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花はどこへいった ?

 東中野ポレポレにて、終映間近の「標的の島 風かたか」を観る。いつものことながら三上智恵監督の丹念な取材、丁寧な映像化に、すごく心を動かされる。
 辺野古の米軍新基地建設、高江のヘリパッド建設に加えて、宮古島、石垣島に配備される自衛隊のミサイル基地、参謀本部、兵器庫をめぐって沖縄の離島に暮らすひとたちの分裂や苦しみが、ひしひしと伝わってくる。
 集団的自衛権をかかえこんだ安保法制の後ろ盾もあって、宮古、石垣に基地を構えるのは米軍ではない。その補完部隊としての自衛隊である。
 防衛綱領に掲げられた「島嶼防衛」の生々しいすがたは、遠く離れた東京にいては、なかなか我がこととして感じることができない。そのヒリヒリと肌に刺さる空気感を、こうして定期的に送り届けてくれる三上監督の仕事を通して、やっと思いがいたる。ほんとうにありがたいと思う。

 「標的の島 風かたか」には、たくさんの印象的な場面があるが、なかでも宮古島や石垣島で行われた、防衛省が主催する、いわゆる「説明会」での様子が腹に残っている。
 そこでは自衛隊基地建設への反対派はずいぶんと少ないような印象を抱いた。むしろ賛成、歓迎を唱える意見が声高だった。握ったマイクを通して、会場内でやりあうさなか、そのあいだにいて、やや下を向いたまま腕を組み、じっと黙っている島民たちの顔が印象的だった。
 基地や軍事施設があることでそこは「標的」となる。もはや沖縄本島だけでなく、台湾へと連なる島々が、大きな防衛ラインとなって、米軍の東アジア防衛構想を具体化していく。

 ずいぶんまえに仕事で宮古島に行ったことがある。その当時はたしか島に信号機がひとつかふたつしかなくて、レンタカーでぐるっと島内を走りながら、のどかで平和なところだと感じた。そんな宮古島に惹かれて東京から移住した知り合いもいる。
 そのとき見た宮古島の風景とこれからできる軍事基地が、まだうまく結びつかない。石垣島もそうだ。沖縄の離島に漂っているピースフルな空気と硝煙がけぶりたつ戦争の匂いとは、どうしても相容れない。
 でもそれは都会にいて、彼の地をパラダイスにしたいと願う身勝手な思い込みなのかもしれない。離島にはそこに住むひとたちの生活や事情があって、基地とともにやってくるであろう、さまざまな副産物をあてにしたとしても、それをどうこう言えるものでもないとあらためて思う。「標的の島 風かたか」には、そのあたりも映っていて、それがまた通り一遍にならない魅力なのだと思う。

 そして見終わって、いちばんに思うのは、やっぱり「若いひと」が、そこにいないことである。「若いひと」のすがたはたしかに映っている。でもそのほとんどが、機動隊員や自衛隊員である。全編を通して、このわけへだてのない映像をさがしても、基地建設反対運動のなかに「若いひと」たちのすがたを、見つけることがなかなかできない。
 「若いひと」とは、たとえば二十代と大雑把にいってしまうけれど、ぼくの記憶だと、県外から来たというふたりの男女と、予告でも使われている機動隊と対峙する女性くらいしか、すぐには浮かんでこない。
 あれほどの過酷なピケをはるのが、多く高齢のひとたちであることにもはや驚くこともなくなって、あたりまえのことになりつつあるのが、いまの闘争の現場なのかもしれない。

 いったい「若いひと」たちは、どこにいったのだろう。だからどうのということではない。映画を観て、空を見上げて、最初にそう思ったのである。 そして、ふとこの歌が口をついてでた。
「 Where have all the flowers gone ? 」
 ぼくたちは、グレイブヤードから花へと向かっているのか、花からグレイブヤードに歩んでいるのか。いずれこれからのひとたちが担っていくことになる。その「若いひと」たちがいまどこにいるのか、それを知りたいと思った。
 

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