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ギル・シャハムwithザ・ナイツ

ベートーヴェン&ブラームス: ヴァイオリン協奏曲
ギル・シャハム/エリック・ジェイコブセン&The Knights

昨年末からずーっと楽しみに待っていた新譜。

大好きなヴァイオリニスト、ギル・シャハム。
神童の面影が残る若い時代も好きだけれど、とにかく近年のシャハムが好きでたまらない。真の天才に特有の、年齢を重ねてたどりついた“幼さ“とは異なる無邪気さが本当に好きで好きで。いい意味でのチャラさというか、肩の力が抜けた感じがあって。でも、それもまたひとつの成長の形。年齢を重ねた今は、技術的に上手に弾くことよりも、自分の魂をどうやって楽しませるかを真剣に追求しているように見える。そこがカッコいい。

そして、今、アメリカでいちばんワクワクさせてくれる(※個人の感想です)NYCのチェンバー・オーケストラ、The Knights。指揮台に立つのは、エリック・ジェイコブセン。エリックは兄でヴァイオリニスト/作曲家のコリン・ジェイコブセンやアレックス・ソップ(yMusic)らと共に学生時代にザ・ナイツを創設、現在も兄弟ふたりで芸術監督を務めている。チェロ奏者でもある。ちなみに、シンガー・ソングライターのイーファ・オドノヴァンの夫でもある。

はぁ、ふたりともあまりにも好きすぎる。好きすぎて絵まで描いてしまった。

シャハムのソロ新作としては5年ぶりとなる本作は、ベートーヴェンとブラームスのヴァイオリン協奏曲…という、つまり、ヴァイオリン協奏曲のウニイクラ丼。特にベートーヴェンの協奏曲は、意外なことに初録音。これまでベートーヴェンの室内楽や独奏曲は録音してきたシャハムだが、これは“最後の大物ベートーヴェン“。と、文字にするとめちゃくちゃおかしいが、つまりそういうことらしい。十八番のブラームスは再録音だが、それでも2002年にアバド指揮ベルリン・フィルとの共演盤をリリースして以来だから20年ぶりに近い。

ちなみに前作は2016年、グラミー賞にもノミネートされた1930年代のヴァイオリン協奏曲を集めた企画盤の第二弾アルバムだった。プロコフィエフとバルトークの協奏曲をとりあげているのだが、この時もプロコフィエフのほうでジェイコブセン&ザ・ナイツと共演している(ちなみにバルトークはステファン・ドゥヌーヴ&シュトゥットガルト放送響との録音)。

このアルバム、日本ではあまり話題にならなかった。

だが。

ディスクユニオンが年末に配布する、その年のオールジャンル年鑑ともいえる恒例冊子の2016年版『いますぐ聴いてほしい2016年オールジャンル700』では、クラシック編のコラムで大きくとりあげられているではないか。

…て。てへ。すみません、自画自賛です。これも私が書きました。

どれだけ私がシャハム&ザ・ナイツを愛しているか、これでおわかりいただけるだろうか。好きすぎる。でも、実際、これを書いた直後、このアルバムはグラミーにノミネートされたし、日本ではあまり大きな注目を集めることは少なかったとはいえ(この時も、写真もDU BOOKSの担当者がわざわざNYタイムズの東京支社から借りてくれた)、シャハムやヨーヨー・マといった大物たちの絶賛もあって、このあたりからザ・ナイツへの注目度がじわじわ急上昇していったのはウソじゃない。
そして今回、ギル・シャハムが再びザ・ナイツとタッグを組みアルバムを出した。しかも、前作と同様、今回も"Canary Classics”からのリリース。シャハムが、自分の好きなことをやるために作った個人レーベルだ。彼自身がこのコンビでの演奏を気に入っていることの、何よりの証拠だ。

これまでベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を録音しなかったことについて、シャハムはラジオのインタビューで「少しナーバスになっていた」と話している。あまりにも多くの名演が残されていて、有名すぎる作品ゆえにどんな録音もさまざまな論評にさらされる。自分にとって大きすぎる存在だった、と。
でも、それを録音することになった時、あれこれ悩んで逡巡した末にひとつ発見したことがあったそうで、それは、同曲を素晴らしく演奏する音楽家たちに共通していることは、みな、自分たちが楽しんでプレイしているということ。ならば、自分もそうやって演奏すればいいんだ、という結論に至ったらしい。

その発言の真意はわからないけれど、シャハムらしい発想だなと思った。私が近年のシャハムを好きで好きでたまらない理由は、演奏はもちろんのこと、舞台に立っている時にこんなに楽しそうなヴィルトゥオーゾがいるだろうかと思うくらいに楽しそうにしているからでもある。ぶらぶら歩いてオーケストラに近寄ったり、仲のよさそうな楽団員を見つめてニヤニヤしたり、からかうような変顔をしたり。いいオトナ、しかも世界的大御所だというのに、なんだか、最初で最後の大舞台に興奮しているヴァイオリン少年みたいに見えることすらある。最高峰のオーケストラとの舞台でも自宅にいるようにリラックスできるメンタルすげー、と思うと同時に、そのリラックスした状態で奏でる演奏が、もう、本当の意味で頂点を極めた者の演奏だとしか言いようのない天上の響きであることに悶絶してしまう。カッコいい。大舞台に立って緊張するとか、自分のいいところを見せようとケレン味を出すとか、そういう欲望がある演奏家には絶対に出せない音なのだ。
あたたかくて、ウィットに富み、多幸感もあって。
おっさんなのに、天使みたいなヴァイオリニストなんですよ。ほんとに。

で、そんなシャハムが、星の数ほどの名盤が存在するふたつの超有名協奏曲を録音するにあたり、いかに独創的な発想を実現し、自分たちも観客も楽しめる演奏をすることができるか…と考えた時に、共演するオーケストラは、シャハム自身も愛してやまないザ・ナイツだ!と思ったのだそう。

スフィアン・スティーヴンスやゲイブリエル・カヘインなどポップ分野の人たちも含めた現代の作曲家作品をとりあげることも多いザ・ナイツだが、古典も近代もポップスも何でも得意で、もともと初アルバムもベートーヴェンだった。なので、彼らにとっても願ったりかなったりのベートーヴェン。きちんとしているけれど、ナイツらしい華やかなグルーヴ感もあり、楽器ひとつひとつの個性が粒立ったオーガニックなサウンドスケープを、名匠シャハムとのコンビで炸裂させている。本当に相性がいいんだなぁと思う。スリリングで、なのにものすごい安心感もある。

録音は2019年夏、ニューヨーク市立大学クイーンズ校のアーロン・コープランド音楽学校のホールにて。

ブラームス第3楽章の録音風景が、ザ・ナイツのYouTubeで公開されている。

さらには今週月曜日(米国の3月14日、日曜夜)、アルバムの発売にあわせてレコ発ライヴが行われた。ザ・ナイツのホームグラウンドでもあるNYCの92Yで開催された無観客の有料配信ライヴで、さすがにフルメンバーというわけにはいかないのでシャハムと小編成の室内楽スタイルでの演奏となった。が、この編成だったことが幸いしたのか、アルバムの本質をわかりやすく見せてくれるメイキング編というか、解説編のような意味合いもある、実に面白いコンサートだった。

▼告知のキー・ヴィジュアルからして、猫ひろしポーズで超たのしそうなシャハムにいさんw

出演はギル・シャハム、そして奥様でヴァイオリニストのアデル・アンソニー(この日はザ・ナイツ側のヘルプという感じでヴィオラ担当)。ザ・ナイツからは芸術監督でコンマスのコリン・ジェイコブセン(ヴァイオリン)。アレックス・ソップ(フルート)。ニューアムステルダム・レコードからソロ・アルバムを出したばかりのケイトリン・サリヴァン(チェロ)。スティーヴン・ベック(ピアノ)。イアン・サリヴァン(ティンパニ)。指揮者のエリック・ジェイコブセンはお休みだったけれど、ザ・ナイツのオールスター奏者がずらり揃った。

