大切なお知らせ。

僕は、音楽を辞めません。

厳密に言えば、辞めようと思っていたけど、もう一度始めてみようと思います。

結論から話せ。と言うのがとても分かりやすいので最初に結論から話しましたが、ここから先は特に興味のない方にとってクソ長いだけの駄文となりますことをご容赦下さい。

忖度もお世辞も一切語る気ないので、嫌な人は絶対に読まないでください。





まず、何から話せば良いのか。。。

2020年、コロナが世界中で蔓延した年。

僕はマイナス十何万からのスタートになりました。

それまでたまたま続けていたバイトを辞め、こっからまたリスタートだぜ!と息巻いて生誕ライブなんぞを企画した最中のコロナ。

正直絶句でした。

そのころは、中止となったライブハウスへ支払うキャンセル代に、逆にオイシイじゃんwwwなんて思いながら流れ作業のようにキャン代を支払い、バイトを見つけ、なんとかなった。

そう、なんとかなってしまったんです。

だからこそ、コロナが落ち着いたら。。。なんて半分不安を背中に感じながら楽観的にアホづらで未来を眺めていたのでした。


場面は変わり、住まいが変わり、コロナだからとライブハウスへ出演が減り、同年9月に一旦見納めとなるライブさえ行うことができました。


そうだ、コロナなんだから、未曾有の大感染なんだからどっしり構えて俺は
曲を作ればいいんだ!

そんな風に思える頃はまだ元気があったのだと思います。

2020年10月、友達が死にました。

死因は交通事故。

あっという間の死。何も感じることも、悲しむことのできる余裕もないままの死でした。

何がどう繋がっているのかは本当に分からないもので、その時さえ、まだ「俺はこいつの分までやりたいことやって生きて、俺はお前の分も人生謳歌しまくって死ぬよ」なんて思えている内は。。。


2021年、1月。

自分の住まい(シェアハウス)から仲良くしていた友達が去りました。

徐々に日々の安定感を失われ、足場を一つ一つ外されていくような感覚。

もちろん、だだ1人の友人という訳ではなかったので分かりやすい落ち込みもなく、いや、感じまいとし、笑顔で、あるいはそれっぽい顔をして見送りました。


2021年、3月。
自分がコロナにかかりました。

コロナにかかった事により、働きやすさや健康の有り難みを改めて痛感しました。

この時はちょっとだけ気持ちが前に向いています。

2021年、5月。

シーシャ(水煙草)に出逢います。


それまで何もない空白の時間を擦り減らしていた僕にとって行幸とも言える出会いでした。

シーシャを通して同年12月まで心置きなく過ごすことが出来ていました。


ただ、ここで大きく変わったことがありました。

それは、これまで少しずつ続けていたランニングをやめた事でした。

ランニングすることは中高と陸上競技を続けてきた自分の一つのアイデンティティでもありました。

また、音楽で使う筋肉や、持久力の源でもありました。

自分の健康や体調、それらと結びつく音楽と、そして続けられず足を止めている自分をふと思いました。

「あれ、じゃあ音楽やらなくていいじゃん」

この言葉がとてつもなく胸に突き刺さったのです。


これを聞くと、シーシャ辞めたらいいとか
シーシャやりながらでもランニングすりゃいいし、音楽もやったらいいやん。

と思えそうなもんですが、当時の僕は仕事がやっと安定してきたばかりでした。

生活基盤が安定してきた反面、27歳。

今後の未来をどう生きるか?

