インドネシアのニセ王国物語

はじめに

インドネシアは、国家元首である大統領を国民が選挙で選ぶ共和国です。もっとも、インドネシアと称される領域には、歴史的に、たくさんの大小の王国が存在してきました。

大王国では、7~13世紀にスマトラ島、マレー半島、ジャワ島などにまたがる領域を支配した仏教国のシュリヴィジャヤ王国、13~15世紀にジャワ島中東部を中心に栄えたヒンドゥー教国のマジャパヒト王国、16世紀末から18世紀半ばにかけてジャワ島中東部で栄えたイスラム教によるマタラム王国などがよく知られています。これらの他にも、スマトラのアチェ王国、カリマンタンのクタイ王国、スラウェシのゴワ王国など、それなりの領域を支配した有力な王国がひしめいてきました。

大王国以外でも、現在のインドネシアの領域には、数え切れないほどの小王国が存在してきました。その規模は、今でいうところの村ぐらいのものも少なくなかったのです。たとえば、国を表すインドネシア語は「ヌガラ」(Negara)ですが、マルク州では、村と同レベルの集落単位を「ヌガラ」と呼ぶことがあります。

そして、これらの王国が、近代国家や行政単位のような境界を定める「面」としての領域支配を行っていたというよりも、支配下にある小王国や集落という「点」を基本にして支配を行っていたと考えられます。その意味で、同じ「国」という言葉を使っても、そのイメージするものは昔の「王国」と今とではかなり異なり、昔の「王国」のほうがずっとあやふやで不確かなものであったと想像できます。

自らを「王」と称する権力者がいて、その者に忠誠を誓う者、その者の支配を受け入れた者の存在する範囲が「王国」として認知されていたにすぎず、それを、後世の我々は、あたかも領域支配としての「王国」だったかのように理解してしまっているのかもしれません。

インドネシアは共和国ですが、インドネシアの人びとの国家意識のなかには、歴史上、長い間存在し続けてきた「王国」のイメージが色濃く残っているように思います。それが故に、どうしても大統領を国王のように見てしまう様子がうかがえます。そして、国が乱れ、社会が危機に至ったときには、そこに救世主としての「正義の王」(Ratu Adil)が現れる、という一種のメシア信仰も根強く見られます。「正義の王」が乱れた治世を正し、国に平安をもたらし、新たな繁栄へ導いてくださる、という信仰で、これは1990年代後半の通貨危機から政治社会危機、スハルト政権崩壊へ至る過程などでも現れました。

インドネシア共和国として独立する以前、植民地支配者であったオランダは、その支配にあたって、支配領域内の14の有力な王国と長期契約を結び、268のその他の王国と短期契約を結び、それらの王国が植民地支配の枠の範囲で存在することを認めたといいます。

これらの王国は、インドネシア共和国の成立とともに、インドネシアの領域内に取り込まれ、地方行政に取って代わられていきました。それらの多くは支配者としては消滅し、多くは文化遺産となりましたが、ジョグジャカルタ特別州だけは、歴代の州知事をジョグジャカルタのスルタンが務めるという形が特別に認められ続けています。

このようななか、2020年に入って、様々な新しい「王国」が出現し、メディアを賑わせています。そのほとんどは、虚偽の情報を流布させたとして、詐欺の容疑で警察に逮捕され、多くの国民の失笑を買う事態となりました。

もっとも、ニセ王国が現れたのは今回が初めてではありません。これまでにも、様々なニセ王国が現れ、消えていきました。そのなかには、宗教になれなかった土着の信仰と結びついたもの、そのように匂わせたものなどがありました。

今回は、2020年に入って話題となったニセ王国騒動を見ていきます。取り上げるニセ王国は、「普遍的で偉大なる王国」(Keraton Agung Sejagat)、「スンダ帝国」(Sunda Empire)、「王の中の王」(King of the King)の3つを中心にし、「クラゲ王国」(Kerajaan Ubur-Ubur)、「スラコ王国」(Kesultanan Selaco)にも触れます。正直いって、彼らの言っていることを真面目に受けとめようとすると、頭がおかしくなってしまいそうな気になってきます。

普遍的で偉大なる王国(Keraton Agung Sejagat)

2020年1月10日、中ジャワ州プルウォレジョ県バヤン郡ポグン・ジュルトゥンガ村にて、とある儀式が行われていました。それは、1518年に消滅したマジャパヒト王国が500年を経てジャワの地によみがえる儀式でした。マジャパヒト王国最後の王は、西欧人代表のポルトガル人との間で、500年後にジャワの地へ戻すという約束をマラッカにて交わした、というのです。

この儀式では、マジャパヒト王国の後継者としての王(Kanjeng Sinuwun Rakai Mataram Agung Joyokusumo Wangsa Sanjaya)と王妃(Sri Ratu Indratanaya Hayuningrat Wangsa Syailendra)が現れました。2020年1月12日、二人は200人の聴衆を前に、マジャパヒト王国の後継であるとの「普遍的に偉大なる王国」の系譜を説明しました。

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「普遍的で偉大なる王国」の「王」と「王妃」
(出所)https://www.cnnindonesia.com/nasional/20200116093538-12-465811/keraton-agung-sejagat-antara-cuan-dan-mitos-ratu-adil

「普遍的に偉大なる王国」は2018年に正式発足しました。発足後、ディエン高原で集団沐浴し、アルジュナ廟で儀式を行いました。儀式の場所を中ジャワに作るという話は2019年に持ち上がりました。

ただし、活動自体は正式発足前の2015年以前から行われていました。

スイスのある銀行にEsa Monetary Fund(EMF)の名前で2億ドルもの資金(+10万ドルの保険)が保管されており、その資金をインドネシアの人々を助けるために引き出される。その資金はジョグジャカルタ開発委員会(JOGJA-DEC)を通じて引き出されるので、資金を得るためには会員登録する必要がある。会員になれば毎月数百ドルをもらえる。資金は毎月、ATMまたは協同組合を通じて送られてくる。

「普遍的に偉大なる王国」は、2015年頃からこのように宣伝し、国連のマークの入った書類などを見せて、会員を募っていったということです。

2020年1月13日、プルウォレジョ県警察が状況把握のために来訪し、事情徴収を行った後、1月14日、「普遍的に偉大なる王国」はニセモノであるとして、王を名乗るトトック・サントソと王妃を名乗るディヤン・ギタルジャを詐欺の疑いで逮捕し、証拠品を押収しました。

儀式の会場には、ジャワ様式の集会場(Pendopo)が未完成のまま建てられ、その北側に神聖な雰囲気の池が掘られていました。集会場にはジャワ文字で書かれた神聖そうな石碑がありましたが、実はこの石碑は、2019年12月にウォノソボの石工が2週間で掘ったもので、石の上に文字と絵はすでに描かれていたということでした。

警察の調べによると、トトックはジャカルタのアンチョールに住んでいて、区長(Ketua RT)に引越ししたいと申し出ましたが、拒否されました。区長名義の不動産の土地証書をもとに、トトックが銀行から13億ルピアを借りていたのでした。

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