おれとアニオタ

おれはアニメがそこそこ好きだ。声優の名前を10人ぐらい20人ぐらいは言える。アニメ監督もそれぐらいは言える。でも、ガチガチのアニオタかと言われれば首を横に振らざるを得ない。なぜなら、今のアニメってだいたい1クール(3ヶ月)ないし2クール(6ヶ月)で新作が放送されるんだけど、その度に面白そうなのをいちいちチェックして、録画するかと言われればぜんぜんしてないから。だいたいがして無職の頃でさえしてなかったのだから、いわんや社畜候補生である今をや、である。

あともうひとつあって、おれはお話の筋が面白くないと、女の子萌え萌えズキューンだったり、男の子燃え燃えズバーンだったりしても最後まで見ることができない。「いやもっと面白くできるでしょ!」と思っちゃう。あるいは最後まで頑張って見てけちょんけちょんに悪口を言いまくるなんていう非生産的なことしかできない。で、そこがおれがガチガチのアニオタになれない、別になりたいわけじゃないけど、理由というか違いなんだなと思った。

ガチガチの人は感受性が豊かだから、アニメのキャラの一挙手一投足にまるで現実の人間を評するがごとく、「あのシーンでああいうリアクションができる虹川桃蜜子ちゃんはすごく性格がいい子だわ……」って感情移入できる。翻っておれはアニメは作り物だっていう前提を崩せないから「虹川があんな目にあう脚本は不自然だよ」となる。

周囲の目はともかく、スヌーピー曰く「人生は配られたカードで勝負するしかない」。それに従えば、ガチガチの人が虹川桃蜜子ちゃんが様々な惑星を彷徨って、途中で姫ヶ丘蝶々美ちゃんの犠牲とか王子城白鳥介くんの犠牲とか幼馴染みの月村光沙梨ちゃんの犠牲とかの果てに、ひとつ凪の帆影天女になれたことを「良かったね! 桃蜜子ちゃん!」って喜ぶ方が楽しい人生だろうし、「犠牲払いまくってそれかよ……」って思うよりも充実した趣味になってるのかなって思う。

たぶん他の趣味でも、「これは現実だからああだこうだ言うまい」って方が楽しい気がするし、作る側は「これは現実じゃないか!」って思わせれば良い作品ができると思う。じゃあ、現実にもああだこうだ言う人はどうなるの? っていう疑問は当然出てくるのだろうけど、そういう人に向けて、草薙素子曰く「自分を変えろ。それが嫌なら耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮せ」なんていう厳しめな言葉もある。あるんだが、おれはあんまりその言葉が好きではなくて、できれば政治家なり池上彰なりになってもらって、現実を良くして欲しいなって思う。

あ、気付いちゃったんですが、おれ、今年で29歳なんですよね。話題にすべきはアニメじゃない! アニメじゃない! 本当のことさー!