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白くて小さなチューブ

 知っているひとが亡くなったとき、身の回りになぜかちょっとしたことが起きる。たぶん思い込みだったり、こじつけなのかもしれないけれど、でもそれは故人を思う気持ちのひとつだと考えるようにしている。
 祖母が亡くなった時、和歌山の小さな田舎町にロケで来ていた。夜に知らせの電話をもらって、民宿の外でひとつため息などついた。
 翌朝は、はやくから撮影があった。さて出発しようとすると、どうしたことか車の鍵が見あたらない。機材がすべて車のなかなので、これでは仕事にならない。たいそう焦った。アシスタントと、部屋中をひっかきまわして探しても鍵はでてこない。
 まだ暗いうちにもかかわらず、JAFのひとがきてくれた。いろいろと四苦八苦したのちに、なんとかドアがあいた。ほかの車に機材を積みかえて、ギリギリのところで本番に間に合ったということがあった。
 その日の撮影をすべて終えて、夜、部屋にもどると、真ん中にあるこたつの上に、ちょこんと車の鍵がある。ぼくは、鍵をまえにして、まるで狐につままれたように目を白黒させた。あんなにふたりして探した鍵である。もちろんこたつのうえなどは、最初にさらったところだし、一番、目につく場所だ。あっけらかんと乗っかっている車の鍵をまじまじと見ながら、さては、ばあさんが隠したかと、そんなことを思った。
 産まれたときから家にはじいちゃんとばあちゃんがいた。店舗部分をひろげたとき、すぐ裏にアパートを借りて、祖父母とぼくはそこに住むようになった。だからというわけでもないが、こんな遠くまでわざわざ来なくてもいいのにと、身体から力が抜けた。

 つい先日も知り合いを亡くした。その次の日は群馬で撮影のためホテルにいた。はやめに夕食をすませて、歯を磨こうと鏡にむかった。備え付けの歯ブラシと白くて小さなチューブ。半分だけつかって、残りは翌朝のためにとっておいた。
 はやくに目覚めて、出かける身支度をしていた。歯を磨こうと洗面所の歯ブラシを手に、チューブをとろうとしたら、置いたはずの場所にない。あれと思って、洗面所の床を探してみるが見あたらない。ベッドやテーブルのまわりにもなかった。しかたなくなにもつけずに磨きながら、祖母のいたずらのことを思い出していた。
 彼がここまで来たと思うことは、おそらくこじつけだろう。ちゃんと探せば、白くて小さなチューブはきっとどこかに落ちているにちがいない。
 死は、生きて残っている者の思い込みでできているのなら、ときに妙なことも起こるのだと、そう考えたがっている自分もいる。息を整えて、さて一日のはじまり。にっこり笑う彼の姿をひとしきり描いてから、部屋をでた。


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