女悪神の話(採集番号022)

 男、マグジュがいた。いい男だった。七面鳥(※1)を獲ろうとローイカヌの山に登った。すると女悪神イニチュニクがマグジュを見つけた。イニチュニクはマグジュを自分の小屋に招きいれると、自分の血とフケを混ぜた椰子酒(※2)を呑ませた。するとマグジュはたちまち醜いイニチュニクが好きになってしまって、夫婦になることにした。

 毎日、イニチュニクは空を飛んで遠くの島の人間を食べにいった。出かけるときにはかならずマグジュに椰子酒を呑ませてこういった。
「夫よ、マグジュ。この小屋にあるものは、なんでもおまえの自由だよ。だけど、月経屋(※3)だけは覗いてはいけないよ」
「もちろんだとも」
 憤慨するマグジュをイニチュニクはうれしそうに抱きしめ、そして、人を食べに出かけるのだった。
 イニチュニクの小屋には不思議なものがたくさんあった。ふればいくらでも椰子酒が出てくる瓢箪があったし、いくらでも食べ物が出てくる壺があった。だから、ひとりになってもマグジュは困ることはなかった。椰子酒に酔って寝ていると、小さな虫がマグジュに歌った。
『かわいそうなマグジュ
 哀れなマグジュ
 月経屋をのぞいてごらん
 そこにあるのはおまえの死体』
 気持ち悪くなったマグジュは虫を殺して寝てしまった。
 またつぎの日のことだった。イニチュニクは人を食べにでかけ、マグジュが椰子酒に酔って寝ていると、小鳥がマグジュに歌った。
『かわいそうなマグジュ
 哀れなマグジュ
 月経屋をのぞいてごらん
 そこにあるのはおまえの死体』
 気持ち悪くなったマグジュは小鳥を追いはらって寝てしまった。
 またつぎの日のことだった。イニチュニクは人を食べにでかけ、マグジュが椰子酒に酔って寝ていると、ヘビがマグジュに歌った。
『かわいそうなマグジュ
 哀れなマグジュ
 月経屋をのぞいてごらん
 そこにあるのはおまえの死体』
 気持ち悪くなったマグジュはヘビを追いはらおうとした。するとヘビはマグジュの手をするりとぬけた。気になったマグジュはどうしても気持ちが抑えきれずに月経屋をのぞいてみた。そこにあったのは食べ残しの死体だった。恐ろしさのあまりマグジュは歌った。
『かわいそうなマグジュ
 哀れなマグジュ
 なにも知らずにやがては月経屋の死体
 なにも知らずにやがてはしゃれこうべ』
 するとさっきのヘビが下ばえから出てきてこういった。
「小屋の床下を掘ってごらん。小さな壺があるはずだ。その壺の中には小さな蟹が一匹入っている。それがおまえの魂だ。魂をつかまえられているから、おまえはイニチュニクを好きになってしまったのだ(※4)。蟹を小川に逃がしておやり」
 マグジュはいわれたとおりにした。するとそこへイニチュニクが帰ってきた。マグジュは醜いイニチュニクの顔を見るなり、恐ろしさのあまり悲鳴をあげて逃げだしてしまった。
 逃げて逃げて、ようやく自分の村までたどりついた。そして、そこである娘と一緒に食事をした。そこへイニチュニクが追いかけてきて、娘の体をなでた(※5)。すると娘は死んでしまった。そして、マグジュも悲しみのあまり死んでしまった。
 ロプ貝のつぶつぶ、焼けた石。

 ※1 七面鳥は第二次大戦後、アメリカ人によってもたらされ、野生化したもの。ラモア島の住民も好んで食べる。ただし、この話は第二次大戦後のことではなく、民話的想像力の世界である。こういうように最近のものさえも取りこんでしまうところが、昔語りの魅力であり、柔軟性だともいえる。
 ※2 椰子の花の未開花の蕾を縛って先を切ると、甘い汁──アジマムが採れる。時間が立つと酸味を帯びた低アルコールの椰子酒──アジマーとなる。血とフケを混ぜた酒というのは、一種の共感呪術であろう。イニチュニクの呪術にとらえられてしまったのである。
 ※3 テヘラ・ヘイと呼ばれる月経屋は月経になった女性が、家族とは別に寝起きする小屋のことである。村や小さな地域単位で置かれ、年頃の娘たちが噂話をしたり、たがいに刺青をしたりする場でもある。通常5日ほどであるが、ときには長引くこともある。このような風習は日本の別火の忌みを例にとるまでもなく、太平洋アジアに多く見られる。月経屋を男性が覗くことはタブーなので、覗いてはいけないといわれたマグジュが「もちろんだとも」と憤慨したわけである。
 現在ではこのような風習はすたれてしまっているが、漁に出る前の男性に月経の女性が近づくことと、海に近づくことは嫌われる。
 ※4 魂をつかまえられた者は、術者の自由になってしまう、という伝承も世界的にある。
 ※5 悪霊になでられると病気になる。風邪をひくといまでも「カドゥンに背中をなでられた」という。イニチュニクが村まで追いかけてきたときには、すでにマグジュは村の娘と寝たあとだったというのは時間的に無理があると、われわれは思ってしまうが、民話的想像力の世界ではあたりまえのことのようだ。
 余談ではあるが、この話を聞き終わったあとに話者に対し「あまりいい終わり方ではないね」というと、かれは「あたりまえだ。テヘラ・ヘイのタブーを冒したのだから」といった。くわしくは聞けなかったが、テヘラ・ヘイ(月経屋)のタブーは相当にきびしいものだったようである。

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