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NYフィル with ジェマ・ニュー

◆ニューヨーク・フィル in メモリアル・デー・コンサート

●5月31日。米国ではメモリアル・デー(戦没将兵追悼記念日)にあたるこの日、ニューヨーク西110丁目にあるセント・ジョン・ザ・ディヴァイン大聖堂(セント・ジョンズ大聖堂)ではニューヨーク・フィル(以下NYP)によるメモリアル・デー記念コンサートがおこなわれた。
このコンサート、セントラル・パークでの野外コンサートなどと並ぶNYPの伝統的な行事で、今年で29回目。

とはいえ、その趣旨からしても、会場の規模からしても、ほぼクローズドな催しであり、そもそも日本にいては実際に公演の全編を見ることなどかなわなかった。今までは。
だが、パンデミック以降、NYPは他の多くのオーケストラと同様、映像配信に力を注ぐようになった。先日はついに映像を中心としたライヴ公演および過去のアーカイヴ配信のサブスクライブ・システム”NY Phil+”もローンチ。これは基本的に有料配信サイトだが、ただ、そのために機材や人材といった環境が整備されたこともあり、こんな時期ゆえの支援者たちのご厚意もあり、YouTubeチャンネルなどでもクオリティの高いライヴ映像が無料配信される機会が増えた。

という流れもあり、今回は貴重な大聖堂でのコンサート全編がNY Phil+およびYouTubeで無料配信されることになった模様。ありがたや。


【NY Phil at The Cathedral: Annual Memorial Day Concert(全編)】
▼YouTubeのアーカイヴ映像はこちら。おそらく、当面は公開されているはず。大聖堂の聖職者によるスピーチがあり、続いてコンサート。※【追記】映像は、現在は非公開になっています。


《プログラム》-------------------------------------
マーラー:交響曲第5番からアダージェット

モーツァルト:フリーメイソンのための葬送音楽

ジェシー・モンゴメリー(b.1981)
:Records from a Vanishing City(2016年)

カルロス・サイモン(b.1986)
:Fate Now Conquers(2020)

シューベルト:交響曲7番「未完成」から1、2楽章
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●指揮者はニュージーランド出身の気鋭、ジェマ・ニュー
本来ならばこういう主要行事にはNYP音楽監督のヤープ・ヴァン・ズヴェーデンが登壇するはずだが、日本も含めて海外の大物指揮者を音楽監督に擁するオーケストラの多くは、パンデミック下で音楽監督の合流がまだまだ難しい。そこで、昨年からは大舞台での若手大抜擢というミラクル登板もしばしば目にするようになった。で、ここもそういう事情かしらんと思われる。
パンデミック中は無観客だったり、少人数限定の客席だったり。でも、昔から大きな世代交代は“ピンチはチャンス“的なタイミングで起きがちだったことを考えると、これからが楽しみな、なかなか興味深い起用がたくさんあった。

その中でも、このジェマ・ニューの登場には拍手喝采。個人的にも超うれしい大ニュースだった。

ニューは現在、NYP音楽監督ズヴェーデンの古巣であるダラス交響楽団の主席客演指揮者なので、その流れでの推薦もあったのではと思われるが。とにかくめでたし。

●プログラムも、とてもNYPらしくてよかった。
バーンスタイン時代にはロバート・ケネディの追悼ミサでも演奏され、NYPにとって特別な曲のひとつであるマーラーの交響曲第5番・アダージェットに始まり、続いてモーツァルト「フリーメイソンのための葬送音楽」へ。

追悼、慰霊、そして残された者のための癒しの曲は、もちろんメモリアル・デーのために選ばれたものではあるけれど、今は、このパンデミックで犠牲になった人々へ捧げる音楽でもあるかのようにすら思えてしまう。その目的を勝手に拡大解釈してしまうのは良くないことだが、こうしてあえて全世界に向けて扉が開かれたコンサートを見ていると、ふと、コロナの戦いにおける“戦没者”たちにまで思いを致さずにいられない。

