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浅き夢見し

 とにかく寝つきがよい。そして遅くまで起きていられない。晩酌のせいなのか、いまどきの小学生よりも早い時間に布団にもぐりこむ。外とあまり気温が変わらない部屋で、あごのしたまですっぽりと掛け布団をかぶる。すると、ものの三分もかからないうちに寝入ってしまう。
 少しはものなどを考えたらよかろうにとも思うが、催眠術にでもかかったようにすうっと意識を失う。とはいえ、朝まで眠り続ける体力がないものだから、真夜中に目が覚めてしまう。スマホの時計を見ると、たいがいが二時とか三時とか、そこらだ。
 そのためにというわけではないが、枕元にはアコースティックギターがスタンドに鎮座している。寒いのを承知のうえで手をのばす。仰向けのままポロポロと、学んだいくつかの和音やフレーズを反復する。この時間がなんともいえず楽しい。一日のうちで一番好きな時間といっても差し支えない。
 暖かい時期であれば、二時間くらいそのままギターを抱きながら、あれやこれやするのだが、正月明けとあっては寒さがかなわない。三十分も弾いていると、両方の肩や指先が冷たくなる。
 そそくさとギターをスタンドにもどし、肩をくるめるようにして布団を抱き込む。不思議と足まで寒いので、くの字になって横を向く。やがてじわじわと肩のあたりが暖かくなる。いくつかのメロディが耳の奥で聴きながら、いつのまにか眠っている。
 
 二度目の眠りは、とても浅い。ときにはなかなか寝られないなと思いながら、寝ていることさえある。次に目覚める五時すぎまで、半覚半睡のまま、ふらふらとあちこちを浮遊する。
 おもしろいことに、そんな状態のときにだけ現れるレストランがある。もうなんどもでてくるので、その入り口から店内の奥までをはっきりと話すことができる。きっとモデルになっているお店があるのだろうけれど、それがどれなのかはいっこうに思い当たらない。それくらい突拍子もないつくりなのだ。
 レストランとはいえ、なにかを食べるということはない。ただふだんあまり縁のないひとたちの集まりの末席に、場違いなように座ってかしこまっていることが多い。
 きのうは十人ほどの右翼団体とおぼしきひとたちの宴席だった。どういうものを右翼と呼ぶのかは、ぼく自身定かではないが、話し合っている内容からきっとそう思ったのだろう。
 交錯することばに、そんな理不尽なと感じることもあったが、妙に納得するところもあった。片隅で拝聴するばかりだったが、いやな気持ちはしなかった。
 大きなテーブルに料理はひとつもない。顔見知りの店員を呼ぶのだが、その顔はぼくが知っているだれとも似ていない。彼はぼくがなにかを言うまえに、まわりに聞こえないようにと、小さく耳打ちする。
「そのかたは、地下の個室でお待ちになっています。」

 目が覚める。いつものように五時十五分だ。掛け布団のなかでもじもじとしながら、しばらく暗い天井を見ていると、階下から朝食の用意ができたと知らせる家人の声がする。


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