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自分がダセェと思うことはしたくないと感じた1年目



今の自分いけてないなぁ、ダサいなぁと思うことが仕事でもプライベートでも多かった1年だった。大学生の時より仕事でもプライベートでも様々な人と出会った一年だった。様々な人の振る舞いを見て、これは素敵だな、自分もそんな風に考えられたり振る舞えるようになりたいなと感じたり、なんでそんなことを言うのかと疑問に思ったりもした。この1年間、他者との関わりや自分の振る舞いを内省する中で感じたことをまとめると「自分がダサいと思うことはしたくない」という思いだった。

振り返るとあの時ダサかったな、誠実ではなかったなという行動が多かった。

周りの空気に屈して自分が良いと思ったものを良いと言えなかったり、コミュニケーションでしこりがあった相手に対して直接意図を聞けず、裏で愚痴を吐いてしまったり、能力を人と必要以上に比べてしまって卑屈になったり、自分の行動に対して相手に見返りを求めてしまったり、自分の気持ちに嘘をついてしまったりした。そんな振る舞いを自分がしてしまっていると気がついた時に、ではこれからどうすれば良いのかと考えた1年でもあった。なぜ自分が良いと思うものを良いと言えないのか、どうやったら相手と気持ちよく直接対話ができるのか、なぜ見返りを求めてしまうのかについてひたすら考え続けた。考え続けたことによってそれらの振る舞いを改善すると共に、自分が大切にしたい価値観を固めることができた。少しずつではあるが自分の信条と振る舞いを一致することができるようになってきた。

この1年は必要以上に「空気」というものを恐れていた気がする。

「社会人としてこうしなければならない」、「エンジニアとしてこうあるべきだ」というものが自分の中に存在していた。もちろん守るべきマナーやルール、職場での倫理的価値観、他者を思いやる気持ちなどは大切だと思う。しかしそれらのことを逸脱しなければ自分らしく振る舞って良いのだと気がついた。必要以上に恐る必要はないのだと気がついた1年目だった。良いと思ったものはどんどん良いと言っていけば良いし、疑問や違和感を持っても時間を置かないで相手と直接対話をすることで信頼関係が醸成されるのではないかと気がついた。自分の気持ちに正直に生きていいのだと思う。

これらは前提として心理的安全性が担保された環境ではないと成立しないと思い、そのような環境に今自分がいれることにとても感謝することもできた。ネガティブなフィードバックを自分のことを思うためにしてくれる友人がいてくれて本当に幸せだと気がついた。

改善できたこともあるが、まだまだダサいと思ってしまう振る舞い、発言をしてしまうことがある。しかしダサいということに気がつくのが大切なのだと思う。ダサい、いけてないと気が付かなければ変えることはできないのだと思う。現状に満足したところで人格としての成長が止まるのだと感じる。多分一生ダサいと思い続けるのだと思う。昔の自分に対して「あの時の俺キモかったなぁぁぁぁ。。。」と感じるよう一生同じような気持ちを持つのだと思う。でもそれでいいのだとも思う。完璧な人間なんていないと思うし、完璧になんてなれないのだと思う。自分のダサさとか醜さと向き合いながら少しずつ自分に対して相手に対して誠実な振る舞いをできるようになりたいと感じる。
最後まで読んでいただきありがとうございました!

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