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「すばらしき世界」

 物語はどことなく古臭く、やっぱりこれは撮影だし、芝居だなあと思いながら、スクリーンを観ていた。役所広司ショー的なところも、もはや頼りにされすぎた代償なのか、もうひとつ精彩がないように感じた。
 本編前に観た二本の予告篇にでていた若手の俳優さんがこの映画にもでていて、彼もまた過酷に消費されてしまうのかなと思わずにはいられなかった。
 すこしばかり退屈になりながら、高血圧の設定に、この映画はいつ主人公の三上さんを死なせるのだろうかと、それが気になっていた。このステレオタイプを最後まで押し進めるのか、それとも斬新なしかたで、それを裏切るのだろうか。ぼんやりとしていたぼくのまえに、果たしてそのどちらでもない、最もすばらしい映画的瞬間が待ち受けていた。やはり西川美和監督をはじめ、この映画のキャスト、スタッフはとてつもなかったと、あらためて知ることとなった。

 積み重ねてきた物語がカタルシスに向かうころ、三上さんが就職をした介護施設で、ひとときの団らんが描かれる。テーブルを囲んで同僚との軽作業。じつはこの時間こそが、おそろしい。だれからともなく、口をひらくと、それは決まってそこにいないひとの悪口だったり、悪意に満ちた揶揄だったりする。これはこの介護施設だけの話ではなく、全国あまねくどこにでもある、魔の時間だ。自分は仕事ができると思い込んでいる青年が得意げに、あいつがいかにだめかをあげつらい、周囲に同意を求める。それが三上さんに熱心に指導していた好青年であるのがなんとも生々しい。
 知的障がいのある同僚を、仕事の不満のはけ口に選んだ彼の口汚いことばに、みながうれしそうに嗤う。そのなごやかさにエスカレートし、たちあがって障がい者の身振りまでしてみせる。
「三上さん、どう?似てるでしょ?」

「逃げるが勝ちってこともあるんだよ。いちいち相手してたんじゃ、この世界じゃやっていけないんだから。」
 このすばらしき世界の住人たちは、やさしく三上さんにそうアドバイスする。カッとしないこと、かかわらないこと。生きていくために周囲に同調していくこと。三上さんは出所以来、ほんとうにたくさんのことを学んだ。悪いことばかりじゃないと、やっと思えてきたその矢先だ。
 その三上さんの目のまえに、親しみを感じている知的障がいがある仲間の尊厳を理不尽におとしめる、ゆがんだ顔をした青年がたずねている。
「三上さん、どう?似てるでしょ?」
このときの三上さんの表情とことばのすごさに圧倒された。ああ、三上さんが、いま、死んだと思った。ここで三上さんを死なせた。死んだ瞬間の顔を大写しにした。
 嵐の予感のなか、帰宅しようとする三上さんは、揶揄された同僚から生花をもらう。すでに死んだ男が、このうえなく神々しい顔の若者から花をたむけられる。帰り道、電話が鳴る。自転車をとめてでると、離婚したかつての妻からデートの誘いを受ける。晴れやかな笑顔で、ふたたび自転車にまたがり走らせる。そこはまぎれもなく黄泉の世界だ。そして嵐がきて、強い雨と風のなか、三上さんの肉体は、白いランニングシャツを遺影に昇天する。

 まさかこんなに美しいシーンの連続が最後に用意されていたとは。それまでじっと積み上げてきたもの、ぼくはそれを不覚にも退屈だとさえ思ってしまった、それらを一枚一枚丁寧に剥いでいく、その知的な繊細さにはげしく心がゆれた。
 まぎれもない映画の醍醐味をお土産に映画館をでると、驟雨だった。こんないい映画があるのだから、世界はきっとすばらしいのだろうと思った。
 

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