そして、真ん中は若手の黒人作曲家による現代作品がふたつ。
これも、NYPらしいチョイス。

ひとつは、メッセージ性の強い作品も数多く発表している、今をときめく女性作曲家ジェシー・モンゴメリー(1981年生まれ)による「Records from a Vanishing City」(2016年)。彼女が育った80年代から90年代のNYCロウワー・イースト・サイドをテーマに、50年代以降のジャズやトラッド、アフリカン、アジアン、そしてクラシック…さまざまな音楽が流れる文化の交差点でもある都市の光景が描かれる。
もともとニューヨークのオルフェウス管弦楽団のために書かれた曲だが、混沌と躍動の中から優美な旋律が立ち上ってくる…という、この感じはものすごくマンハッタンっぽい。やっぱり、これはニューヨークの楽団の演奏でなくちゃ、と思わせる作品だ。

 ちなみに、参考までに…こちらはモンゴメリーの代表作の一つである「Starburst」(2012)
黒人のクラシック演奏家・作曲家を支援するNPO団体、スフィンクス・オーガニゼーションの委嘱作品だ。

演奏は、オスモ・ヴァンスカ指揮ミネソタ管弦楽団。

話を戻す。
もうひとつの現代作品も1986年生まれの若手で、幅広いジャンルで活躍する男性作曲家カルロス・サイモン「Fate Now Conquers」(2020年)。
昨年3月、ヤニック・ネゼ=セガン指揮フィラデルフィア管弦楽団によって世界初演となった作品…なのだが。これが、まさにロックダウンと見事に重なってしまい、たしか直前で公演中止に。で、フィラデルフィア管が初めての無観客&配信公演をおこなった時の作品だったはず(違ったかな、あとでもういちど確認しますー)。
この曲は、1815年に書かれたベートーヴェンの日記にインスパイアされたものだという。40代半ばのベートーヴェンの面影が浮かぶ、苦難を乗り越えた勝利への讃歌。もちろんパンデミック前に書かれた曲ではあるのだが、今後、パンデミック後の世界で演奏されることによって、また新たな意味合いを持つようになる気がする。
苦悶、葛藤、安らぎ、希望の光…などなど、今回の演奏を聴いていたら、コロナ前に作られた曲なのに“この1年”が走馬灯のように脳裏をくるくるとめぐる。
音楽の不思議って、こういうところですね。

この曲では、ベテラン・チェロ奏者カーター・ブレイのソロが素晴らしい。わたくしの、NYPの推しメンといいますか、とにかく、ずっとブレイさんの大ファンなんです。お元気そうでよかったー、などとホロリとしつつ、その円熟プレイにとろけました。

指揮者のニューは、モンゴメリー、サイモンと同世代。そういう同世代感覚というか、譜面に書かれたものだけではない共通感覚、言語感などなどが、演奏にも反映されているのかもしれない。

 そして最後は、シューベルトの交響曲第7番「未完成」からの1、2楽章

…と、およそ1時間ちょっとの公演ながら、配信で見ていても感動的な、本当に素晴らしいコンサートだった。
会場である大聖堂の雰囲気や、観客たちの緊張が徐々にほぐれてゆく空気感も伝わってきた。

編成も小さかったし、まだ舞台上はものすごいディスタンス・フォーメーションで、たぶん、お互いの音をよく聴きあうことでアンサンブルを作ってきたNYPにとっては、まだ本調子といえる演奏ではなかったかもしれないけれど。

ものすごくニューヨーク・フィルらしい演奏だと思った。

プログラムも含めて、いたるところにNYPらしさを感じた。

窮地の時にこそベストを尽くす、万全の環境でないとしても優美さと(いい意味での)ツンデレ感を失わない。その、インテリでヤクザな佇まい。なんというか、ひさしぶりに「ああ、これがニューヨーク・フィルだったな」と思い出させてくれる演奏。堪能した。

実のところ、私はパンデミック以前からズヴェーデン率いる新生NYPがよくわからなくなっていた。経営方針も完全に迷走しているとしか思えず、プログラムもアラン・ギルバート時代の尖りすぎた感じから急に親切になりすぎたようでもあり、無難路線のようでもあり、かと思うと極端にスノッブになったり。とにかく、嫌いというわけではないが「わからない」の連続だった。

 というわけで、本当に、物理的ではなく精神的な意味で「ひさしぶりのNYP」を堪能した思い。
おかえりなさい(←私に)。くらいの気持ちになったのです。大袈裟ではなく、本当に。

