国葬の日に思ったこと

前置き


※この記事はすべての事柄に言及しつくしているわけではなく、一個人の思想に基づく気持ちの整理のまとめになります。政治討論のネタに引用するのはおやめください。


デモと違和感

2022年9月27日、日本武道館にて故安倍晋三元首相の国葬が執り行われた。連日報道を騒がせており、実施当日の朝から夜まで中継等が行われていた。

もちろんすべてのニュースや新聞記事を見尽くしたわけではないけれど、Twitter見ていただけでも色々な情報や思想が滝のように流れてきてかなり疲弊したのは事実。いちいち受け止めてたらきりがないから、そういうときはメディアに触らないほうが吉なのはわかっているのだけど。

今回の件で目についたこと。
日本の報道にしては珍しく、デモの様子が色濃く出ていたと思う。トップニュースから反対デモの見出しがあり、類稀なる事例だと感じた。

実際、安倍晋三首相が現役だった頃は、あらゆる場面で国会議事堂前にデモ隊が押し寄せ、抗議活動を行っていたものの、ほとんど報道には映らなかったと思う。オリンピック反対のときもここまでではなかった。へえ今回はなんだかちがうな。そう思ってた。

わたし個人は、首相が現役時代に行ってきたことの功罪は数多あると今でも思っているし、素晴らしい政治だったとは口が裂けても言えない。これで「亡くなった人を侮辱するなんて!」と思う方がいたらぜひともブラウザバックしてください。この記事向いてないというだけなので。

不透明なまま有耶無耶になっている事例もまだまだたくさんあるし、明らかにしてほしい疑惑も山程あると思ってる。それらを悲惨な事件で亡くなったからと言って、全部恩赦するのは間違っていると思う。
ただ、この気持ちのまま、国葬をやることを認めるのは同時に考えても差し支えないのではないか?
そう思い、今回記事を書きたいと思った。

冠婚葬祭は人の営みの区切り

アベ政治を許さない=国葬反対、で本当にいいのか?
自分の中でこんな疑問が湧いた。

国葬ではなく、冠婚葬祭の一つとして捉えてみることにした。

冠婚葬祭、この場合は葬だけど、人の中で誰かの死というのは簡単に片付けられるものではないとわたしは考える。これは有史以前から変わらないことなのではないか。

しかもあのようなショッキングな事件があり、リアルタイムでスピーディーに報道がなされ、Twitterには現場の映像や写真が次々アップされる。全く無関係の自分でもすごく心拍数が上がり、どうなってしまうんだろう…とあの日はずっとずっと考えていた。たぶんこのような気持ちでいたのはわたし一人だけではないと考える。安倍晋三を好きとか嫌いとかではなくて。そんな次元の話ではなくて、こんな亡くなり方はしてほしくなかった、こう思ったのは本当だよ。

あの日から、ずっとそう思って、区切りをつけられていない人がいまでもいると思うと、一般献花の場が設けられた今回の葬儀は間違ってないと思えた。

花を買い、参列し、手を合わせる。こういう儀式を経て、考えていたもやもやから区切りをつけられてまた元の日常へ戻る、それが葬儀だと思う。弔意がない人がやるべきなのは、叫ぶことではなく弔意を持つ人の邪魔をしないことだと自分は考えている。

次に、今回のデモの主張へはかなり疑問が生じた。おかしいな?と思ったことを書いてみたい。


国費からじゃなきゃ良かったのか

概算で約16億円以上が今回の国葬にかかったという。やらなければこのお金は浮き、国民生活へ還元されたのだろうか?

わたしにはそうは思えない。
もしも国葬を実施しなかった場合、色々な国の要人がばらばらに来日し、その度に警備費がかかり、その度に駅のゴミ箱や道路が封鎖され、何回も大変な騒ぎになることが予想される。交通インフラが止まる、滞ることはなるべく回数を減らしたい。なので一回でまとめて警備する、という考え方もあると思う。大都会の大動脈が使えなくなるのは国民生活の滞りに直結する。よくないことだと思う。

仮に国費からではなく、私費や党の予算からではどうか?デモの主張でも党から国に返金せよ、という意見は目立った。
たしかに、弔意を持たない者からすると、意にそぐわないことに16億円以上も…!とキレたくなるのもよくわかる。あらゆる物価が上昇し、引かれるお金が増えて手取りが減ってるのも事実だし。それなら自国の生活が潤う方にまわしてほしい…それもよくわかる。

ここからは素人の意見丸出し↓
もしも私費や党の予算から葬儀を行ったらどうだったか?
想像するに、これは即他国から日本経済が舐められる。あんなにセンセーショナルな亡くなり方をした元首相の葬儀を国費でやれないくらい貧しいの!?と…
うわ怖い円安加速しそう、と思った。ますます輸入品高くなるんじゃないかそうしたら。生活が潤うどころの騒ぎじゃない。悪化の一途を辿りそう。
経済の専門家様に怒られそうなゆるふわな内容しか書けない、IQマイナス100の我であった…

静岡県をダシにするな

これはただの利己的な怒り。
先日の台風の影響で、静岡県の清水区等の一部地域が被災し、未だに復興の手がまわっていない。
「国葬やる金があったら静岡県助けろ」「デモやる暇があったら静岡県でボランティアしろ」的な意見はもううんざりだ。マジで見たくもない。今回の国葬と被災を絡めて話すのはどの立場の人でも嫌。静岡県の話は静岡県の話で全く別なんだよ。とにかく一日も早い復興を願っています。


暗殺事件の背景との関連性

「まだ明らかにされていない、宗教との関連性がわからないうちに国の予算で葬儀をやるな」
※あえてぼかした書き方にしています

↑これが最もしっくりくるデモの主張でした。
これならわかる。解明してないのに国の予算使って…と思うのはわかる。

こちらに関しては、冒頭の区切りの話で落ち着くかな、というところ。言い方が悪いけれど「暗殺事件のことをすっきりさせたかった」国民はわりと人数がいたのだと思う。解明はもちろんしてほしいけれど、花を手向けることにより、もしくは花を手向ける様子をテレビなどから見ることにより、ひとまずは落ち着きたかった人が多かったんだよな。きっと。
それですべてのことを忘れて、許していいとは全く考えていないけれど。許してないことと、弔意を持つ人の邪魔をすることはやっぱりイコールじゃないと思うんだ。

まとめ

国葬やってよかったか?と尋ねられると、実はなんとも言えない。やらなかったほうがお金かかるし生活混乱するし、そういう面ではよかったと言える。
反対に、葬儀が終わると文字通り一区切りついてしまうので、生前のことを洗いざらいにしようという気持ちが急激に薄れていくのも事実。美化というか、亡くなった人のことを悪く言うな!的な雰囲気に傾くのは避けられないからね。そういう意味ではやらないほうが良かったのかな、とも思う。

気持ちの整理のために記事を書いてみたものの、それでもまだかなりの消化不良だ。完璧にスッキリするには、有耶無耶になってるあれこれが解明されるまでお預けなのだろうな。


2022/9/27
@daed_a_lus_
綾織 洛

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?