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「出雲阿國航海記」@羽村市宗禅寺

 丸一日がたっても、きのうの興奮がひいていかない。水族館劇場「出雲阿國航海記」は、去年と同様に羽村駅から十五分ほど歩いた宗禅寺の駐車場に劇場を組みあげ、上演された。
 まったく迂闊なことにも、この公演を知ったのはおとといの夜だった。毎回封書で案内がくるからと、たかを括って劇団のホームページを見ることもなかった。たまたまひらいたTwitterに水族館劇場を見つけ、「残り4日!」に驚いた。すぐに問い合わせ番号に電話してチケットの確認をした。今回は当日券のみとのことで、次の日、つまり昨日、羽村まであわててでかけた。
 
 コロナに襲われたこの三年間、ぼくは自粛などを一切しないで、ずっと外をほっつき歩いていた。そんななか、いろいろな悔しいことがあったけれど、一番悔しかったのは、2020年4月に花園神社で予定されていた水族館劇場の公演が直前に中止されたことだった。
 自分たちで劇場を建設して、物語を作り、演じるこの劇団は、まつろわぬことを信条とし、助成金を拒み、観客からの木戸銭だけをたよりに上演しつづけてきた。1ヶ月以上もかけて、足場から組んで作った劇場だ。いかなる理由があれど、中止となれば木戸銭は一文もはいってはこない。観客のひとりとしても、こんな悔しいことはなかった。
 予約をしていた日に花園神社に行った。劇場は作った者たちの手で解体されているところだった。その様子をしばらく呆然と眺めていた。するとなかから桃山邑さんがでてきた。ぼくはひとこと「残念です。」と言った。
「なんとかやりたかったんだけどね、最後は花園神社からだめだって言われてね。」
と桃山さんは笑っていた。
「なにか差し入れでもしたいのですが、ビールでいいですか?」
そういうと、桃山さんは、
「そうねえ、ビールは黒ラベルしか飲まないんだよ。」
 ぼくはゴールデン街のほうまで戻って、コンビニに置いてあった黒ラベルをカゴいっぱい買った。それを持って解体現場まで行くと、なかに手招きしてくれた。
 ほんとうなら、そこでなにかが行われるはずだった場所で、みなが下を向いて、黙々と作業をしていた。ぼくはビールがはいったビニール袋を置いて、すぐに立ち去った。
 
 羽村、崇禅寺。19時ぴったりにはじまった野外での顔見世。雨が降りしきるなか、観客はカッパ姿で見入っている。それが終わると木戸を手に劇場へとはいっていく。一番いい席に陣取って、さてさて今回はと腕を組む。
 またぞろいつもと変わらぬ水族館劇場だろうと思っていたが、それがどうして大いに裏切られた。すべてがまったくちがっていた。これほどまでに美しい時間と場所は、もう何年も経験したことがない比類なきものだった。
 舞台装置はさらなる奥行きを得て、無限に広がり、役者は生きたことばを身体から発していた。ぼくたちを取り巻く状況は、おりしもの戦時下である。水族館劇場が唱え続けてきた文言のひとつひとつが、逼迫した現在に呼応したのか、満員の観客席からのバイブレーションが、いつに増して激しく強い。
  複数の物語は、沖縄コザにはじまり、樺太、沿海州、ハルピンへと渡り、出雲阿國は時空を超えていく。夜叉ヶ池の龍は暴れ、大日本帝国軍人石井四郎の夢はソビエトをまたぎ、遥かキエフへと彷徨う。それらがなにひとつ落とし込まれないままに、スペクタクルは歌とともに大団円を迎える。
 荒唐無稽と無責任こそがなにより美しい。畏れるべき大傑作に立ち会えたことを、望外の悦びと感じながら水の音を聴いていた。
 
 いつものカーテンコールに桃山邑さんの姿はなかった。その役を秋浜立さんが担っていた。そして最後に千代次さんが発した。
「この公演をもって桃山邑はドロンします。しかしこれからも水族館劇場は続いていきます!」
 
 渾身とはこういうことだと思った。どこまでも薄っぺらい「愛」や、面白味もない「セックス」や、下心丸出しの「芝居」や、インチキばかりの「映画」に囲まれながら、ときに、ごくまれに、こうした無償の献身と渾身に平手打ちをもらうことは、どうしても必要なのだと強く感じた。
 

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