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寿町雑感

 寿町で観る「水族館劇場」は、やはり格別だった。労働センターの跡地に建った劇場は、花園神社よりもひとまわり大きくなって、崩した屋台の奥行きも広くとれる。「この世のような夢」も、花園神社のときとは違う、この場所に合った装置や演出に変わっていて、物語をいっそう豊かにしていた。

 四時に木戸で整理券をもらって、前の通りに座ってビールを飲んでいた。夕暮れるころになると、宿泊所からだんだんひとが降りてきて、歩道に集まりだした。ぼくのすぐうしろで、そんな住人たちの話す声がきこえた。
「俺がちいさいときには、こういう芸人の芝居があったな。」
「うん、あったあった。」
「楽しみにしたもんだよ。」
「そうだな。」
「でも、テラ銭とるんだろ?」
「それがどうやらいいらしいんだよ。」
「ほんとか。」
「ほら、部屋に券がはいってただろ。あれ見せればいいんだってよ。」
「ふーん、そうか。でも俺みたいに歳とると、こうして酒飲んでるほうがいいな。」
「そうだな。」

 振り返って見上げると手に缶チューハイを持ったふたりがニコニコしていた。ぼくは立ち上がって、二本目のビールを買いに、すぐ角の酒屋さんにはいった。銘柄を選んで、レジにいくと、なにやら台におおいかぶさるようにしているひとがいる。気がついた店主がうながした。
「こちらでどうぞ。」
 ぼくはそのひとの横に立ってお金を払った。お釣りをもらうあいだにチラッと見ると、白い紙の切れ端に丁寧な字でゆっくりと書いているのだった。
「お酒を三本借りました。」
 すぐよこには氷結のロング缶があった。店主はそのツケの紙をマグネットでレジに張ると、
「こうやって書いても忘れちゃうんだもんなあ。」
とつぶやいた。
 その一部始終に、なんだか懐かしいような愛おしさが湧いた。ぼくはポケットにあった千円札を確かめた。氷結三本分か。一瞬、千円札を店主に渡そうと引き上げかけた。でも、やめてぐっと奥に押し込んだ。
 未来からきたものは過去の秩序を変えてはいけない、などという大袈裟なものではないが、まるで時がスリップしたような奇妙な錯覚に戸惑う。

 これから観る芝居は、戦後の闇市が舞台だ。劇のクライマックスにでてくるセリフ「取るに足らない者たちのなかにこそ、真に描くべきことがある。」を思い出した。
 「取るに足らない者たち」なんて、ほんとうにいるのだろうか。それは単に外から「取るに足らない者たち」と見做されているだけなのではないのか。まったくもって勝手なレッテル張りと不寛容なカテゴライズでしかない。
 戦後闇市のカストリ酒場、昭和の匂いが残る「寄せ場」寿町、そして2017年のいまが、ある瞬間交わっていく。「この世のような夢」を見るには、やはりこうした劇的な場所と時間と経験がどうしても必要だったのかもしれない。
 ぼくはポケットのなかに手をいれて、もういちど千円札を確かめた。

 

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