儲からないシステム
商家で育ったせいか、商いごとが大好きである。いまの仕事をはじめて三十五年近く経つ。会社員になったことはなく、ずっと個人事業者として生計を立ててきた。録音ミキサーということで、技術者として触れ回っているものの、自分の意識としては、小商い人だとみなしている側面が強い。
技術の対価になにがしかのお金をいただく、帳簿をつけながら、先月はだめだったけど、今月はいくらかの儲けがあるなどと、出納をながめるのがことのほか楽しい。
であるからして、儲かるならべつにこだわるところもない。録音ミキサー以外でも、なにか機会や要望があれば、すすんで取り組んでいきたいと思っている。そのあたりは貪欲である。
しかしそこには大きな問題がある。やりたい気持ちや作りたい気持ちはあるのだが、いかんせんなにをやっても儲からないのだ。これには困った。なにせ儲けたくて仕方がないのに、八方塞がりなのだ。なにも大きく儲けたいわけではなく、そこそこに暮らせる程度の儲けでいいのだが、かえってそういうほうがむずかしいのかもしれない。
たとえばいくばくかを投資して、なにか商売をはじめようとしてみる。あるいはお店を経営してみたいと思ってみる。たしかに自分の好きをカタチにしたり、店の主人になったりはできる。しかし肝心な儲けがどうにも期待できない。
それを「儲からないシステム」と勝手によんでいる。簡単にいえば、投じた金額ともどってくる金額の釣り合いがとれないような事態や環境が常態となって、システム化しているということだ。
この「儲からないシステム」が、ずっと日本を覆っていて、おそらく一流企業といわれる大会社からぼくのような末端の個人事業者までを取り囲み、投資を躊躇させ、やる気をくじき、経済や芸術文化を停滞させている。
もちろんIT業界のように「儲かるシステム」を構築し、成長しているところもあるが、多くは「儲からない」スパイラルに陥っているように思う。
製造業、サービス業、商業、農業といった、これまで経済の基幹となっていたところはどうだろう。儲かっているのだろうか。国が声高に叫んできた成長戦略は順調に進んでいるのだろうか。どうもそうとは思えない。長く続いているゼロ成長は、「儲からないシステム」の泥沼からもはや足を抜け出せないでいるように見える。
そんな大きなことは政府や偉い人に任せるとして、じぶんごとに引きつけて例をだしてみようと思う。
自分たちの映画を作ろうと志をもって、キャストやスタッフが集まったとする。映画制作だ。そしてこれは立派な事業だ。そこにいくばくかの予算がつき、制作したとする。しかしそれが流通マーケットに乗らないインディペンデント映画である限り、儲かることは滅多にない。
いやいや「カメラを止めるな!」を見てみろと、おもしろい映画を作れば大儲けできるではないかというかもしれないが、あの映画は例外中の例外であって、宝くじに当たるよりよっぽどむずかしい。
それを才能がないからだ、努力が足りないからだと言い募るのはやさしいし、むしろそういう言説こそが「儲からないシステム」の後ろ盾になっていたりする。
さらに具体的に言うと、インディペンデントで映画を作って、うまく配給がついて、ミニシアター系の映画館で上映されたとして、では一体いくら制作サイドにお金が戻ってくるかということなのだ。すべての売り上げから映画館サイドに半分、配給に何十パーセントと支払われ、制作サイドにはその残りがやってくる。大雑把に計算して、観客ひとりに対して七百円としてみる。五千人が料金を払ってみたとして、七百円かける五千で三百五十万円だ。
もしその制作と宣伝の費用に一千万円をかけてしまったら、六百五十万円の赤字になる。三百五十万円で収めたとしてもトントンで、儲けはゼロだ。五千人ということはないだろうと思うかもしれないが、ミニシアターだと、上映館も少ないし、よっぽどのことがなければ一ヶ月上映もむずかしい。007とはわけがちがうのだ。
一時間四十分のドラマを撮影するには、ものすごい労力と時間とお金がかかる。通常の撮影体制を組めば、到底三百万円では制作できない。もっと言えば三千万あっても厳しいと思う。そんな「儲からないシステム」のなかにありながらも作られるインディペンデント映画の実情は、時としてその背後でものすごく悲惨な状況を生み出している。
この数ヶ月、意識して日本の独立系の映画を観るようにしてきた。それぞれに制作者の熱意が伝わるものが多かったけれど、ここまでお金をかけて、果たして儲かったのだろうかとも思った。
作り手の熱意ややる気、労力と時間をいたずらに浪費し食いつぶしていく「儲からないシステム」は、製作を一度限りのものにしてしまうだけでなく、取り組もうとする気持ちを台無しにしてしまう。そのことが引いては、文化の発展そのものをさまたげている。
まったくもって非力だけれども、そこを少しでも変えていきたい。愚痴をいうのではなく、なんとか具体的な行動で示していきたいと思っている。
しかし、この取り組み自体がまったく儲からないというのが、一番の悩みの種である。
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