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#17 祭りの後に

今日は3月25日、1月28日に行われたD-act20周年イベントからちょうど2ヶ月が経ってしまいました。皆さんいかがお過ごしだったでしょうか?

20周年イベントの準備から始まったこのnote、イベントが終わったタイミングで書きましょうという声をもらい、何回かトライしていたのですがなかなか書くことができていませんでした。

  • 企画開始から当日までを時系列に沿って振り返る

  • 苦労や裏話、巡らせた思いを書く

  • 今という時代や社会について論じる

色々なアプローチを試したのですが、どれもうまくいきませんでした。

思うに、D-actとそれに関わってきた自分の感情は一面では表しきれない複雑系を形作っており、個別の部分ではなく、全部の総体でしか表現できない。

一方で、その総体を書き切る、伝え切る、理解されるのがあまりにも難しくなってしまっていることに原因がある気がしています。

多分に漏れず今回の20周年イベントも、それに対する自分の思いは一面的なものではありませんでした。それはつまりどういうことかというと・・・





・・・というのが難しいということは十分理解したので、シンプルにしてみます。伝えたいことは色々ある中で、捨象して研ぎ澄ませてゆくと、残るものは何になるでしょうか?


準備も大詰めの1月後半、色々な素材を準備する過程で、近しい同期や後輩、昔お世話になった先輩、そして現役生の姿に、写真や映像を通して出会いました。

色々なことはあったけれど直接積み重ねた時間や思い出、直接関わったことはなくとも伝わってくる喜びや感動、それらに対して生まれる嬉しさや感謝、湧き上がってくるエネルギー

それらは確かにそこにあり、論理や打算、損得勘定では決して至ることができない爽快感や感動を思い出しました。


あの頃も・・


損得勘定や合理に完結しない人間関係、皆が楽しいから自分も嬉しい、そのシンプルな気持ちよさを思い出せた気がします。

その素晴らしさを教えてくれたのはD-actですし、後輩含めて、多くの人がそう感じて幸せに過ごせる場所であってほしいと思っています。

自分にとっては「守りたい場所」です。



言葉を重ねずとも、これで十分ですね。人生の途中で立ち戻れてよかった。

当日は、自分にとっては走馬灯のような時間でした。来てくださった方はもちろん、残念ながら参加できなかった方も含め、多くの人の顔が思い浮かんでいました。ありがとうございました。


そして似た動機であったり、それぞれにとって大切なもののために、一緒に頑張ってくれた運営の仲間に感謝したいと思います。


楽しかったですね、楽しかったですよね?

また、やりましょう!


(この文章はChatGPTを使って書かれました)

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