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祝20周年、パチンコエヴァンゲリオンの思い出

今年、2024年はパチンコエヴァンゲリオン20周年の年であると、ふいに気付きました。
またもYoutubeサーフィンで、こんな動画を見つけて見入ってたんですね。

懐かしさに目頭が熱くなった、そんな初代エヴァの映像です。
プレイヤーとしてはもう引退済みな私ですが、パチエヴァの思い出に浸りたくなりました。

人生に差した、十代の頃の光

3月にこの記事の中で綴ったように、2004年は5年後に倒産することになる職場に入った年でした。先述の通りパチンコ店でしたので、新しい機種の情報がいち早く耳に入る環境でありました。
秋頃に「CR新世紀エヴァンゲリオン」のリリースを知り、当時エヴァヲタクを卒業していた私は「ふーん、エヴァがパチンコになるのか」程度の冷めた認識だったんですね。

小冊子、表紙違いで4種類ほどあったのでコンプリートしていました

ところがいざ発売されると、アニメのオープニングがそのまま流れる大当たり演出、何より馴染みのBGMが常に流れている変動時の画面に心を揺さぶられました。ちょうどこの頃パチンコ業界的にも新基準機が出始めて盛り上がりを見せていて、エヴァはその第一弾という触れ込みで登場したのが相まって大人気機種になったんですね。
軽く説明しますと、「突然確変」という、いわば玉の出ない小当たりが搭載された機種が出てきたわけです。打ち手にとって何がメリットなのかと言いますと、単純に期待できる場面が増え、遊戯として面白くなったんですね。ちなみに他のメーカーですとSANKYOからフィーバー大ヤマトなどが出ており、こちらも人気でした。あれから20年、今度は庵野監督がヤマトを手掛けることになるとは。

私はこのパチンコ・エヴァがキッカケで十代の頃の「エヴァ熱」が再燃、つい三年前に新劇場版の完結を迎えるまで17年間エヴァヲタクで在り続けるその道がスタートしたわけです。
実はこの頃、20代前半だったわけですが東京から実家に帰ってきてなんとな~く日々を過ごしておりました。…だけなら良かったのですが、私生活で色々とトラブル続きでして非常に暗い時期でもあったんですね。「何やってるんだろ…この先どうなるんだろう…」みたいな、漠然とした不安、しかしどうすればいいかも見えない、そんな「人生の谷間」だったといえます。しかし、再度エヴァエヴァと言い始めてヲタ活を始めてから、日々に張りが出てきました。note記事でも何度かお披露目した、エヴァ棚を作っていったんですね。

しっかりオタク、してましたねこの頃は

やがて、抱えていたトラブルは2007年ごろに全て解決するに至りました。その前年に家族にトラブルが起こったりもしたのですが、とにかく私は二十代で色々と経験したものです…先の記事に書いた通り、勤め先が滅び去るというのも、今となっては貴重な社会経験でした。
そんなカオスの中で差した光こそがエヴァンゲリオンだったんですね。今、振り返ってみるとパチンコが出なければエヴァヲタク復帰もなかったかもしれません、そう考えると本当にBistyには感謝、です(笑)。

よりハマっていた、スロットエヴァンゲリオン

パチンコの大ヒットがあってか、翌年にはパチスロでもエヴァンゲリオンが出る事になりました。2005年の9月頃だったと思います。

こちらも5年前と、古い動画ではあるのですが貴重な初代スロエヴァの実践記録です。これも、観ていると懐かしさでちょっと泣きそうになってしまいます。
パチンコはエヴァが出る前からたまに打っていたのですがスロットは怖くて手を出せていませんでした。というのも、この頃はストック機といわれる4号機全盛期でして、スロットは生きるか死ぬかの大博打をするものだ、という認識があったからなんですね。当時を知る人にとっては、忘れることのできない機械がたくさんありました…「獣王」「サラリーマン金太郎」「コンチ4X」などですね。その後も「アラジンA」などがあり、初代北斗、吉宗などの時代を経て明らかに「やりすぎ」だった4号機時代は終焉に向かいます。

このスロットのエヴァは、そんな過激なスロットから離れてマッタリ遊べる(当時はそういう認識でした)5号機の先駆けだったんですね。それを知って、「エヴァだし、そこまで怖くもなさそう」という気持ちで初めての回胴式遊技機に手を出した…という、初代スロエヴァでした。

本当にマッタリ遊べる台でした

そして、まだ若かった私はこのスロエヴァにハマりました。打ちに行ける時は仕事の前でも後でも通いまくってましたね。それでお金が保っていたので、勝率も悪くなかった…と思います。そもそもよほどでなければ大負けもしない台でした。地元では原付ライダーだったのですが、雨の日も打ちに行ってましたね~今はとても、そんな情熱をギャンブルに注げません(笑)。

今でもハッキリ覚えているのですが、2005年の10月7日、職場の人達と約束して一緒に打ちに行こう、という話になっていたんですね。私以外は先に競艇に行ってその後で来る、ということでした。私は一足先にホールに着いて、エヴァを一人で黙々と打っていました。4号機全盛時代ですからエヴァのシマは空いていて、静かに打てたのを覚えています。今思えばこの頃、ジャグラーも今のような高稼働ではなかった気がしますね。
で、この日の私は絶好調、お昼過ぎからの稼働でしたが閉店まで打ち切り、3000枚出したんですね、投資は2000円だったので…

58000円、勝ったわけです(香川県はほぼ等価交換)。

そして職場の人達は競艇が盛り上がったのか結局、来ませんでした(笑)。
私は最後まで一人で延々とアスカと戯れていたんですね~でもそれが、滅茶苦茶楽しかった。

その時の勝ち分は、ウルトラマンネクサスのDVDを全巻揃えるのに使った気がします(笑)。
いや~いい思い出でした。

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