『人間失格』太宰治

 ・要約

 極度に神経質な、敏感な、ネガティブな人間である主人"葉蔵”の人生を描いた中編小説であり、主人公を取り巻く人間関係や自分自身の考えの葛藤がディープに表現されている。                     

 作中において"葉蔵”の周囲に対しておどけてみせる「道化」としての姿は自らの家族、友人、恋人に対する恐怖から起因するものであり、「道化」として偽りの側面を露出することによって周囲との折り合いをつけいく。従って周囲の目にはご機嫌な奴または、変り者として映る。しかし、次第に唯一の自分以下であり見下していた(しかし親しくしなければならぬ事情により共に多くの時間を過ごす)友人にさえも、異常な者扱いされていく。

互いに影響を与えながら付き合い続けるその男、堀木。侮っていたその男に自身の道化を見透かされ交友が始まっていくが、女関係、家族関係全てにおいて結局は「人間の活動」というものが葉蔵には解せぬものでありまた、恐怖そのものであり終焉は薬物中毒になり果てる。ただそんな中、一つの心理を発見する。それは、「ただ一さいは過ぎていく」ということ。薬物に蝕まれ精神状態や容姿は荒れ果て、まともな、いたって普通な人間生活が理解できない外れもの(人間失格者)でありながらもこの心理を発見し、手記による葉蔵の視点(人生)は終わりを迎える

・感想

 「人間失格」、この言葉は手記のなかで主人公である葉蔵が、自身の人間としての終期に呟く(または感じる)ものである。葉蔵を取り巻く人間たちの周りを気にした行動や意思に反しても秩序を保とうとする姿勢、こうした人間活動から起こるストレスに起因した裏の側面を目の当たりにし恐怖を覚え、道化として折り合いをつけていくことにした主人公葉蔵はとても器用であると感じた。

 しかし、道化として偽りの自分を保つなかで、自分以下だと思っていた意外な人物(堀木)にそれが見破られることになる。そこで彼を味方に付けるよう試行錯誤する。こうしたやりとりや人との付き合い方にリアリティーがあった。

次第に女関係でも上手くいかず、薬漬けになり、廃人となっていく。こうした中で出る「人間失格」という言葉は、誰よりも人間として過剰に考え、過敏に感じることができた葉蔵にとっては、100点満点な人間としては失格であるが、その一般的な100点基準の人間"以上"な、はみ出し者、150、180点な人間であると感じ、故に人間失格であると感じた。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?