日常の風景 第一話

「おすそ分け」

 冷蔵庫を開けると、生の片腕がいやでも目につく。

「やれやれ、困ったな」

 だれに聞かせるわけでもないが、思わずグチがもれてしまう。

 隣りの山本さんちの義男くんの腕だ。高校生で青春まっさかりだから、腕の抜けかえも早いし、しょっちゅうあるらしい。そのたんびにおすそ分けといって、うちに持ってこられるのはありがたいのだが、ちょっと閉口する。

 大家族だったらまだしも、主人と子ども二人の四人暮らしでは、片腕一本はなかなか食べ切れるものではない。さばくのだって、昔なら一家の家長である男の仕事だったが、核家族の今は主婦の仕事になってしまっている。

 もっとも山本さんちも事情はおなじだ。そのうえあそこは三人家族だから、両腕となると、どうしてもおすそ分けしなければならないだろう。

 このあいだも新聞の投稿欄に片腕問題が出ていた。七十過ぎのおばあさんの投書で、最近の若い主婦はせっかくおすそ分けした孫の片腕をゴミの日に出した、いらないならいらないと最初からいえばいいのに、というような内容だった。それに対し、若い主婦層から猛然と反論が寄せられた。いわく、近所だからといって二人暮らしの新婚家庭に片腕を押しつけるのはいかがなものか。いわく、ゴミの日に出すのは非常識かもしれないが、かといって腐らせるのはもっといけないと思う。中には、アフリカでは飢餓に苦しむ人たちがたくさんいるのだから、そうした人たちに送ってあげればいいという、いかにも主婦が投書しそうな内容のものもあった。

 古い世代も黙ってはいない。戦後の食糧難のとき、片腕がどれほどありがたかったかとか、片腕でなくとももらい物をゴミの日に出すなんて言語道断だとか。しばらく両者の論議が載っていたが、いつのまにか下火になって消えてしまった。

 わたしはといえば、古い世代のようにありがたがる気概もなければ、若い世代のような思い切りのよさもない。

 いつまでも冷蔵庫にある片腕を見ながら嘆息をつくばかりである。

「しょうがない。きょうは片腕料理にしますか」

 自分にいい聞かせ、キッチンの隅にある料理本をめくった。『片腕料理ひと工夫』という、あまり工夫のないタイトルのそれは、母からもらった本で、紙は黄ばんでしまっているうえに、図版もやけに赤がきつかったり、少しずれていたりする。それでも、ローテーションを組んだ料理レパートリーしかないグータラ主婦のわたしは重宝していた。

 めくると「上腕のソテー」「腕皮の香焼き」に混じって「田舎風手首の醤油煮」というタイトルが目に飛びこんできた。

 口の中に甘からい味がよみがえってくる。

 田舎では片腕のおすそ分けはひとつのイベントだったと思う。

 山塊が海に落ちこむ、その際にへばりつくように村はあった。魚は毎日飽きるほど食べていたが、肉を食べる機会が滅多になかった昔、村では片腕は幟を立てて運んだらしい。わたしのころにはさすがに幟は立てなかったが、水引はかかっていた。それにあげるほうも、もらうほうも、どちらも誇らしげな顔をしていた。

 もらった片腕は床の間に飾られ、父は入念に包丁を研ぐ。それから神棚に燈明をあげ、おもむろにさばきはじめるのである。

「くれた人の成長を願いながらさばくんだ」 女が腕を料理すると、腕をあげた人が早死するとか、腕が生えないといわれていた。だから、片腕料理は父の仕事だった。といっても、日頃はしない父が料理をするのは、十三不浄か片腕のときぐらいだ。ソテーやフリッターなどといったシャレたものではなく、腕の半分は味噌漬け、あとの半分は塩焼き、手首は醤油煮と決まっていた。単純な味つけだし、男の手料理だから見てくれも悪かったが、とてもおいしかった。特に醤油には絶品だった。それも三日ほど煮こむのである。煮こめば煮こむほどゼラチン質が溶けだし、煮汁はとろりとして、肉に味がしみこんでいく。わたしたちはつまみ食いをしようとするのだが、父はそうはさせじと鍋を布団でくるんで、船にまで持っていく。子どもたちは、なんとかつまみ食いをしようとするのだが、漁船に乗りこめるわけがない。しかも、わたしや妹が男性のものを食べると、父は烈火のごとく怒った。