プログラムはベートーヴェン「プロメテウスの創造物」、そして"シュヴェリエ=ホンモノの騎士(ナイツ)の曲"(byシャハム)ということでジョゼフ・ボローニュの弦楽四重奏第5番、そしてメインはザ・ナイツ編曲によるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の“室内楽ヴァージョン”。全楽章、フルです。
このヴァイオリン協奏曲がいろんな意味で(笑)めちゃ面白かった。
ヴァイオリン2+ヴィオラ(アデル・アンソニー)+チェロ+ピアノ+ティンパニという編成によるオーケストレーションで再現するという離れ業で、発想からしてザ・ナイツらしい。単にアンサンブルを置き換えるのではなく、現代音楽っぽく音像、音響の効果などもトリッキーに使ってシンフォニー感を出したり。特にフルートのアレックス・ソップが、管楽器だけでなく弦楽器エフェクトまでひとりでやってのけたりと大活躍。
が、何よりすごいのはシャハム。いや、すごいというよりも自由奔放すぎた。「やりすぎ!」と思わず笑ってしまうほどタメたり、走ったり、コブシ回したり。一糸乱れぬアンサンブルも、シャハムが弾き始めると彼に合わせるのにてんやわんや。格調高いアンサンブルをシャハムがやんちゃに乱そうとしているようでもありつつ、だが、そのせめぎ合いこそが演奏に躍動感を加え、お互いの呼吸次第で演奏が変わってゆくセッションのような醍醐味を醸し出していた。ふだんのコンサートではこれほどまでには自由奔放なシャハムは見たことがないし、たぶん確信犯で暴走していたのでは…(笑)。やるなぁ。
コロナ禍でのzoomセッションは別として、実際に顔を合わせての合奏は久しぶりだったメンバーも多いようで、最初に音を出した瞬間の感無量をSNSに投稿していたメンバーもいた。で、そんな時にあえて暴走してみたり、スコア・ミュージックとはいえ人と人の触れ合う“気“のほうにフォーカスしたような演奏を仕掛けてゆくシャハム(というか、彼も単に楽しくてはしゃいでいただけなのかもしれないけどw)。やんちゃで、いたずらっ子のようで、でも、その音色はまごうことなき天上レベルで、やっぱり天使だった。

このコロナ禍も、シャハムとジェイコブセン兄弟はチャリティ系の音楽活動でしょっちゅう協力しあい、さまざまな催しに自宅からリモート客演をしていた。今回のアルバムはコロナ禍前の録音だが、その後、この1年でさらに友情と信頼の絆を深めてきたに違いない。
アメリカでのロックダウンが始まってすぐに行われたクラシック界のミュージシャンを中心とした24時間ビデオ・ミュージックソン"Music Never Sleeps"は、この種のリモート・フェスの走りだったが、そこでシャハム夫妻とジェイコブセン兄弟が披露したzoomセッションのバッハのダブル・コンチェルトは忘れられない。まだみんなリモート・セッションにあまり慣れていない時期だったし、機器類も整備されていなかったけれど、それでもこんな演奏ができてしまうんだと驚いた。終わりの見えないパンデミックになす術もなく、世界中がパニック状態だった頃だけに、いつもと変わらぬシャハムの明るい音色、フレンドリーな笑顔がいっそう心に響いて涙腺がゆるんだ。まだ1年も経っていないのに、すごく前のことのように感じる。

