瀬戸ぎわのトット

 トットは震える手で最後の人形を置いた。真っ赤な帽子をかぶった人形の笑顔が自分を嘲笑っているように感じた。

 世界的企業がスポンサーにつき、屈強な男が仕切るクイズゲームにこういった裏の顔があることは不思議ではなかった。ほんの些細なきっかけから生まれた借金。その返済のため、トットは裏のクイズゲーム、つまりギャンブルに手を出した。が、当初は数百万だった額は今や億単位にまで膨れ上がっていた。

 トットは自分を着飾ったり、贅沢な暮らしがしたかったわけではなかった。ただ人が救いたかった。そのためにいろんな男を自分の部屋に招いた。時には複数人同時に相手するときもあったし、女性が訪れるときもあった。トットのやり方は誰にも似ていなかった。結果、不満とも文句ともつかないぼやきを口にしながらも、複数回トットの元を訪れる人間が少なくなかった。人気の部屋だった。

 「カズヨシ……」

 思わず呟いていた。トットの部屋に最も足を運んだ男の名前だ。彼は有名なテレビの司会者だった。それに気づいたのは出会ってからしばらくのことだった。テレビのカズヨシはいつも大きなサングラスをトレードマークにしていたが、トットの前では素顔だったからだ。司会者であることをひけらかさず、飾らないカズヨシにトットは惹かれた。さすがは司会というべきか、カズヨシの相手をするとき、トットはむしろ自分こそが客ではないかと錯覚するほどだった。

 しかしカズヨシとは他の場所で会うことは出来ず、連絡先も知らなかった。ただふらっとカズヨシは現れ、必ずトットを楽しませた。

 「スーパーひとしくんでよろしいですか?」

 男の声で我に返る。柔和な顔からは想像できない筋肉の持ち主だ。その佇まいには一分の隙もない。かつてこのクイズゲームに挑んだ元プロ野球選手もいたが、この男に消されてしまった。あっさりとイカサマを発見され、始末されてしまったという。ここでは不正は決して許されず、むしろ違法なのは金銭のやりとりが行われていることと支払い能力のなくなった人間の始末だけといえた。

 それ以外は表のクイズゲームとほぼ同じで、綺麗な女性タレントを使った出題ムービーがない分、事は一瞬で済む。外れれば掛け金代わりの人形がダストシューターのような自動卓から没収される。表と違って、人形は『借りる』ことが出来た。そしてその違いが、表では無敵を誇ったトットが負け込む理由であった。レートはどんどん上がり、今や一体につき一億。材質は全く変わらないはずなのに、いつもより何倍も重たく感じられた。

 トットが置いた赤い人形は正解すれば三倍の金額を得るが、外せばその逆となる。そうなれば二度と普通の生活は出来ないだろう。人を救うなどもっての外だ。だが後戻りは出来ない。トットは自分の知識を信じて覚悟を決めた。

 「構いませんわ」

 声が上ずっていたかもしれない。もうそんなことに気を配る余裕はなかった。トットが人形を所定の位置に置いたのを確認し、男はすぐに答えを告げた。

 「正解は肩こりでした。残念ながらボッシュートです」

 律儀に表と同じSEが流れ、人形が自動卓へと消えた。つまりトットが今まで稼いできた額とほぼ同じ金額が、消えた。

 少しの間を開けて、極めて穏やかな口調で男は言った。

 「いかがなさいますか? あなたの寄付で出来たあの学校を担保に入れればまだチャンスはあると思いますが」

 トットは人を救うためには教育が不可欠だと信じていた。一時的な募金はすぐに消えてしまう。だから学校を建てたのだ。それを担保に? こんなやつに私の学校を渡すわけにはいかない。でも。もう他にどうすればいいのか、分からない。

 ――ルールル・ルルルルール

 突然、男の元に預けられていたトットの携帯電話がなった。意外にも男はどうぞと促す。きっと盗聴出来るようになっているのだろう。受け取ると知らない番号からだった。藁にもすがる思いでトットは通話ボタンを押した。

 「明日大丈夫?」

 男性の声がする。聞いたことのある声だ。すぐに誰か分かった。カズヨシだ。どうしてこの番号を知っているのだろう? しかしそれどころではない。ただ、助けを求めるのは不正にあたる。トットはなにも言い出せなかった。

 「テレビってすごいよね、なんでも分かっちゃうんだから。君の番号も状況も。大丈夫だよ。ねえ、草野さんに代わってよ」

 男もまたカズヨシに並ぶ有名人だ。知り合いでも不思議ではない。言わるがまま、男に携帯を渡す。男がカズヨシと通話している様を、トットはまるで窓ぎわから景色を眺めるようにぼうっと見ていた。そこには現実感がなかった。

 「なるほど。わかりました」

 気づけば話が終わっていたようだった。男はトットに携帯を返した。チクッとした痛みが走った。

 「野々村君、黒柳さんを出口までご案内してください」

 大丈夫だよとカズヨシは言っていた。そしてどうやらその通り、解放されるようだ。自分は助かったのだろうか? 聞きたいことは山ほどある。けれども急に瞼が重たくなってきた。さっきなにか打たれたのだ。疑問だらけの中、すっとトットの意識はなくなった。

 目覚めるとトットの部屋だった。もう正午を回っている。いったいどれだけの間、眠っていたのだろうか。数時間? それとも数日? 日付を確認するために、トットはテレビをつけた。奇しくもカズヨシが司会の番組が放送していた。出演者が集まっている。どうやらエンディングのようだ。トットはまだはっきりしない頭でぼんやり見ていた。大御所の芸人がカズヨシに問いかけた。

 「俺聞いたんやけど、番組終わるってほんま?」

 一気に目が醒めた。画面を食い入る様に見ているとカズヨシは小さな声で肯定した。悲鳴に似た声があがる。観客も他の出演者も衝撃を隠せないようだった。

 閃きのように、トットの頭のなかで点と点が繋がった。カズヨシと男が電話で何を話していたのか。億単位の借金と引き換えにカズヨシが何をしたのか。

 トットは携帯を取り出して、通話履歴見る。恐らくカズヨシであろう番号はすぐに見つかった。そして、かける。これからトットの部屋にカズヨシを呼ぶのだ。そんなことをするのは初めてだったが、トットはカズヨシの返事を確信していた。

 いいとも。