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スケバンの輪くぐり

東京スケバン散歩/湯島

そういえば、本日は夏至でした。

もうすぐ2021年も後半に突入。今日、しいたけ.さんのしいたけ占い・下半期も公開されましたね。いやー、半年あっという間だな。はやい。まだ新年の抱負も考えてねーよ。まじで。てゆーか、半年前、今年のお正月には「まぁ、なんだかんだいっても、6月頃にはコロナも落ち着いてるよねー。そうじゃなければオリンピックも中止だよねー」なんて話していたことが懐かしい。コロナも落ち着かないし、オリンピックも中止になってねーじゃん。みたいな。

湯島天神(湯島天満宮)へ。

今月末には夏越大祓式。

青空は美しく、暑さほどよく、あたりは静か。ものすごく気持ちのいい、おだやかな“気”が満ちている。よき日。

神々しい。

湯島天神といえば、学問の神様。受験の神様。学生さんらしき姿もちらほら、合格祈願なのかお礼参りなのか。この心地よい雰囲気は、お願いだけでなく、お礼の気持ちがあふれているせいかも。

茅の輪をくぐって、この半年の汚れをはらう神事“茅の輪くぐり”。

たとえ何ごともなく幸福な毎日であったとしても、生活の中で自然とホコリやチリが積もってゆくように穢れや汚れはたまってゆくものだそう。6月末と年末、この茅の輪をくぐってから参拝することでそういう汚れを祓ってもらえるという。
魂のすす払い、みたいな。ね。
寡聞にて言葉が足りませんが、そういう解釈でよいのかな。

左回りに一周、右回りに一周、最後にもういちど左回り。という所作が、なんだか子供の頃に運動会で覚えたお遊戯のようでわくわくする。

大祓に限らず、年末の大掃除でもなんでも、節目、節目に“そうじ”してリセット…という日本の風習って、すばらしい。ある意味、こんまりメソッドもそういう“東洋思想”をポップに伝えるものという側面があると思うのだが。こんがらがっている時にも、とりあえず掃除して心や体や環境をリセットすれば、往々にして何らかの出口は見つかるものだ。

さわると願いがかなうという牛さんですが、いまはさわれず。

そうか、もう2週間ちょっとで七夕だ!
笹。短冊。
あたりがとても静かだったおかげで、風が吹いた時に「そういえば、笹の葉ってホントに♪さらさらーって音がするのだったー」と思い出した。そういうこと思い出すのは大事。

湯島天神は家からそれほど遠いわけでもないのだが、なかなかご縁がなくて、つい最近ようやく初めて参拝した。でも、最初に来た時から不思議とすっとなじんだ。いや、別に「ああ、ここは前世の記憶にある…!」とか、そういう激しいスピリチュアルな何かがあったとかじゃないですよ。ただ、そこに居ることの心地よさをいつでも実感できる場所というか。
何歳になっても自意識過剰からくる人見知りが治らなくて、それは人に限らず場所・土地に対してもずっとある。この場所には拒まれている、と感じる場所では心がもぞもぞしてしまう。

ところで。
神社仏閣で、他人の不幸をお祈りするなんてことはもってのほかですよね。もちろん、それはわかっている。
だが、さすがに「神様、なんとか今からでもオリンピック中止にできないものでしょうか」とついついお願いしてしまった。お願いというか、これは陳情に近いな。不幸を願うのではなく、人々の命と心の平安を願って。
なので、お許しください。

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