アジサシの話(採集番号129)
むかし、むかし、アジサシがいた。アジサシには娘がひとりあった。娘が水浴びをしているところへ、男、ティキットヌがやってきた。ティキットヌに姿を見られた娘は家に入ってしまった。ティキットヌが家に入ろうとすると、アジサシがとめた。
「アジサシよ。おまえには娘がいるはずだ」
「いないよ。わたしはひとりさ」
「では、この水がふたつあるのはなんだ」
「これはふたつともわたしが飲むのさ」
「では、鰹が二尾あるのはなんだ」
「これはふたつともわたしが食べるのさ」
「では、腰布(※1)が二枚あるのはなんだ」
アジサシは答えられず、ティキットヌは家に入りこんだ。娘、パカナハウは飛び立とうとしていたところで、その羽をティキットヌにつかまえられたので飛べなくなってしまった。そこでふたりは結婚し、子どもを作った。
ところが、村の男たちがティキットヌを踊り(※2)に誘った。
「ダメだよ。パカナハウがかわいそうだ」
最初は断わっていたが、村の男たちはティキットヌを強引に誘い、踊りに行ってしまった。そして、ティキットヌはそこで娘と出会い、彼女といっしょに食事をしてしまった(※3)。
夫、ティキットヌの帰りが遅いので心配したパカナハウが行ってみると、夫は娘といっしょに床についていた。怒ったパカナハウはそのまま空へ帰ってしまった。
ティキットヌが家に戻ってみると、子どもが泣いているばかりでパカナハウの姿はなかった。
ティキットヌの母はアホウドリに頼んで、空を探してもらった。アホウドリは西の空を探したが、西の空にはいなかった。東の空を探したが、東の空にはいなかった。北の空を探したが、北の空にはいなかった。南の空を探したが、南の空にはいなかった。
アホウドリはティキットヌの母にそういうと、母はこう歌った。
『アーイー、アホウドリよ
おまえの翼はとても大きくりっぱなのに
パカナハウひとり見つけられない
なんと哀れなことだろう
なんと哀れなティキットヌだろう』
アホウドリはもう一度だけ天高く昇った。そこでパカナハウを見つけた。
「パカナハウよ。夫がおまえを探しているぞ」
「イヤよ。あの人はわたし以外の人といっしょに食事をしたの。わたしは怒っているの」
「パカナハウよ。子どもがおまえの乳房を探しているぞ」
そういわれるとパカナハウは戻らざるをえず、子どもに乳をやった。そして、子どもが大きくなったので、羽をつけて帰ってしまった。
ティキットヌは悲しみのあまり、天にはりついてしまった(※4)
ロプ貝のつぶつぶ、焼けた石。
※1 現在は行われていないが、ラモア島では女性の腰布には、初潮前の腰布、初潮後の腰布、結婚後の腰布、未亡人の腰布など厳密な区別があった。なお、初潮後には腰布に腰帯を巻くことは儀礼的に現在でも残っている。一度巻かれた腰布は大事に取って置かれる。
※2 ラモアの踊りには祝いの踊り、僻邪の踊りなどさまざまな意味がある。この場合は男女の出会いの場の踊りである。通常、結婚したものは参加しないが、まれに参加してこの話のようなことがおきる。
※3 前述したように共食は婚姻の意味がある。この場合は一緒に寝たという程度の意味。
※4 ティキットヌとは「天の釣り針」という意味である。あきらかに星座の由来譚と思われるが、語り落とされている部分がありそうだ。話者はこれに関して「忘れたよ」をくりかえすだけであった。
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