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第2回切り博 展覧会レビュー編

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2020/8/8~8/23に大阪市内で開催される第2回切り絵博覧会について、既に別ページで展覧会レポート及び自作解説を執筆しました。

このページでは、それ以外に特筆したい作品や展示構成などについて私的見解などなどを書きます。細かい内容ですので、切り博を概観したいという方はレポート編をご覧ください。

では、レビュー編スタートです。

作品編

まずは作品について。他にもたくさんの素敵な作品がありましたが、時間とページ数の都合上、今回の展示作品で特筆したく思った数点に関して、ご紹介します。取り上げる順番は、会場でキャプション横に付されている作家番号順です。

≪夢遊の約束≫(佳帆、2020)

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≪泡沫のクオリア≫(佳帆、2016)

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佳帆さんは、今回4作品出展されている。個人的には、たしか2016年ごろから、何度か企画展やSAMURAIの展示でもご一緒させていただいている。過去の展示会で拝見した作品、そして本作以外の3作品はどれもシンメトリックな画面であるが、本作はアシンメトリーな作品である。モチーフは少女と金魚であるが、これは展示されている≪泡沫のクオリア≫にも共通するモチーフだ。特に、≪夢遊の約束≫の台紙として採用されている紙が、「クラシコ 星くずし」という種類の紙であるのだが、水色のトレーシングペーパーにも近い紙の表面に乗っている白いテクスチャは、水のなかの気泡さながらであり、それこそ2つ横かかっている≪泡沫のクオリア≫と緩やかに繋がって見える。このように佳帆さんの作品は複数の作品に渡って同一モチーフ(蝶など)が描き込まれることが多く、シンメトリーの作品には飾り縁や装飾枠が描かれることも多いが、額と額の間、つまり額の外にも広がる世界を想像したくなる独自の世界観に圧倒される。


松川修平氏の2組4作品

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トンネルの入り口と出口、扉に立つ少女の朝と夜。切り博に出展される作品の多くが、手数が多く要素も多いものが大半だが、松川さんの作品は、対照的に要素が極めて少ない。そういった意味で切り抜いていく、切り絵的表現であり、さらに明暗という切り絵手法の1つの仕組みをことごとく利用しており、ここではまさに切り絵こそが最適な表現手段となっている。特に、右の2作であるが、明るい部屋から暗い部屋、暗い部屋から明るい部屋へと移る少女。寝室だろうか。きっとそうだ。この2作品の間でこの少女は「夢」を見ている。少しだけ残念に思えたのが、これらの2対を縦に展示するべきかどうかという点だ。展示ケースは床に近く、どうしても上の2作(手前に出てくる人物)を見てから、下の2作(奥へ入る人物)を見る順番になってしまっている。


≪華実≫(仲順れい)

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モチーフとして目に飛び込んでくるのは、女性でもあるが、それ以上に繊細に作り込まれたベールだ。ベールと言えば、古典絵画によく登場するモチーフだが、「古典彫刻」にもよく登場する。私は、この作品から、コラディーニの「ヴェールに包まれた彫像」やミケランジェロの「ピエタ」を想像した。これは、白い紙と大理石の白が共通するだけでなく、紙を切る行為と石を刻む行為も類するものだからだろう。次に、手に持っているシロツメクサのような花と、背景の半透明の植物文様が目に留まる。仲順さんの切る、絡み合う線が、植物の蔓が伸びて絡まりゆくさまと重なる。タイトルからは、果実という言葉が容易に連想され、上述した古典芸術にもつながるような聖書世界に思考を向けられる。ただ、画面から受ける印象は決して古典的なものばかりではない。現代日本でベールといったら結婚式で新婦が被るくらいだろう。合わせて左手薬指に輝く指輪が一層強く印象付けられる。

運営の北野氏いわく、仲順さんから、額縁を壁面から浮かせてほしいという申し出があったという。これは確実にある程度の影を落とすためと思われ、立体額に額装したら自動的に形成される云わば受動的な影とは対照的に、非常に積極性のある影へのアプローチと言える。他の出展作品とは少し違った影だ。そうして生み出された影だが、これが作品のコンテクストにも大きく介入している。切り絵と影は白黒の対を成しているが、切り絵に裏打ちする紙の厚みに差異を持たせており、両者は違う線と面が現れ出ているのだ。そして、影の世界には植物の文様が映らないようになっており、ここに生と死の対概念が暗示されている。2つの人物像は異なる表情を浮かべ、単に影が作品に重なって見えるのではなく、しっかりと対となって、切り絵を同じ力を持って鑑賞者に突き付けられる。これらの状況を前に、鑑賞者は2つの人物像、そして2つの世界のあいだを行き来することになる。どちらかが作品の本質であり、どちらもが作品の本質となりうる両義性を、影という存在の「揺らぎ」の性質が暗示しているのだ。


