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反出生主義⑦(終)人口問題と滅亡計画

これまで反出生主義の議論を見てきた。(偉そうに書いている自分も正直自信はないのだが)正しく理解出来ているならば、行き着くのは人類の滅亡に違いない。では、反出生主義において、人類滅亡をどのように捉えているのか。

①人口に関する議論
さて、現在世界規模で言われている懸念のひとつに人口過剰がある。今この瞬間も人間は増え続けており、いずれ地球の資源では賄えない人口になるだろうという見込みなのだ。そこで問題となるのは一体どれくらいの人口が適切なのだろうか、ということである。この数は学者によって意見が別れるが、反出生主義においての回答は「0」だ。人間の誕生から今まで多くの人類が生まれ、そして死んでいった。つまり累計で何兆何千億という害悪が存在したということである。1つでも多いというのに。

②人口と幸福
人口とQOLの関係において、有名な2つの形式がある。
①幸福の総量が多い方が良い世界
②一人一人の幸福量が多い方が良い世界
ざっくり説明すればこの2つである。
しかしこのふたつは問題を含んでいる。
それぞれもう少し詳しく見ていく。
①は例えばAとBの2つの街があるとする。Aの人口は100人で、全員の幸福度が高いものだとする。Bの人口は100000人で、全員の幸福度が低いものだとする。幸福の総量において、Bの方が多くなるのは明らかだ。これは端的に言っておかしな事である。
②において、この問題は解決する。幸福の総量を人口で割るからだ。しかし別の問題が生じる。また2つの世界を考えてみよう。全員の幸福度が高い世界Cと世界Cにいる人達に加えてあまり幸せでは無い人の集団がいる世界Dだ。するとDの世界の方が悪い世界となる。エデンの園に普通の人間が1人追加されるだけで、そこは悪い世界となってしまうのだ。子供を産むことに関して、世界の幸福度を下げないためには自分より幸福な子供を産まなければならない。つまり、親より子供が幸福ならば産んで良いとされる。これを更にずーっと遡っていくと例えば古代ローマの人達の幸福度よりも自分たちが幸福かどうかが子を産む際の道徳的判断に必要になってくる。しかしそれもおかしなことだろう。

この2つの説の問題に反出生主義は答える事ができる。この2つの問題点は幸福の最大の総量や平均を目指した事だ。そうではなく、不幸の最小の総量や平均値を目指すとするとどうだろうか。幸せな人を増やすのではなく、不幸な人を減らすという方向で物事を考えるのである。「存在は常に害悪」なのだからすべての人は不幸だ。よって人口を0にするのがもっとも良い世界と言えるのである。

③段階的絶滅
人口を0にするのが理想的ではあるが、実際どのようにして0を目指すべきなのか。核兵器で世界中を撃ちまくるのがいいのか?ベネターは段階的に滅亡する事を提唱する。
念頭にあるのは私たちはいつから確実に絶滅するという事実である。そして最後に残る人達は非常に苦しむことになるのはほぼ確実だ。であればその人達の数を限りなく少なくすることが道徳的だと言えるだろう。
では段階的に人間の数を減らすとして、問題となるのは今生きている私たちのQOLだ。子供の数が減ることで私達のQOLは下がることになる。
しかし、この問題はまた別の問題を浮かび上がらせる。
①そもそも私達は、現存の人々のQOLのために新たな生命を作って良いのか
②良いのならばどんな条件の場合か

まず考えて欲しいのは、緩やかな人口の減少はQOLにそれほど影響しない、という事だ。実際に先進国は人口減少をし続けているが、それが人々を絶望させるほどではない。
次に①②に対する回答だ。新たに人を生み出す行為が許される場合は次の2つがある。
一、新たに人間を誕生させた場合に生じる害悪の総量が、作らなかった場合に生じる害悪の総量より少ない場合、新しく人間を作って良い
二、新たに人間を作ることで、害悪の総計がかなり減るのであれば、正当化されるかもしれない

④絶滅は悪いことなのか
絶滅が悪いものだと考えられる3つのケースがある。
1、絶滅が殺害によって起きる場合、人生が短くなるという理由で悪い
2、どんな方法で絶滅しようと、最後の人達にとって悪い
3、絶滅という状態はそれ自体絶対的に悪い。人の居なくなった世界はそれ以前の世界の存在者にとってそれ自体悔やむものである
1はそのような事が起きれば確かに残念に思うような事だが、段階的な滅亡をするのであれば問題にはならない。
2は確かに否定出来ない。しかしこのままダラダラと繁殖を続けたとしても確実に終わりは来る。害悪を増やさないためには計画的な滅亡により早く絶滅した方が良いというのは言えるだろう。
3はそもそもが人間主体の考え過ぎる。絶滅後の世界は人という害悪がなくなるのだからその分むしろ良い世界だとさえ言える。もちろん文化や美術がない世界は嘆くべきかもしれないが、それは私達が人間だからそう感じることであって、絶対的に悪いなんてことは無い。

⑤結び
最後にかなりざっくりではあるが様々な反論を見ていく。
反出生主義は反直感的である。
→だからといってこの議論が間違っているということにならない。
悲観主義なだけ
→悲観主義な性質は確かにあるが、悲観主義の思想が間違っているとは言えない。悲観主義から見れば楽観主義者は楽観的過ぎる。
自殺を唆している
→生きる価値のある人生の議論でも出てきたが、人生に始める価値はないが、続ける価値はあることを示している。自殺が害悪だということは反出生主義の立場からも矛盾しない。
宗教的には産んだ方がいい
→聖書には「産めよ増やせよ地に満ちよ」という文言がある一方で、カトリックでは修道女に子作りを禁止している。このように神の言葉は解釈可能だ。
人間嫌いな議論
→むしろ人間が好きだから人間由来の害悪を減らそうという議論である。

以上がかなりざっくりした反論だ。
これでとりあえずはベネターの著書「生まれてこない方が良かった」を見終えはした。
自分で読んでの解釈が入ってしまう以上正しくない理解もあるかもしれない。それでもある程度は正しく読めていると、思う。
反出生主義の理解の手助けになれば幸いだ。

終わり。