義の要約もどき

2021年6月5日に東京藝大国際芸術創造研究科が主催する美術史家/批評家クレア・ビショップの公開講義がオンラインで行われて聴講していました。非常に興味深い内容だったので真面目にメモを取っていたので要約もどきをしてみたいと思います。僕は専門家でもなければ美術史学徒でもないので、間違っている箇所もあるかと思いますので、あくまでも要約「もどき」であることをご承知の上、読んでいただけたらと思います。

・ビショップの著書

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Installation Art: A Critical History. London: Tate, 2005 (英語版しか出ていませんが、Amazonで買えます。)

人工地獄、フィルムアート社 (2016/5/24)

ラディカル・ミュゼオロジー、月曜社 (2020/5/2)

Claire Bishop in conversation with/en conversación con Tania Bruguera,' NY: Cisneros 2020 

主要論文として 「敵対と関係性の美学」(星野太訳、『表象5』所収、月曜社、2011年)

・公開講義「介入:政治的タイミングの芸術」(英題 Interventions: The Art of Political Timing)

講義冒頭に、新たな研究についての内容で、90年代以降、主にラテンアメリカを中心に話を展開するとビショップは明言する。タイトルにもあるように、芸術としての介入についてを主題とするレクチャーで、作品の実例を挙げながらそれに即したり逸脱したりしつつ、ビショップの理論が展開されていく。

・芸術的介入

はじめに、ブラジルのアーティスト、3Nos3の≪Ensacamento≫(1979)を例に挙げる。一晩のうちに、町中の銅像の頭部を袋詰めにするという作品だ。

ここでビショップは芸術的介入に特徴的な4つの重要なポイントを列挙する。

①公共空間の使用、②公共的な許可の欠如、③メディアの活用、④日常的な視覚的言語の使用

より具体的に、

①は一般観客への参加の要請、②は3Nos3はクリストの梱包芸術のような公的許可のプロセスを経ていないこと、③は実空間での作品が即座に撤去されうるために新聞報道のイメージを利用すること、④は美術史に言及しようとするのではなく、社会的慣習(このばあいは、頭に袋をかぶせることが拷問を意味するという事実)を利用していること。

本講義の大きなテーマとして、介入においては時間>空間の重要性をビショップは主張する。

次に介入と関わる3つの用語が提示される。

Disruption 歴史的な戦略として。(デュシャンの≪泉≫などの図版を挙げつつ)

Action アクションはジェスチャーと同様に中立的 ⇔ 介入は積極的

Activism 社会に変化をもたらす

続いてロシアで行われたETIの≪Text(dick)≫が紹介される。この作品は、1991年4月15日にレーニン廟前の広場で、dickの文字に横たわるという身体的ジェスチャーで、汚い言葉の公共空間での使用を禁じる法律制定の3日後に行われた。

その他複数の芸術的介入の実践例を挙げつつ、美術史的な長い時間間隔ではなく、それぞれがサイトスペシフィックな実践であるものの、それ以上にスピード感とタイミングが鍵となっていると彼女は述べる。奇襲的、ゲリラ的であるからこそなのだ、と。

・介入の歴史・段階的なその意味の変化

外交政策的な面における介入という言葉は、20世紀初頭では侵攻や戦略・宣戦布告を意味していたところから、戦後にはCIA的は秘密工作を意味するものとして、そして90年代にはベトナム戦争に代表されるような超法規的干渉、さらに90年代後半以降では「人道的」という言葉の下に少数弱者を守るような、良い意味へとすり替わっていった。

一方、欧米圏のアートの文脈では80年代にはじめて介入の言葉が現れる。コンセプチュアルなインスタレーションを社会空間で展開したダニエル・ビュレンや美術館や美術制度に対してフェミニズム的問題提起を行ったゲリラガールズなどに使われ始める。

2つ目の変化として、彼女は「美術館における介入の中和化」を挙げる。

近年のアーティストによるキュレーションの増加がその端緒であるが、美術館が招聘したうえで、アーティストがキュレーションする、それはつまり、委託された介入がそこで行われていると指摘する。しかし、美術館やビエンナーレで行われる介入の実践の時間性は、上述の例のような主体的・自発的実践のそれとは全く異なっている。

そして、介入の時間性がゲリラ的であるからこそ、その流通としてのメディア・インターネット上での展開が密に関係するとも結論付けている。

・過去10年間における3つの介入の実践例

①Voinaによるロシアでの≪Dick Captured by the FSB≫(2010)

メディアアートはPhoto+Video+Textで構成されるとし、(新聞から始まりネットに至るまでの)メディアでの流通を考えると、視覚的な分かりやすさも必要とされる。

②タニア・ブルゲラ≪Tatlin’s Whisper #6≫(2009)

ブルゲラはここ数年間の自分の実践に対して、Political Timing Specificという語を用いており、これは時間性の観点からサイトスペシフィックを再考するという意図だ。そして、タイミングは政治家が頻繁に用いる手法であるという指摘から、ブルゲラのテクストはらびに本レクチャーのタイトルのTimingにPoliticalが冠されている必要性自体をが強調される。また、ブルゲラの実践では、キューバとアメリカの関係回復のタイミングと結びつけられている。

③Parker Bright ≪Open Casket≫(2016)

ホイットニービエンナーレにおいて、黒人の芸術家がシャツの背にメッセージを書いて、絵画と観客のあいだに立つという文字通りの介入。

3つの例から分かることは、アーティスト・アクティビストの活動のメディアのエコロジーは介入の見られ方を決定づけるということ。SNSの激流は議論が加速するが、そのレベルが不本意に低下しかねない。意見が無限に細分化してしまう。

・結論 道徳的相対主義

未来派のマリネッティーの「アーティストたちは最初の介入者」という言葉から、ビショップは芸術的介入の根源が考え直す。介入の次のステップとして、目的と手段の議論の必要性、まだ起こっていないことを垣間見て、反抗的な欲求のエネルギーを人生に向ける方法として締めくくる。

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