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マイうつ #5 : 恵みの湯

最近は気持ちも落ち着いて、前のように朝起きたら突如絶望的な気持ちに襲われるなんてこともだいぶ減ってきました。ただ時々ですが、身体の重みがすごくて「あっヤバいな」と思う瞬間もあります。自分では元気なつもりでいるけれど、いつ何が起こるか分からない。どうやってこの病気と、自分と向き合えば良いのか分からない。今までとは全く違うタイプの悩みが頭の中をぐるぐるする日々。そんな中で、ぼんやりと入院していた日々を思い出すことがあります。

入院中は「今日はイケる」と「今日は無理だ」の繰り返し。目覚めた時の奈落に引き摺り込まれそうな感覚を思い出すと、今でも本当にゾワっとします。そんな入院中の楽しみは、シャワーでした。入院中はシャワーを浴びられる日が月水金に限られていたのですが、その前日は「明日はシャワーが浴びられる、明日はシャワーが浴びられる…」と言い聞かせていました。もともと乾燥しがちなのに加えて冬真っ盛りだったこともあり、鏡を見ると顔は爛れまくり。明日のシャワーで顔を洗えたらこの痛みもマシになるはず、いや何よりシャワーを浴びられることがありがたい。何もしていないのにヘトヘトな身体をベッドに沈めながら、滴るお湯に思いを馳せるのです。

シャワー当日になると、看護師さんが「今日何時にシャワー入ります?」と聞いてくれます。予約が混み合うお昼の時間を予約できたら、こっちのもん。ソワソワしながら13時になるのを待ちます。13時前になると、着替えを詰めたビニール袋を携えてじっとベッドの縁に座ります。看護師さんの「シャワー空きま…」の声に「あ、はいぃ」と食い気味に返事をしてシャワー室に向かいます。30分のシャワー時間は、間違いなく救済のひと時でした。暖かいお湯を浴びながら、「グァァ」と声にならない声をあげていました。「冬だから」という理由とは全く別のありがたさが、そこにありました。髪の毛から漂うシャンプーの香りに救われた気持ちになっていたのを思い出します。未だにビオレの小ちゃいパッケージを見ると手を合わせたくなる。ありがとう弱酸性。ありがとうほっかむりおばさん。

お昼の時間帯に1時間外出することが可能だったのですが、シャワー直後に湿った髪のまま散歩するという贅沢もしていました。濡れた髪が冬の風に晒された時の、ちりちりとした仄かな刺激。肌を刺す冷たい空気に、どことなく自分のものという感覚がしていなかった肉体をリアルに感じました。最寄り駅のスタバまで歩いて、30分だけ外で本を読む。調子が悪い時は文字を目で追っても内容が頭に入ってこなかったけれど、逆に調子の良い時は本の世界をじゃぶじゃぶ泳いでいる感覚になりました。スタバまでの道で聴いていたThe Birthdayの曲は、あの時の苦しくも脳裏に灼けついて離れない「そっか、生きてるな、俺」という感覚を思い出させてくれます。

前も書きましたが、病気になって良かったことの1つに「それまで当たり前と思っていたことに感謝できるようになった」ことがあります。嬉しいと思える、その事実が嬉しいと感じたり。それまで当たり前に浴びていたシャワー、当たり前に使っていたシャンプーに感謝を覚えるようになったり。忘れそうになる時もありますが、あの時を思い出すと「ありがとうございます…」という気持ちが湧いてきます。「生きていることは当たり前ではない」。様々な場面で聴く言葉ですが、今までの僕にはどうしても実感を伴って理解することができませんでした。当たり前のように会ってくれる友達がいること。好きな音楽や映画を楽しめること。今、生きていること。退院以降、その事実にふと「これって凄いことなんだなぁ」と思う瞬間があります。それは、生きるのが辛くて辛くて仕方なかった日々、もう無理だ、全部終わらせてしまおうと思った日々を這いつくばって耐え忍んだご褒美なのかも知れない。

生に感謝すること。それは僕にとって、爽やかな冬空と歪んだギター、そしてシャンプーの香りに思いを馳せることです。


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