死ぬ前まで食べたい100の美菓 芋名月
今夜は中秋の名月。平安時代に中国から伝わった風習で、「十五夜」と呼ばれ、里芋の収穫期とも重なることから月の別名は「芋名月」ともいう。
源氏物語で、光源氏にとっては大きな転機となったのが須磨と明石で、須磨のわび住まいでは、月を眺め、歌を詠み、音を奏でるといった源氏の人生で唯一、女性と縁のない日々を送っていた。
須磨は秋風が吹き、荒波が寝床までも打ち寄せ、海を知らない光源氏にとっては、憂愁の日々を送る。
「今宵は十五夜なりけりと思し出でて、殿上の御遊恋ひしく・・」
光源氏は、月を眺めながら都を回想する。
平安よりさらに昔、明るい月だから「明月」と中国の漢詩ではそう呼んでたが、ある時から日本の和歌や俳諧では漢語を使うのをタブーとしたために、旧歴8月15日の月を「名に高き月」と称し、「名月」の語を使うようになったという。
名月をとってくれろと泣く子哉
小林一茶の俳句だが、丸いソースせんべいのような空の月を欲しいと、ねだる子どもの様子が目に浮かぶ。
名月や膳に這よる子があらば
実は一茶には、「さと」と名付けた長女がいたのだが、生まれてわずか13か月で早世してしまい、月見に供えるお膳のところへ、可愛さ盛りの娘が生きていれば、ハイハイして寄ってくるだろうという気持ちを詠んだという。
月見に供えるお膳は、昔からちょうどその頃収穫される作物を供えていた。
十五夜には芋を、十三夜には豆をお供えして食べる習わしがあり、十五夜は「芋名月」、十三夜は「豆名月」とも呼ばれていた。
私は地元の自慢、だだちゃまめが美味しい8月、9月の名月を豆名月だと思っていたが、10月だそうだ。「栗名月」と呼ばれるところもある。
丹波篠山市では10月が黒豆の枝豆の解禁日で、山形の置賜地方は「馬のかみしめ」が出始める。枝豆の表面に馬が咬んだような跡があることから、そういわれるようになった。
さて、芋名月の芋だが、江戸吉原では、芋名月の夜は、滋養強壮力がある里芋が飾られたそうだ。ねっ、そこの旦那さん!
収穫されたばかりの里芋を籠に入れて、遊女に手土産として贈り、その妓は、縁側に飾り、月見を楽しんだそうだ。
光源氏が須磨で悲しんだ十五夜の芋名月、本当は里芋や山芋を供えたかったのでは?というのは、下衆の勘ぐりでゲス(´∀`=)
写真
https://taneya.jp/okashi/season/kinukatsugi