そんな問いに対して、稼ぐための音楽を一旦放棄した自分。

「え?何のために音楽してたっけ?」

お金のためではないと分かってはいるつもりでも、これまでの自分とは環境が変わってしまっているが故、明確な回答を出せないまま年を越えることとなりました。


2022年、1月。

隣人が再度コロナにかかる。


当時シェアハウスに住んでいた僕は心が疲弊していました。

やらなくてもいい事に気を使い、あまつさえ自分がその空気を良くしていかないといけないという観念に囚われている最中でのコロナ感染。

集団生活において2回のコロナを体感した僕は、完全にトドメとなる一撃をもらった気がしました。

どれだけ言葉で取り繕うとも、やはり全く他人から影響が無いと断言できる精神状態ではなくなっていたと思います。

すごくセンシティブな期間だったと思います。


2022年、2月半ば。

両目視界の混濁。

これも僕の心をさらに追い詰める要因になりました。

現在も完治していません。

明らかに疲弊し、心がぶっ壊れそうになりました。

あと一歩、悪魔が背中を押したら、死も揺らぐ。

他人に頼る事の苦手な僕は、心の寄り場を失いました。



2022年、4月

シェアハウスでの活動やイベントに消極的かつ無気力になりました。

存在意義やら、何やら、意思疎通の図れない環境やらで糸は完全に切れた気がしました。


僕にできるのは、シーシャを作ることだけ。と自分に言い聞かせ
それでも足りなさすぎるスキルを補填することで必死でした。

「まぁ、もう音楽は無理だろうな」

だって仕方ないじゃん、儲からないし
だって仕方ないじゃん、お金かかるし
だって仕方ないじゃん、かっこいい曲書けないし
だって仕方ないじゃん!コロナなんだし!

誰のせいでもない。誰のせいにもならないなら、だったら、じゃあなんで俺はこんなに苦しんでるんだ。

それでも自殺を選ばず、自傷を選ばず、他人を殺さず、他人を傷つけずに生きていくって、みんな当たり前にやってるよ?って言われても知らねーよ。

じゃあお前が何とかしろよw

好き勝手に期待して、好き勝手に役割や品質を叩きつけて

めんどくせーな全員死ねよ。

音楽のおの字もないですね。。。


完全に誰の言葉も届きません。

音楽が好きで、俺のことを未だに見てくれている大事な友人にも
「歌を辞めないでほしい」


ムーーーり!!無理無理!

世間じゃもーーーーーーーーっと綺麗でカッコよくて音源もちゃーんと出してるアーティストいっぱいいるもん。

俺は何も出来ません。無理です。これ以上頑張れって何を頑張ればいいんだよw知らねーよ。


そろそろ答えを出す時じゃない?
歌は向いてなかったよw
仕方ないって食ってかなきゃならないんだから
でも、お前の友達はそんな中で削りながらもライブしてるぜ?

あーもうめんどくさい。

だったらいますぐ捨ててやるよクソ

はい、捨てた。もう拾わねぇ。さよならー。とドブ川へ音楽だった何かを捨てたつもりでいました。


はー!もうこれで俺は将来設計して、お金やりくりして、シーシャ作って、友達も彼女も作って、ハッピハッピー!これが幸せです!

簡単だよね!これでよかったんだ。


おい、、、、、なんでもっと空虚の穴がデカくなってんだよ。

なんで捨てたはずの音楽でこんなにも震えるんだよ。

どうでもいいはずだったじゃん。どうでもいいものだったじゃんそれは。

なんでまだ心臓の近くに炎が灯っているんだよ。

とっくにドブ川で鎮火したと思った炎は灯ったままでした。


2022年7月

とあるアーティストに会いました。

岩手にてHIPHOPメインに歌う彼女はすごくキラキラして見えました。

いいねぇー。俺よりも5、6年も若いし何でも出来るね!まだまだこれから楽しい未来が待ってるよ。

でも何か俺も歌いたいなぁ。



2022年7月

大事にしていた友達でシンガーに音楽を辞め、シーシャをこれからやっていくと言う話をしました。

そいつはあっさりと「へー!いいじゃん!」と言いました。

そして、「俺は売れるための音楽はもうとっくにやめたよ」

「自分が歌いたい歌を歌うし、それでいい」

僕のドブ川に捨てたはずの灯火に業火が降り注ぎました。

言葉を失いました。

一つは、音楽を辞めるとした俺を一切罵倒しなかったこと。
それでいて、受け入れてくれた事。
その上で、自分の明確なスタンスを示してくれた事。

思えば、コイツに会ったのが運の尽きでした。

コイツは出会った時から、明確な拳を突きつけてくる奴だったのです。

コイツと一緒にいる以上、感化されないなんてのは不可避。

というより、無意識に人の心を大きく揺さぶれる奴だったわけです。

嬉しいような
切ないような
戸惑いのような複雑な感情が渦巻いていました。

もし、、、もしも仮に
自分にしか歌えない歌がまだあるのなら

いや、心の中にあった炎がその衝動と爆発に行き場を求めているのなら

僕は、無視できないんじゃないのか?

誰に止められても俺は俺だと言って行動してきたコロナ前の自分に

いやそれを受け入れてくれる仲間に。

今俺が見せていくべきは進んでいく姿、その勇姿なんじゃないのか?