そして。

今回のアルバムでは、アルバム・ジャケットの素晴らしさも見逃せない。

先ほどから何度も紹介しているザ・ナイツ&yMusicのメンバーでフルート奏者、そして独創的な作風の絵画アーティストでもあるアレックス・ソップによる描きおろしジャケットだ。これまでもザ・ナイツやyMusic、ブルックリン・ライダー、ゲイブリエル・カヘインなどなどのジャケットを手がけてきたソップ画伯、ここ1年はステイ・ホームを利用してますますペインティングにも力を入れていて、なんとTシャツ・ストアまでオープンしてしまった(日本でいうSUZURI的なところで)。そして、ついにギル・シャハムのアルバムまで手がけることに! 寡聞にして知らないが、こんな風にオーケストラのメンバーがカヴァー・アートも手がけたアルバムって他にあるのでしょうか。ロックとかポップスなら珍しくないが、オーケストラ団員が…というのは、なかなか珍しいことではないだろうか。
クラシックの絵画ジャケットというと、なんとなく雰囲気の合った名画系を使ったり…というのが多いけれど。実際に演奏しているアーティストが描いているわけだから、ある種、作品の一部分ともいえる。この絵にまつわるインスピレーションについては、ソップ画伯が自身のインスタグラムで詳しく解説をしているのでご興味あればぜひ。彼女いわく、まず"ギルとエリックとルートヴィヒとヨハネス"が一緒にいる風景…というインスピレーションがあったという。現代のヴァイオリン奏者と指揮者がいにしえの大作曲家先生の書いた曲をとりあげる…というのではなく、“4人”時空を超えて同じ場所にいるというイメージが大事だったみたいだ(たしかに、そういうアルバムだと思う!)。それを彼女は、夏の野外コンサート会場で4人がピクニックしている…という絵で表現した。タングルウッドのような場所だろうか、あるいはもっと田舎の小さなフェスかもしれない。心地よい夏の午後、ワインとおいしいフードがあって、素敵な音楽が流れていて。そして、お菓子にはアリがわらわら集まってくる(遠目に点線に見えるものは、アリの行列)。アルバムのアートワークは、ふつう、必ずしも音楽のイメージとぴったり重なるものではないかもしれないが。このアルバムに関しては、詳細なライナーノーツ以上にその世界観を表現していると思う。だって、当事者による絵なのだから。このジャケットを眺めながらアルバムを聴いていると、いろんな物語がつぎつぎ浮かび上がってくる。もちろんサブスクでも聴けるアルバムだけど、これは絶対にジャケットの現物を手に入れることをおすすめしたい。
できればアナログも欲しいな。
そして、さらに贅沢をいえばTシャツも欲しいw

!!▲!!ご注意▲!!便宜上、参考データとしてAmazonのリンクを貼っているのですが、時期によって新譜・旧譜共にとんでもないプレミア価格がついてしまっていることがあるのでご注意ください。ご購入の際は、タワレコやHMVなどもあわせてチェックしてみてくださいね。

●追伸●ザ・ナイツやブルックリン・ライダーなど、ジェイコブセン兄弟やその周辺のクラシック系ミュージックについては、こちらの拙著↓にも詳しいのでご興味あればぜひ。4年前の本なのでメジャーなシーンの情報は古くなっているものがありますが、逆にザ・ナイツ周辺の話とか、アメリカーナとクラシックが接近している状況についての話などは、当時よりも今のほうが現実味のあるネタになっている気がします。当時はまだオペラにも関わっていなかったリアノン・ギデンズのこともとりあげていますが、今では彼女はヨーヨー・マの後継者としてシルクロードの芸術監督に就任し、メトロポリタン・オペラのPodcastも3シーズン目を迎えるという、米国クラシックのキーパーソンとなっているのだから感無量です。いわゆるクラシック定番名盤ガイドではなく、クラシック+αの枠組みの中で、現在入手可能なCDやサブスクで聴くことのできる最新アルバムを中心に紹介しています。サブスク時代のサブテキストとして、ご覧いただけたらうれしいです。



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