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Review : Dystopia / Anger Brought by Disease

東京都、大阪府、兵庫県は新型コロナ・ウイルス蔓延が止められない為、3度目の緊急事態宣言を発令した。

一体、どれだけ国民に我慢だけをさせるつもりだ。

挙句まだオリンピックを開催しようと必死だ。

補償なしに自粛をしろなんて話が何処の世界で罷り通るのだろう。

「国家が非常事態なので、外出は自粛して下さい。
でも食いぶちは自分でなんとかしてください。」ということだ。

国民全員を補償しなければ意味がないので、一律給付金を支払ってもらう以外の道はない。
ここまで自粛を迫り、日常を奪った政府の責任は重いし、許しがたい。

'96年にリリースされたオレンジ・カウンティ/オークランドのアポカリプティック・グラインディング・メタルクラスト、Dystopiaと、同郷の同じくアポカリプティック・メタルクラスト、SkavenとのSplit 7"に収録された"Anger Brouht by Disease"という楽曲が、正に今の世相を映しているので、この機会にじっくり向き合ってみて欲しい。

この頃は、日本でも阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件などの余波で世間は暗かった。
この頃にあらゆる社会を風刺する音楽が描いた未来が2021年の今、現実に起きている。

冒頭の

"If I Die from Disease, When I Die I'm Taking You With Me
Maybe Tomorrow Or When I'm Fifty"


すわなち、「もし俺が病死するなら、その時はお前も道連れだ。それは明日か、俺が50の時かもな」という事だ。
恐ろしくなるほど、言葉が強烈で辛辣な胸が痛むようなフレーズが羅列されてる。

Dystopiaは皆さんご存知と思うが、凄さまじいメンバーで構成されている。
ドラム/ヴォーカルのDinoGhoul, Asunder, Lachrymose, Phobia, Carcinogen, Noothgrush、ギター/ヴォーカル/サンプリングのMatthはMindrot, Medication Time、ベースのToddConfrontation, Mange, Kontraklasse, Phobia等でも活動し、カルフォルニアのクラスト/グラインド/スラッジ/ドゥーム/パワーヴァイオレンス周辺のレジェンドが集結している、90年代のUSハードコアの代表の一つだ。
 

特に"Anger Brought by Disease"のライヴでの盛り上がりは凄まじく、客は曲に合わせて歌詞を叫んで答える、代表曲のひとつと言える。
とにかく暗く、怒りと憎悪に満ち溢れた社会的な思想を持った詩は、彼らがアナーコ・パンクの姿勢を持っているからこそ産まれるものだ。音源のリリース等も基本的にはD.I.Yでやっており、音楽的にもアナーコ・パンク/クラスト/グラインド/スラッジ/ドゥーム/デス・メタルを病的なサンプリング・センスによるイントロを用いたり、コラージュ、 グラフィティを随所に盛り込んだ天才的なセンスを奇跡的なバランスでアウトプットするバンドだ。

カルフォルニアのクラスト・パンクと言えばApocalypse, Glycine Max, Skavenがすぐに思いつく。カルフォルニアといえば陽気なイメージだが、オークランドやベイエリア出身のバンドは陰湿で、残忍な音楽性を持ったバンドが多い。
オークランドは、ベイエリアに於けるサンフランシスコに次ぐ大都市で、工業都市でもあるので治安の悪さも有名でギャングが多く、ヒップホップもかなり栄えている。

ラップの代表はToo $hortで、それこそNasにも影響を与え、イースト・コーストにコンシャス・ラップの流れからギャングスタ・ラップを再興させた功績の裏に、ウエスト・コーストのギャングスタ・ラッパー達が居る。
その中でも、オークランド、ヴァレーホ、サンフランシスコ、サクラメント等のベイエリアのラップは特別だ。(この話はまた別の機会で書こうと思うので、今回は詳しく書く事は避けるが、ベイエリアを無視してヒップホップなど語れない)

Dystopiaのロゴや、アートワーク内に使われる手書きの書体から、明らかにヒップホップの影響があるのが見てとれる。ドラム/ヴォーカルのDinoは"VOMET"という名前でアーティストとしても活動しており、病的かつ冷酷で現実的な一目見ただけですぐに彼のものと解るアートワークを手がけている。
Dystopiaのロゴが好きで、アイコンとしてフェイヴァリットに挙げている人も多いので、彼らが幅広い層がら支持される要因になっているのだろう。
しかし、彼らのTシャツを着る前にしっかり歌詞を熟読し、音楽を聴き込んで欲しいと思うのだ。

何となくその時の流行で、お洒落だから、かっこいいから、みんなが好きと言っているからという理由で音楽を聴くのもいい。
しかし、それだけでは自分の血肉にはならないのではないか。
自分自身で本当に判断しているのか?という事。
誰かの意見の受け売りではないか?
選択という行為さえ、猿真似になっていないか?

それを突き詰めて考える事が、ハードコア・パンクに関わる上での責務だと私は考えている。
影響を受けて、その後そのまま流されてしまうのではなく、自分自身でどれだけ考えるかが全てだ。

だから、歌詞を読まなければいけない。
英語がわからなくても、調べて自分で解釈すれば良い。解釈して噛み砕き、自分の思想とするのだ。

ちなみに、この曲は’97年にリリースされた編集盤"The Aftermath"にも収録されている。
各種ストリーミングでも簡単に聴く事ができるので、もっと多くの人が聴ける状況にある。

かく言う私も、この編集盤がリリースされた頃にアメリカ村のアベニュー心斎橋にあったNAT Recordsで面出しで陳列されてたものに添付されたコメントを読んで買っただけなので、レコードは後で集め直した訳だ。
リアルタイムで彼らが出てきた頃は勿論知らない。

24年の時を経ても勿論大切に持っているし、レコードは殆ど実家に置いてある為、帰省する訳にもいかずCDのみの紹介となってしまうが、自分にとってこの編集盤と出会えた事はかなりの衝撃だった。

Dystopiaを正しく日本に広めた人が正にNAT Recordsに在籍されていたので、あの狭く怪しい雑居ビルの上階に足繁く毎週通ったものだ。

その頃周りにこの手の音楽を聴く人間は居たが、当時大阪の空前のニュースクール・ハードコアの流行により、嗜好の全く違う自分はアングラ(この呼称は本当に憎悪している)と呼ばれ、他にも仲間は居ないか探す日々が続いた。こういうバンドがしたくても伝わらないまま何年も経ってしまう。

結果的に25年以上経った今も、好きな人の数は極めて限られているし、結局この世界はアンダーグラウンドで若者が少なすぎるのが現状だ。

正直、インターネットが普及して以降にDystopiaが好きという人と出会っても残念ながら、そこまで何も感じなかった。

インターネットが人間の思考力を破壊したのか、インターネットが人間の愚かさを露呈しただけなのか、はたまたその両方か。

しかし、リアルタイムを知らなくても自分の頭で考えてセンスを磨く事は可能だし、そうでなければ過去だけが正しいという事になってしまう。
新しい世代がこの世界観を理解し、魅了されてくれないと途絶えてしまう。
だから私は声を大にして、この文化の凄さを伝えたいのだ。

彼らの事を知らなくても、名前を知っているだけでも、Dystopiaがこれから深く考えるきっかけになれば幸いだ。
自分自身に対する戒めでもあるので、この自粛期間にもっと聴き込んでみようと思う。



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