◆そして、なんといってもジェマ・ニューですよ。

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ジェマ・ニュー。1986年、ニュージーランド生まれ。
大学卒業後に母国ニュージーランドから米国へと拠点を移し、指揮者として本格的な活動を始めたという。11年から5年間、ニュージャージー交響楽団のアシスタント指揮者を務め、14ー15年にはLAフィルのドゥダメル・コンダクティング・フェローの奨学生としてグスターボ・ドゥダメルのもと研鑽を積んだ。
現在はカナダ・オンタリオ州のハミルトン交響楽団の音楽監督、そして前述のようにズヴェーデンの古巣ダラス交響楽団の首席指揮者も務めている。
ちなみに、このふたつの現職ポストに女性指揮者が就任するのは、どちらも史上初のことだとか。

ここ数年、指揮者や作曲家の世界でも“女性初の〜”という肩書きがぐっと増えているけれど。ジェマ・ニューもまた、そうしたムーブメントを牽引する若手の筆頭格だ。

私も、LAフィル時代からジェマ・ニューの噂を聞いて将来を楽しみにしていたひとりだった。

しかし、それより何より、ジェマ・ニューといえばLIVE FROM HERE!!!

日本ではほぼ無名だったものの、実は2019年5月にクリス・シーリーのLIVE FROM HEREにセントルイス交響楽団を率いて出演しているのだ。なので、ノンサッチ自警団界隈ではものすごく話題になりました。
そもそも、セントルイス交響楽団はジョン・アダムズのお気に入りオーケストラであり、ノンサッチからグラミー受賞作までリリースしているわけだし。当然、気になりますわな。

というわけで、この時の放送については、無料で読める電子音楽雑誌としておなじみの『ERIS』での私の連載『オレにいわせりゃクラシック〜This is how I feel about classical Music)』(通称:オレクラ)でも詳しく書いた。もしかしたら、日本でいちばん早いジェマ・ニューの記事だったかもしれない(自慢)。

が。

それにしても、だよ。

まさか、あの番組からわずか2年後にニューヨーク・フィルを率いて、しかも伝統のメモリアル・デイ大聖堂コンサートに登場するようになるとは。ライブハウスから見てきた推しが武道館、とかってこういう心境なのでしょうか。涙。もう「ジェマちゃん」とか呼べませんね。

●その、ジェマ・ニュー出演回のLIVE FROM HERE。まさに神回。番組が突如オーケストラをがんがんゲストに呼び始めたシリーズの一環だったのだが、地元セントルイスでの公開収録だったこともあって、オーケストラにも大歓声で大盛り上がり。しかも、めっちゃかわいいアイドルみたいな指揮者ですよ。
で。その地元オーケストラと、すでにセントルイスでは高く評価されていたアイドルみたいなかわいい指揮者との共演で、我らがクリス・シーリーは、なんと、バーバーのヴァイオリン協奏曲に挑戦をしたのでした。

もう、シーリー、頭おかしいぞ(いい意味で)。
誰が、マンドリンでバーバーのヴァイオリン協奏曲を弾くとか考えつくんだ。
しかも、ヒラリー・ハーンだってギル・シャハムだって弾きながら半笑いになる曲芸3楽章を。

いやー、スピーチレス!
こんなテンパってるシーリーの顔、滅多に見られません。

そういえば、この日のハウスバンド(というか、ほぼ引率の先生的なヘルプ役)で出演していたガブリエル・カヘインに、当時のSNSで「収録前夜、ホテルの隣室からは深夜までマンドリンのバーバーが…w」とバラされてたし。

そして。この2019年の夏、シーリーはパンチ・ブラザーズで来日。インタビューすることができた。わずか25分間でしたがね。その短い時間の間にも、当然、あの時のバーバーの話題になり。そして、当然、ジェマ・ニューさんの話題に。

どうでもいい話ですが。証拠の『オレクラ』を貼っておく。

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ね。ひゃーひゃーしてるー。楽しかったー。

初対面の(しかも憧れの)クリス・シーリーとジェマ・ニューの話題でひゃーひゃー盛り上がってしまったのだ。
もしかしたら、ジェマ・ニュー本人のいないところで、彼女についてひゃーひゃー盛り上がってしまった世界初のインタビューだったかもしれません。