他にも、特筆すべき作品がいくつかあったが、時間と写真不足のため、ひとまずここまでとして、もしかしたら会期中に新たな記事や書き足しをするかもしれません。(p.s.もしも、出展者の方で、この作品について書いてよ、っていう方がおられたら、喋るの好きなので時間見つけて書かせていただきますよ。)

展示構成編

今回の展示は、8つのブロックに分けられ、①Entrance「爽やかな導入部」、②Room02「始まりの小部屋」、③Room02「ダイナミックな流れのある部屋」、④Wall01「優美」、⑤Wall02「内に向かう力/外に向かう力」、⑥Area01「ピアノのある空間」、⑦Area02「夜を戴くものたち」、⑧Area03「光と闇の同居」と名付けられている。

これらは、出展作品をすべて見てから、展示構成が考えられ、その後(もしくはその最中)に付されたものだが、単刀直入に違和感が少なくない。とにかく、タイトルの文言がバラバラすぎると感じる。「優美」、「内に向かう力/外に向かう力」、「夜を戴くものたち」あたりが作品のモチーフや構成から直結し、「ピアノのある空間」はある意味、会場内でのサイト性が際立つ。(ハース代恵氏の作品配置なんかが特にそう。)そう考えると、「始まりの小部屋」などが、なんだか色々詰め込んだみたいな印象を与える余地がありそうだ。(少なくとも自分にはそう見えてしまった。)性質や系統が同じ単語や文言で統一するか、キプリス・sizmaでそれぞれテーマ性を作り対比させるなどの手法も十分検討できそうだ。

作品展示場所について。

特筆すべきは、輿石孝志氏の作品の配置だ。

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この作品はゴシック建築の大窓や中世ヨーロッパ建築の教会堂の天井のような印象を覚える。そういう意味では、形としては対称形の会場の、一番奥に配されていること、そしてキャプションが壁につけられているのではなく、テーブルに置かれているのは、講壇(教会で聖書朗読などに使われる台)を想起させ、作品により深みを与えている。せっかくなら、ビシッと対称軸上にあってもよかったかもしれない。

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他にも、私松村の作品と斎藤洋樹氏の作品の構図の求心性の類似であったり、

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濱谷宗慎氏、秀多氏、後藤大樹氏の作品の神話や仏教的モチーフなど、聖性といったテーマの共通性から展示配置がされたのだろうという例もある。

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それの最たる例が、「夜を戴くものたち」と冠された空間である。

さて、このようにモチーフの連関などで配すると、その場その場については統一性が出るほか、個々の額の外の世界への想像も掻き立てられるが、そうであるならば、やっぱり、展示空間に付す言葉には何らかの一貫性または対比性がほしかったように思える。こういった展示方法は良いところも多いが、その反面、明るい空間で見ると蝶に見えてたものに対して、暗いところでは蛾のイメージも連想されたりと、複雑な解釈が誤読的印象を伴って突き付けられることも多く、出展者の多い展示会では難しい課題の一つだろう。

出展作品全般について

今回、前回に比べて、50㎝を超える、20号、30号、はたまたA2サイズといったような(切り絵としては)大きな出展作品が目立った。年々多様さは増しているものの、その反面、剪紙や立体、抽象表現などまだまだ少ないor無い表現形態も多く実感された。自分とて、その例外ではないのだが、次回開催へのそういった期待も少なくないだろう。

終わりに

最後に、今般の世情での開催について。4、5月に開催予定であった本展ですが、僕は運営に延期するように真剣に抗議メールを送ったことを覚えています。まあ、送った翌日くらいに緊急事態宣言に依拠して、延期の知らせが出たのですが、一度はSNSで不参加の旨を公表していました。そのあと初夏に延期会期が公表されたのですが、おそらく僕はここらへんで出展辞退しておくのが、礼儀だろうとも思っていたのですが、今、そこそこ図々しく出展しています。社会活動の判断が難しい世の中ですが、僕を出展させてくれている切り博の運営の方々の寛大さに感謝しつつレビューを締めたいと思います。

さてさて、レポート編、自作解説編、レビュー編の順で3記事も書いてしまいましたが、わりと僕は真面目なんだぞ、ということを書き添えて。


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