どうでもいい奴らはクソほどどうでもいいし
戯言もTwitterで死ぬまでやっててほしい連中も全てブチ抜くほどの没頭。

俺の描きたい世界。ただそれだけの一点。

ただそれだけのための音楽だってあってもいいんじゃないか?

言い訳も諦める理由も全て、光を浴びたかのようにボロボロと剥がれ落ちていく感覚がしました。



そんなことがあり、改めて、僕は音楽をやります。

くだらない長話に付き合わせて申し訳ないです。

もう少しだけ話は続きます。



僕はUVERworldをライブで見て、泣いて
あぁこの人達とライブがしたい。

貯金箱を壊して、中身を覗くように

自分が集めた大切なものをひとつひとつ拾い上げた一番最後に入っていた、音楽。

バンド組むような友達もいなかったから、自分で歌っちゃおうとやっとやっとローン払い終えたばかりのたっっかいエレキギターを売って、7000円のアコースティックギターを購入。

自分を本当の意味で追い込むために、ドイツへ単身乗り込み、身ぐるみ剥がされないように人目を避けて路上で寝て過ごした時間。

あの日投げ銭してくれたドイツ人、イギリス人、日本人、もっとたくさんの人

その旅のためにお金を貸してくれた友人。

ワンマンライブやるといえば、ろくなセットリストも、人脈も持ってない俺に協力してくれたドラムの林さん。

箱を紹介してくれた瑞貴ちゃん。写真を撮ってくれた平木。

活動の記録になるような冊子を作ってくれた紅葉さん

音楽活動が下火になっても何度も誘ってくれてチャンスをくれたライブハウスのYajiさん

俺に音楽を辞めないでいて欲しいと伝えてくれたSHOさん

俺に新たな選択肢をくれたみっちーとまさなお

あまりに数え切れない人の存在が、今日の俺の四肢を支えていました。


名前載せてないからどうのなんてくだらないことは絶対言わなでくれよ。
そんなことじゃないと思うし、俺が言いたいのはそこじゃないからな。

俺にとって恩義のある人っつーのは本当に数え切れないくらいいるって話で、その一つ一つが、一つたりも無駄じゃなく俺を作ったって話だよ。


さて、僕はこれからもシーシャをやる。

出会ってしまったからね。出会ってなかった頃にはなかった自分があるし
シーシャで繋がることが出来た縁や、心震える出会いが確かにあったと思っているからね。

そして、音楽について、近々改名したいと思います。

理由は、俺そのものと音楽をやっている自分は同じであって、違うものだから。

今のだいてぃー。ってのもその頃呼ばれて一番心地良かったから付けたのだし、前にライブでも宣言したんですが、だいてぃー。としての世界観はそれはそれで綺麗だったけど今の俺は24歳の自分とはまた違っているからね。

シーシャはやるし、音楽はやるけど改名する。

あと、CDは出さない事にします。

何というか、これが一番辛かったと言っても過言じゃない。

段階ってあるけど、俺のこれまでの登り方じゃしっくり来なかった。

CD出すって簡単に言うけど、あれ結構金と労力かかってるのよ?
他のアーティストたちが言わないなら代わりに言うんだけど。

労力って一言で言うけど、これまでの寝ずにいた時間全てと言ってもいいくらいのシロモンなのよ。

だから、機会が来るまで俺はCDは作りません。
いつかそんな話が出たらそれは最高に幸せなんだろうね!楽しみに待っておきます。


そんなところでしょうか。

色々動向が移り変わる僕なんですが、応援してくれる方々を愛しています。

クソみたいな事多い世の中で愛してます。なんて言葉すらも信用ならないし、要らない言葉だったりするけど

そう言うのは人に支えてもらった事のない、分からない連中だからね。
勝手に腐ってればいいと思うよ。

俺は間違いなく人に支えてもらわないと生きていけない自信があるね。

俺という存在はどれだけ小さくても、俺が誰かの光になれるように、そのための言葉だったらこれからも吐いていくと思うよ。

めんどくさいね。人生って。

でもまぁ仕方ないじゃん。そのめんどくさい人間の1人なんだから。俺も。
あと多分ここまで読んでくれているお前もw


はい、言いたいこと言い切ったからこの辺で終わります。

やりたいことはやる。それに尽きるな。

by僕、俺、だいてぃー、大地。

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