「嫁入りまえの娘が手首を食べると、嫁に行けなくなるぞ!」

 当然、兄の場合には、嫁の来手がなくなるぞ、になる。女性の手首をつまみ食いした兄も、とうに結婚して子どもも三人いる。わたしもふたりの子どもにめぐまれた。

 でも、当時はそれを信じて、口にした指をあわてて鍋に戻したものだ。そして、一度口にしたものを鍋に戻すのかとしかられ、お嫁に行けないかもしれない、と泣きながら呑みこんだ。いまから考えると、かわいいものである。

 ようやく完成した手首の醤油煮は、ほんとうおいしかった。

 肉も皮もとろとろで、箸でつまむと骨だけが取れるほどだ。それでいながら、ゆっくり煮こむので手の形をちゃんと残している。

 深皿に盛られた手首は飴色に煮こまれていて、みりんの照りで輝いて見えた。両親は男女かまわず手首を食べたが、もちろん、女性の手首はわたしと妹が食べ、兄は指をくわえて見ているだけだった。いつもずるい、ずるいといっていたが、こちらからしてみれば、男の手首は兄がほとんどひとりで食べてしまうので、それこそずるい、と口げんかになるのが常だった。

 よくわたしと妹は、どれくらい長い指をつまめるかで競争した。これはなぜか妹が強かった。つまんだだけで骨が取れるというのに、妹は二関節、ときには指一本まるまる食べることができた。父や母でさえ、感嘆の声をあげるほどだった。はしたないことだが、妹はそれを高々とあげて、指先からすするように食べていく。

 わたしも妹より長い指をすくおうとするのだが、一関節、よくて二関節しか口にできない。妹の勝ち誇ったような目を気にしながら、舌先に乗せる。とたんに、生姜がきつめな、手首煮特有の味と匂いが口いっぱいに広がる。舌で押さえだだけで皮や筋は溶け出し、肉はほぐれていく。その肉を噛めば噛むほど、深い味わいが出てくる。軟骨はコリコリと歯ごたえのアクセントになる。口に残った骨は、骨鉢という、そのときにしか使われない小鉢に吐き出す。骨鉢がいっぱいになるころには、家族も腹がくちくなる。

 残った煮汁は捨てない。翌朝には煮こごりになって、それをちょっとご飯にのせるだけで、いくらでも食べられるぐらいだった。

 おいしく食べながら、わたしたち子どもは少しだけ憂鬱だった。というのも、手首の骨まで食べると、残りの上腕骨もふくめて腕塚に捨てにいくのは、子どもたちの仕事だったからだ。

 腕塚は海にせり出した岬の突端、だれも近づかない場所にあるのでイヤだった。風の強い日など、それこそ転げ落ちそうになるほど細い岬だった。が、たいてい菓子につられて、子どもたちのだれかが引き受けてしまうのだった。塚の横には小さなお堂があり、そこにには、腕が生えかわる年頃になりながら死んでしまった子どもたちのために、花やら年頃の娘が着そうな服、生きていれば学んでいたであろう教科書などが、人形の片腕とともに奉納されている。その様子は子ども心にもうらさびしい感じがした。雨風にさらされて白くなった腕の山に、新しい腕を投げ捨てるように置くと、うしろも見ずに走って帰った。

 いまではゴミの日に出してしまうのだから、情緒がなくなったものだ。

 ひさしぶりに手首の醤油煮を作ろう。わたしは、そう決めて、まな板の上に義男くんの腕にナタをふりおろした。

 タンッ――

 一発で手首が切断できると気持ちがいい。その手首に串を刺し、コンロの火であぶる。表面の産毛が焦げてイヤな匂いがした。

 もちろん三日も煮こむなんて面倒なので、圧力鍋を使うことにする。産毛を処理した手首を、ごま油で表面にちょっと焦げ目がつくぐらい炒める。そこにたくさんの生姜と酒、醤油、みりんを入れて火にかける。にんにくを皮ごとまるまる一個入れるのが、わが家の秘伝だった。

 圧力鍋が、しゅうしゅうと音を立てる。

 噴きだす蒸気に醤油煮の匂いがする。圧力がじゅうぶんに高まったので、火を細くして三十分ほど煮こむ。そのあいだに残った腕の下処理をした。肘のところで切断し、皮をはぐ。上腕は脂がおいしい。クックパッドに上腕の北京ダック風というのがあったから、明日はそれにチャレンジしてみよう。下腕の脂は雑味があるので、皮をはいで丁寧にそいでいく。三角コーナーが黄色い脂ですぐいっぱいになった。筋肉ごとに切り分けて、ラップで包み冷凍する。残った骨は……捨てるしかない。ごめんね、義男くん。