●というわけで。あのクリス・シーリーに「アイ・ラヴ・ジェマ!」とまで言わせたジェマ・ニューさん。
そらもう、すごい才能でないはずがありません。
で、親友の結婚式の司会と同じくらい緊張したシーリーさんをやさしく支えたジェマ・ニュー&セントルイス交響楽団@LIVE FROM HEREのアーカイヴには他にもかっこいい演奏がたくさん残ってるのでご紹介しておく。
というか、カッコいいジェマちゃんとキレッキレのセントルイス響を見てほしい。おねがいー。


▼モーツァルト:交響曲第35番から第四楽章。



▼ラヴェル:マ・メール・ロワから第五曲「妖精の園」

と、以上の2曲は名刺がわりにおなじみのナンバー…という感じですが。

何と言っても白眉は、エーリッヒ・コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲

この曲は、その週に誕生日を迎えるミュージシャンの曲をハウスバンド&ゲストがカヴァーしてお祝いする“Musician’s Birthday”のコーナーで演奏された。コルンゴルトの誕生日は5月29日。

演奏前、シーリーに「コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲といえば…?」と聞かれたジェマ・ニューが、
「このヴァイオリン協奏曲が初めて演奏されたのは、このセントルイス・シンフォニー・オーケストラとヤッシャ・ハイフェッツなのよ!」
とキュートに答えると、
客席の地元民が「うぉーーーー!」と大歓声。
もう、ここ、なんていうフェスですか?みたいな盛り上がり。

こんな風にクラシック音楽を楽しめるって、本当に羨ましい。

世界初演でハイフェッツが務めたソリストを、この時は同響の副コンマス(女性なので「コンミス」でもいいと思うのですが、昨今は女性でも意図的に「コンマス」と明記される場合も多いので公式に従ってコンマスで)セレステ・ゴールデン・ボイヤーさんが務めた。これがまた、美しくて力強くて素晴らしかったです。

女性指揮者と女性ソリストのコルンゴルト。絶品。逸品。

▼コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲


●女性指揮者や作曲家の抜擢が増えたというのは、もちろん、社会情勢的な追い風というのもあるのだが、それ以前に、そもそも、着々と実力を磨き実績を積んできた才能あふれる女性たちが、単に女だからという理由だけで世の中に出られない…という不自然さが今、限界に達しているという現実も大きいのではと思う。

このあたりのことは、アマゾン・プライムのドラマ『モーツァルト・イン・ザ・ジャングル』(2014-2018)の最終シーズンが、面白いくらいに辛辣に偏見を皮肉り、かつ時代を予見していて興味深い。

このドラマ、もともとはグスターボ・ドゥダメルをモデルにした型破りの指揮者=ロドリーゴ(演じたのはガエル・ガルシア・ベルナル)を主人公にしたコメディで、指揮者の世代交代問題やオーケストラの資金難、クラシック音楽の人気ポッドキャスト(これは、yMusicのナディア・シロタが始めてピーボディ賞を受賞した番組「ミート・ザ・コンポーザー」を意識しているはず)、ポスト・クラシカルの台頭…などなど、クラシック界の新しい波を次々と題材にして、その鋭すぎる内幕ネタや、情報の確かさがいつも話題になっていた。
そして、なんとも興味深いことに、もともとはオーボエ奏者だったヒロインのヘイリーに至っては、ひょんなことから指揮者を志すようになり、ぐいぐい頭角をあらわし、なんと最終シーズンでは日本でおこなわれる指揮者コンクールにまで出場するのだ。

残念ながら、ドラマはこの日本編(シーズン4)で終わってしまったのだが。日本でのコンクールを通じて、いかに若い女性指揮者たちが冷遇され、差別されてきたかもくっきりと描かれ、でも、最後には「もうすぐ時代は変わってゆくはずだから…」という、このドラマの3年後であるになってみれば”予言の書“としか思えないようなメッセージで終わる。

ドラマのプロデューサー、ロマン・コッポラさんが日本ロケで来日した時にお目にかかる機会があったのだが、その時にはまだドラマ終了は決まっていなかったので、日本編の次のシーズンでもヒロインのヘイリーはもっともっと成長してゆくはずだよ…と話してくれたことを思い出す。
残念ながら『モーツァルト・イン・ザ・ジャングル』は終了してしまったけど、ジェマ・ニューだけではなく、ここ最近の若き女性指揮者たちの活躍を見ていると、なんとなく、ドラマのヒロインだったヘイリーの物語の続きを彼女たちが見せてくれているような錯覚をしたりもするのだ。


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