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断片〜発話のための訓練 2

 週刊金曜日という雑誌に、26回にわたって連載されてきた「1★9★3★7」が終わってしまった。
 東北の大震災以降、ぼくは「1★9★3★7」の作者である辺見庸の発することばばかりを追ってきた。のめり込みやすい体質ではあるが、辺見庸以外はほとんど、まったくと言っていいくらい受けつけなかったというのが正直なところだ。それではいけないとばかりに、他のひとの書いたものをいくつかは読もうと頑張ってみたけれど、どうしてもことばが浮きあがってこないのである。
 これはぼくのなかで起こった大震災の後遺症だ。あの震災、そして原発事故では、徹底的にことばについて考えさせられた。それまで自分のまわりに あった数え切れないほどのことばたちは、激しく打ちつける波にさらわれてしまって、もはやなにひとつとして戻ってはこなかった。「あっ」とか「おっ」とかの音をどもるように発するだけしかできない、そんなときに見つけたのが、砂浜に埋まっていた辺見庸のことばであった。
 「がんばろう」「絆」「花は咲く」「日本」「復興」。たくさんのことばが、頭の上を飛び交った。けれどもなにひとつとして腹のなかにおりてこないのだ。ぼくは、むさぼるように砂のなかに隠れた辺見庸のことばをかきあつめていた。そうでもしないとどうにかなってしまいそうだったからだ。

 大津波と原発事故という未曾有の経験をして、ぼくたちはことばを失っていた。被災地である石巻の出身である辺見庸もまた、半年にわたる「失語症」 に苦しんだときいた。ことばを見失い、思考することを停止していたぼくたちに「あてがわれた」のが、いくつかの紋切型の、ことばらしきものとフレーズだった。ぼくはこのときに、広告やメディアは、容易にプロパガンダへと変容するということに驚いていた。
 あっという間に「あてがわれた」ことばらしきものと、それによって形成された思考らしきものによって、あたりは満たされていった。あのまま黙りこくって、電気を暗くして生きることよりも、なにかを「あてがって」もらうことを選んだのだと思う。「前へ、前へ」というその号令が、いかに胡散臭いものかを判断する隙もなく、ぼくたちはこうして四年余の時間を過ごしてきたのではなかろうか。

 「あてがわれた」ことばは、その話者の感情の赴くままに出し入れされ、一方的に投げつけられるばかりだ。ぼくは気持ち悪くて、耳をふさぎながら辺見庸のことばとだけ向き合ってきた。だからこの数ヶ月、金曜日がくるのが楽しみだった。でももうその連載も終わったのだし、引きこもってばかりもいられなくなった。ガス燈のように淡く照らすことばを噛みしめ、くだいて、飲み込んだ口から、自分のことばを少しでも発していこうと思う。
 同じ紋切型を繰り返すだけの壊れたロボットのような、ひとにみえないひとの大合唱は、いまも変わらず続いている。強く「気」を持つために、「1★9★3★7」最終回のなかの一節を、自分のために引用しておこうと思う。

『戦争法案はなぜいともかんたんに可決されたのか。「この驚くべき事態」は、じつは、なんとなくそうなってしまったのではない。ひとびとは歴史(「つぎつぎになりゆくいきほひ」)にずるずると押され、引きずりまわされ、悪政にむりやり組みこまれてしまったかにみえて、じっさいには、その局面局面で、権力や 権威に目がくらみ、多数者やつよいものにおりあいをつけ、おべんちゃらをいい、弱いものをおしのけ、あるいは高踏を気どったり、周りを忖度したりして、いま、ここで、ぜひにもなすべき行動と発言をひかえ、知らずにはすませられないはずのものを知らずにすませ、けっきょく、ナラズモノ政治がはびこるこんにちがきてしまったのだが、それはこんにちのようになってしまったのではなく、わたし(たち)がずるずるとこんにちを「つくった」というべきではないのか。』

(了)

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