 タイマーが鳴った。

 蒸気をぬいてから圧力鍋を開けてみると、父の手間にはとてもかなわないが、それなりの柔らかさと味になっていた。あとは少し味がなじむまで煮こむだけだ。

 そこへ清美が帰ってくる。

「腹へったあ」

「帰ってくるなり、なんですか」

「だって腹へったんだもん。……むむ、この匂いは手首の醤油煮とみた」

 清美は鍋をのぞきこむと、義男くんの小指の先を菜箸でつついた。

「箸でつまむと肉が離れるぐらい煮こんであるね」

「はしたない。嫁入り前の娘が男さんのもの食べると、お嫁に行けなくなるのよ」

「かあさんも古いんだから。そんなの迷信よ。メーシン」

 清美はバカにするように笑いながらそういうと、こりんと小気味よい音をたてて軟骨を噛み砕いた。

 二週間ぐらいたった日曜の朝、清美がパジャマの両袖をぶらぶらさせながら、泣きそうな顔をしてキッチンに降りてきた。

「ねえ、どうしよう。わたしも抜けちゃった」

 母親としても複雑な心境だった。きのうまで子どもだと思っていた娘が、いつのまにやら大人へのとば口に立っているという嬉しさと、とまどい。

「よかったじゃない」

 さまざまな思いがかけめぐり、そういうのが精一杯だった。

「よくないよ。こんなにかゆいなんて、学校の保健体育の授業でもいってなかったよ」

「これから体ができあがるまでは、何度も経験することよ。慣れるのね」

「げえ。これからずっとぉ? 軽くなることないの?」

「あとのほうだと、少し軽くなるけど。どれ、見せてごらん」

 袖をたくしあげると、ほんのり赤くなった肉芽が肩口から顔を出している。

「ああ、これはかゆそうね。腕が生え終わる三、四日後までかゆいんじゃないかしら」

「そんなにぃ!」

 清美は抗議するように、すっとんきょうな声をあげた。

「薬塗ってあげるから。で、どっちの手から抜けたの?」

「どっちって……。寝てる間だから……。どうでもいいじゃない」

「どうでもよくないわよ。一の腕の先物は家族で食べて、二の腕はおすそ分けするんだから」

 そこへ洋平がうれしそうな声をあげながら降りてきた。

「おかあさーん、見て、見て! クワガタ」

 抜け落ちた清美の腕を両手で支え、まるでクワガタの角のように頭につけてみせる。

 笑うより先にどなりつけていた。さすがに初物の腕でふざけられては、叱りつけるしかない。

「洋平! あたしの腕だぞ。オモチャにすんな!」

 清美は腕がないので、弟を蹴りつけることしかできない。洋平は、捕まえられねえだろ、と憎まれ口をたたき、腕をテーブルの上に投げだして逃げていった。

 まったくもう。

 わたしは、投げ出されて、くたっとなった腕をきちんと並べ直して、もう一度たずねる。

「だからさ、清美。右なの? 左なの?」

「どっちでもいいじゃん」

 清美はつまらなそうにいう。

「どっちでもいいなら、あなたが決てよ」

「じゃあ、右」

「『じゃあ、右』」

 わたしは娘の乱暴な言い方をわざとまねして、右腕を脇によけ、左腕を手にした。

「左手はおすそ分け」

「だれにあげるの?」

「お隣りよ。いつもお世話になってるからね」

「ええ! お隣り?」

「そうよ。義男くんに食べてもらえるんなら、いいでしょ」

「やだよ。あいつに、あたしの初腕食われるのかと思うと……うう」

 清見はイヤそうにいった。両手があったら自分を抱きしめて、わざとらしく震えたかもしれない。

「年上の人を呼び捨てにしないの」

「だってえ、ヤなんだもん」

 そこまで毛嫌いしなくてもいいだろう。子どものころはよく遊んでもらったのに、義男くんが男臭くなったら、これだ。思春期はほんとうに面倒くさいものである。

「ねえねえ、クール宅急便で、おばあちゃんちに送るってのは?」

「そうねえ……」

 義母の顔を思い出しながら、わたしは少し考えた。

「だってさ、義男のやつ、しょっちゅう抜けてるんだよ。あれだけ抜けてたら、おとなりも食べ飽きてるって」

 いわれてみれば、そうかもしれない。

 電話してきては、今度はいつ来るんだ、と訊いてくる義母も、初腕をもらえばしばらくは黙ってるかもしれない。だんだん、それがいいように思えてきた。

「わかったわ。そうしましょ」

 清美は心底ホッとした顔をした。

 左腕を丁寧にラップでくるみ、冷蔵庫にしまう。明日にでも宅急便屋さんに取りに来てもらおう。右腕はなににしよう。フリッターもいいかな、醤油煮はこないだ作ったから、今度はカレーにでもしようかな。などと考えながら、夫にLINEで、清美の初腕が落ちたと報告した。すると、「きょうは赤飯だな」と、あきれるようなリプがきた。

「おとうさん、バッカじゃない?」

 スマホを見せるなり、清美は怒ったようにいった。

「昭和っていうか、江戸時代? ない、ない。ありえない」

 娘のいうとおりだ。

「アーム・デー・ケーキを買ってきてください」

 とだけ、夫には返信しておいた。

 初腕でお赤飯を炊くなんて、いまは廃れた風習だ。こないだもネットに、あれは「汚っさん」が思いついたに違いない。「お赤飯炊いたよ。この色はなにを意味するのか、わかるよね。ぐふふ」とかいったんだ。キモ! と書かれていた。

 わたし自身、初腕がもげたときにお赤飯を出され、以来、苦手になっている。お赤飯を前にすると、どうしても恥ずかしさが蘇ってくる。

 ほんとうにあのときは、おとなになった嬉しさよりも、恥ずかしさのほうが強かった。思わず、このまま裏の川に流してしまおうかと考えたほどだ。といっても両手がないので、それもできない。しかたなく浜仕事から帰ってきた母に告げると、母はうれしそうにその手を仏壇にあげ、ご先祖さまに腕が抜けかわるほど成長しましたと報告していた。

「どこの家にあげるの?」

「そうねえ。このあいだ僧屋の順めぐりのときにお世話になったから、浦飼いのシモタさんちだろうね。いいだろ、それで」

 母はそういって、謎めいた微笑みを浮べた。

 われ知れず頬が紅らむ。シモタさんちのタツ兄ぃは、憧れの人だった。前の年に結婚してしまったが、それでも幼い恋心を抱いた相手だ。その人に初腕を食べてもらうなんて……。もし、腕があったら、自分で持っていきたいぐらいだった。

 結婚しているから、わたしの手首も食べてくれるだろう。わたしの指先を口にふくみ、ちゅうちゅうと煮崩れそうな肉をすすってくれるにちがいない。わたしの軟骨をこりこりと噛んでくれるにちがいない。そう思うだけで、下腹のあたりがじんわりと熱くなってきた。

 遠いむかしのことだ。

 ふと、夫の腕を食べた異性はだれだったのだろう、と思った。どんな唇が皮からあふれる脂に濡れ、どんな舌が骨をなめたのだろうか。どんな白い歯が軟骨を噛み砕いたのだろうか。

 首をふって、くだらない考えをふりはらう。きょうは初腕料理をしなければいけないのだ。赤飯とまではいかなくとも、少しは奮発しなければならない。わたしの頭は初腕料理のことでいっぱいになり、夫の腕をだれが食べたのかなど、どうでもよくなった。

 そのとき、清美の右腕がかすかに動いた。左腕はだいじょうぶだったが、右腕はまだ生きているようだ。完全にシメておかなければならない。鍋にいれたとたん、暴れられたりした日には目も当てられないことになるだろう。

 わたしは上腕を左手でテーブルに押さえつけると、抜け口に思いっきり塩をすりこんだ。右腕は苦しそうに肘から先を二、三度動かす。

「う~、痛そう」

 見ていた清美が眉をひそめ、顔をそむける。そりゃ痛いだろう。でもこんなことに同情していたら、魚をシメることもできない。

「あんただって、将来やるの」

「無理ムリ。魚だって目があって気持ち悪いのに」

「そんなこといってると、ほんとお嫁に行けなくなるわよ」

「だいじょうぶ。料理できる人と結婚するから」

「その前に相手見つけなきゃならないんだからね」

 そんなくだらない会話をしているうちに、右腕はぐったりと動かなくなった。完全に死んでくれたようだ。

 これでさばきやすくなる。

 さて付け合せの野菜を買い物に行こう。いまならスーパーのタイムセールに間に合うかもしれない。

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